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「はぁって言うゲーム」開発者インタビュー

2023.11.18 公開 ツイート

#4

自衛官、ホストetc.異色キャリアの「はぁって言うゲーム」プロデューサー白坂翔、成功の鍵は“フッ軽” 白坂翔

祝シリーズ100万部突破!『はぁって言うゲーム』のプロデューサー・白坂翔氏による開発秘話&思考法。

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今、さまざまな世代で人気となっているアナログゲーム「はぁって言うゲーム」。この人気の裏には、原作者の米光一成さんのほかに、もうひとりのキーパーソンがいる。プロデューサーの白坂翔さんだ。数々の事業を立ち上げている起業家なのだが、その経歴も面白い。早速、ご本人のキャリアを含めた、ゲームの誕生ストーリーに迫っていきたい。

異色のキャリアがもたらしたもの

ゲームプロデューサーの白坂翔さん。ボードゲーム界のゲームチェンジャーで、彼が手がけた「はぁって言うゲーム」以外にも、さまざまな形でボードゲームに携わっている。ボードゲームカフェ「ジェリージェリーカフェ」のオーナーであり、人狼の普及に貢献する「株式会社人狼」の代表取締役でもあり、ゲームの企画販売をする「ジェリージェリーゲームズ」をも取り仕切る。もちろん、ゲームにおける実績は、そのほか両手に余るほど。白坂さんにとって、肩書きはあまり意味のないものかもしれない。

「ふんわりと、社長という肩書きには憧れがあったんですよ」

防衛大学校中退という、ビジネスの世界では異色のキャリアをもつが、進学の大きな理由に、「金銭面で両親に迷惑がかからないから」という点を挙げており、独立心のようなものが生来備わっているようにも思える。白坂青年は、在学中にmacに触れたことでデザインに強く興味を引かれ、独学で技術を習得。大学を中退すると、自ら会社を立ち上げる。今でこそ数々の事業を立ち上げる経営者だが、当初は、経営のノウハウなども当然なかった。

「あとで気づくんですが、やりたくない仕事だってやらなければいけない。そんな当たり前のことにも気づかずに、“起業したら好きなことがやれる”とばかり思っていました。しかも、会社を立ち上げたら、自然と仕事があると思っていたんですが、仕事は営業をかけて取ってくるものなんですよね。それすらも最初はわかっていなかったんです」

防衛大学校を辞めたのちは、生活のために歌舞伎町のホストになったこともあった。この点は、よく白坂さんを紹介する際に触れられることも多い。

「自己紹介のツカミネタのように話してきたんですけれど、振り返れば、今に生かされていることもあると感じます。

防衛大学校もホスト生活もそうでしたが、やはり人間関係で得たものが多いですね。いわゆる“コミュ力”です。上下関係はありますが、そのなかでも上級生ともうまくコミュニケーションを取れていたほうだと思います。この先輩と仲良くしとくと、なぜかこの先輩も良くしてくれる、というような(笑)。

1年半勤めたホスト時代も上下関係はありましたが、大学時代での経験もあってそれほどキツいとも感じませんでした。遅刻しない、とか、お客さんと楽しく話す、とか普通の業務を普通にこなせば、きちんと給料をいただける良いお店というのもありましたし。お店では助け合いも必要でしたので、同僚たちとコミュニケーションを取りながらやっていました。自分が、物事を客観的に捉えられる性分なのが功を奏したのかもしれません」

いわゆる“レール的なもの”に乗ることなく、自分の“やりたい”を進めてきた白坂さんの青年期。何かに縛られるわけでもなく、思いに従った“フッ軽”な動きが見て取れる。その結果、現在は数々の事業を手がける“社長”として辣腕(らつわん)を振るっているわけだ。

見切りよく、業態変更も惜しまない身軽なこなし

起業以降は、ウェブデザインを中心としたIT企業として事業を進めていくなかで、白坂さんが世間の注目を浴びた最初のきっかけとなったのが、「渋谷初のコワーキングスペース誕生」の仕掛け人としてだった。その誕生もまた、白坂さんの“フッ軽”がなせる技だ。

「アメリカでコワーキングスペースが流行っているらしい。面白そうじゃん」

ノマドワーカーという言葉が出始めた2011年頃。オフィスではなく、カフェで仕事をするビジネスパーソンが増えている。そんな情報をもとにジェリージェリーカフェをオープン。当時、軌道に乗り始めていたウェブデザインの仕事も並行していた。

「ちょうど自社のオフィスとしても使えるし、エコロジー的な発想でもこれはいいなと思ったんです。夜は、お酒を飲めるようにしたり、昼は、IT関係の人を集めた、今でいうセミナー的なイベントも企画しました。とにかく、“人が集まる場所”をつくりたかったんです」

そのなかでも人気のあったコンテンツが、ボードゲームイベントだったという。

「当時は、私が面白さにハマって、10、20個程度の私物をオフィス兼コワーキングスペースに持ち込んで。自由に遊んでください、って解放していたんです。そうしたら、当時20代の同世代の人から、私物のボードゲームの評判がとってもよかったんです」

そこから、また白坂流“フッ軽”が頭をもたげる。

「だったら、ボードゲームカフェにしてしまおう」

当時は、まだボードゲームをプレーできる場は、せいぜい秋葉原などのマニアが通うボードゲームの遊技場があるほどで、まだ“ボードゲームカフェ”とも呼ばれていないような時代。「これは流行るに違いない」と確信した白坂さんは、コワーキングスペースとしてそれなりの地位を築いていた「ジェリージェリーカフェ」をボードゲームカフェに業態変更してしまう。

「実際、後発のコワーキングスペースが渋谷に増えて、食い合いではないけれど、1店舗の独り勝ちにはならず、競争も生まれてきた。しかも、うちは、ボードゲームのイベントだけじゃなく、DJイベントなんかも催していたので、自虐的に、“仕事がはかどらないコワーキングスペース”とか言い始めていました(笑)。ちょうどいいタイミングかなと」

後ろ髪を引かれる思いはなかったのだろうか。

「仕事する人と遊ぶ人が混在するカオス空間は、自分も気に入っていたんですが、冷静に見たら、ビジネス的に“いいこと”ではないなと。加えて、自分が好きなことをやるという点でやりがいも感じられましたし、何より、まだ競争相手がいないという点にも大きな魅力を感じましたから」

ここから、ボードゲーム業界への舵を切り、“フッ軽”な白坂流で、人狼ゲームほか、さまざまなブームを巻き起こしていく。

面白いものを自分の手で世に出していきたいから

ジェリージェリーカフェは、発祥の地、渋谷を飛び出し、池袋や新宿から、名古屋、大阪、福岡まで全国に展開。今や14店舗を構えるまでに成長した。

「自分が面白いと感じたものは、自分自身の手で広めていきたい。そのためには、にわかファンをつくることが大事。そのパイを広げることが、未来のコアファンを育てることにも繋がりますから」

ここまで白坂さんの半生を追うこととなったが、ここから「はぁって言うゲーム」の誕生に話を戻したい。一見地味そうなこのアナログゲームが、“フッ軽”な白坂さんの手によって、周知のものとなったのには必然がありそうだ。ゲームを生み出したのは、原作者の米光一成さんの天才的な発想力にほかならないが、これを広めていくのには、白坂さんの行動力こそがポイントとなっていく。

「ゲーム界は、外から入った私にとってもやっぱり排他的なところはあって、“にわか”だとどこかバカにされるような風潮がありました。それをどうにか変えていって、新しい風を産んでいきたい」

すでに通い始めていた、東京ビッグサイトでのアナログゲームの祭典「ゲームマーケット」で、2017年に白坂さんは衝撃的なゲームと出合う。

「うちのスタッフが米光さんのゲームをもってきた。もぎりチケットみたいなものにお題が書かれ、それらがビニールに入っている簡素なもの。でも遊んでみるとめちゃくちゃ面白かったんです。早速、米光さんと話をして、試作品を作る許可をもらったんです」

ここからの流れは、米光一成さんのインタビューにも詳しいが、白坂さんサイドからの観点もまた面白い。

「ゲームマーケットで販売していたものだと、回数を遊べないなどのデメリットもありました。そこはボードゲームカフェでの経験なども交えて、より多くの人に楽しんでもらえそうな仕様に変更して、米光さんも喜んでくれました」

このとき、米光さんのインタビューで記したとおりのゲームの姿となる。もぎりチケットの形態が、印刷の締切の関係でやむなく生まれたものと思えば、白坂さんの手を借りて、ついにこのゲームは理想の姿を獲得したとも言えそうだ。こうしてふたりに信頼関係が生まれたことは、「白坂さん、ゲーム知っている人なんじゃん」という米光さんの言葉からも伝わってくる。

当初は、ゲーマーやカフェのお客さん向けに白坂さんの会社のゲームブランド「ジェリージェリーゲームズ」より、「ベストアクト」としてリリース。その後、この存在を知った幻冬舎の編集者、佐藤有希さんの手によって、「はぁって言うゲーム」がリリースされることに。

「『ベストアクト』は、狙った層には順調に売れていたんですが、にわかファンを広げていくという観点からは、まだまだでした。そこで、人狼でもお付き合いのあった佐藤さんより幻冬舎版のお話があったのは、渡りに船でした。

というのも、私たちは店舗経営がメインで、販売のノウハウはもってなかった。アマゾンに出してみる? 程度で(笑)。なので、書店やデパート、量販店に販路のある幻冬舎さんの流通力なら間違いないと」

その際に、幻冬舎版では、米光版のタイトル「はぁって言うゲーム」が復活。現在は、ジェリージェリーデザイン版の「ベストアクト」と2銘柄が世に出ている状態だ。

「2つのチャンネルを持つことで、より広くこのゲームを知ってもらう機会ができましたし、販売という意味では、コロナ禍で店舗営業が苦しかった時期に、こちらのチャンネルがあることで助けられたのもありましたし、私のビジネスのキャリアのなかでも、このゲームとの出会いが大きかったことは間違いありません」

そして何より、白坂さんをして「天才」と言わしめる米光さんとの出会いもまた、自己の成長には欠かせないキーパーソンだったという。逆に言うと、このゲームにとって、白坂さんとの出会いは、現在のブレイクスルーに繋がる大事件だったともいえそうだ。

※後編に続く

※この記事はWeb版GOETHEに掲載された記事を再編集したものです

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『はぁって言うゲーム』

今言った「はぁ」は、怒ってる「はぁ」? とぼけてる「はぁ」? それとも、感心してる「はぁ」?
与えられたお題を、声と表情だけで演じて当て合うカードゲーム!

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「はぁって言うゲーム」開発者インタビュー

デジタル全盛のこの時代に、大人から子供までジワリとブームを博しているアナログゲームがある。その名も「はぁって言うゲーム」だ。確かに、始めると何度もやりたくなる、面白さの真髄がつまったようなものなのだが、この快作を生み出したのが、なんとほかならぬ、一時代を築いた伝説の落ちゲー「ぷよぷよ」を生み出したクリエーター、米光一成さんだ。本作を生み出した背景から、ヒット作を創造する思考法などなど、聞きたいあれこれをぶつけてみた。

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白坂翔

1984年山梨県生まれ。防衛大学校を中退し、ウェブデザインを軸とするデザインエージェントを起業。ホストなどを経て、2010年にピチカートデザインを設立。翌年には渋谷初のコワーキングスペースとしてJELLY JELLY CAFEをオープン。現在は、ボードゲームカフェに業態を変え、日本各地に14店舗を展開。

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