
9月のあるくもりの日、西へ
「滝があるんですよ。車で西に1時間とちょっとくらい行ったあたりに」
彼はそう言ってビアグラスを勢いよく煽ると、片手を上げて2杯目を注文した。渋谷にしては落ち着きのある、小さなドイツ料理店。ソーセージ待ちの間、彼はいつになく饒舌だった。「山登りとかしなくても、駐車場から徒歩でちょっと行けば、滝の目の前まで行けるんです。ここが、もう、秋だと肌寒いくらい」
9月にはいって気温はわずかに下がったが、街にはどこもかしこもムッとするような熱気が充満していた。東京は大好きな街だ。ただ、真夏の渋谷だけは勘弁してほしい──会社員として渋谷に勤務しながら、私は毎年その思いを強くしていった。そんななか、ビール片手に語られるその滝はいかにも清涼感があり、遠い遠い桃源郷のように思えた。きっと彼もそうだったと思う。おかしくなるくらい、忙しい夏だったから。
彼は発注者、私は受注者。我々はその夏をまるまる、とある仕事に費やした。それは決して大げさな表現ではなく、大規模プロジェクトの企画・制作担当として土日も走り回るような日々だったのだ。我々の夏はどこへ消えたのか。いや、消えてはおらずただ仕事をしていたのだが──心身ともに疲労困憊となった2人が、ドイツ料理の店で慰労会をしていたのだった。
「いいなあ、滝。夏っぽいイベント、今年はなかったなあ」
そう言うと、彼はいたずらっぽい目をして笑った。
「行っちゃう? 滝。明日とか」
数日先までのスケジュールを脳内で再生し、慌てて否定する。
「いやいやいや、無理です無理。明日だって資料作って御社に出す予定じゃないですか」
「それはまあ、いいじゃない。資料は明後日でいいよ。行こうよ」
翌朝は今にも雨粒が落ちてきそうなほどの曇天だった。9時すぎに原宿駅に到着し、駅前で彼の車を待っていると「真木さん?」という声がする。驚いて声がしたほうを見ると、隣の部署のハギワラである。思わず「え、なんで」という言葉が口をついて出た。こんな時間に原宿にいる男ではないはずだ。ハギワラは数ヶ月前に生活を朝型に切り替えたところ、性に合ったらしく徐々に出社時間を早めていったからである。10時始業のところ、いつしか7時に出社するようになり、それが6時と、5時となって周囲を困惑させた。この頃には2時に出社する日すらあった。なぜ知っているかというと、私がその時間に帰宅するため鉢合わせするからである。「もはや夜型なのでは?」という疑問を何度か飲み込んだ。
ハギワラは一瞬目をパチクリさせたのち、破顔した。
「僕だって寝坊する日はあるよ」
じゃ、と手を振って駅へと向かうハギワラを見送りながら、私は今朝上司に送ったメールの文面「体調を崩したので、本日は有休とさせてください」を思い出した。嘘だとバレたら、それはそれでいいやと思った。そのくらいには、疲れていた。
車は西へと向かう道を、すべるように走った。会話はまばらだった。彼はあからさまに眠たそうな顔だったし、仕草のひとつひとつに疲労が滲んでいた。ドイツ料理店で飲んだあと、遅くまで仕事でもしていたのだろう。私は私で、会社をサボるために早朝から仕事をしていた。お互い、突然思い立ってサボれるほどであれば夏をまるまる仕事でつぶしたりはしない。部屋に帰って寝ればいいのに、なぜか滝に向かっている。そういう人生だ。
幹線道路に林立していたマンション群には次第に戸建てが混ざり始め、それもまばらになった頃、両脇の風景が山になった。「このまま、失踪とかしちゃったら面白いねえ」ふと、彼がそんなことを口にする。なんだかいいアイデアであるように思えた。高圧的なクライアントも、いるだけ無駄な上司も、面倒なギョーカイの慣習も全部捨てて、山あいの集落で暮らすのだ。本は少しあればいい。物干し竿には彼のヨージヤマモトのシャツと、私のポール・スミスのワンピースが並ぶのだろうか。しばらく質素に2人が暮らす分くらいのお金は、口座に入っている。「いいですねえ」と返しながら思う。何もかも、捨てることができたら。
霧雨のなか、東へ
車を降りると、彼は黙って私の手を引き、落ち葉を踏みしめて滝を目指した。最初はただのハイキングコースのようだったが、途中からはっきりと水音を感じた。そして、目の前がぱっと開けたと思った瞬間、目の前に滝が現れた。滝だ。滝壺を囲む大きな岩の上に、先客が2,3人いるのが見えた。彼はふっと手を話すと、滝に飛び降りた──思わず「あっ」と声が出たが、少し低い岩場にひょいと降りたのだった。何度も来て慣れているのだろう。そしてそのまま、かがんで水に触れる。写真を撮るでもなく、あたりを見渡すでもなく、彼は10分ほどそうしていた。なんとなく話しかけるのが憚られ、私は彼の背中と滝を眺めていた。
帰路は霧雨となった。傘をさすほどではないが、髪も服のしっとりと濡れる。彼がいつも寄るという店でそばを食べて心ばかりの土産物を買い、車を東へ向ける。帰路も彼は黙りがちで、カーラジオだけが陽気に響いていた。霧雨が降っていたのは山のほうだけで、東京はずっと朝のままの曇天だったようだ。
目黒まで出ると、小腹が空いたねと軽く食事をした。そしてホテルへ行き、することをして別れた。そこから季節が3回巡ったあと、私は会社を辞めた。
なんだか、そのままいなくなってしまいそうだ──水に手を浸す彼の背中にそんな印象を抱いたことを思い出したのは、随分あとになってからだ。知人から彼の訃報を聞き、信じられない気持ちで滝を見に行ったのだ。Googleストリートビューは深夜にだって、早朝にだって私を現地に連れていってくれる。
滝に出かけた秋が過ぎ、春になる前に彼の心は疲労の限界を迎えてしまったらしい。仕事つながりの、浅い──いや、浅はかな関係だった。それでも、仕事で夜も昼もなく接して、 彼の繊細な心の内に触れる機会は何度もあった。“たられば”は後悔の友だ。「あのとき、滝で背中をさすってあげていたら」「車のなかで、彼が鬱憤を晴らせるような会話をしてあげられていれば」そんな気持ちばかりが募っていく。水が真っ白なしぶきとなって立てる、滝の音が脳裏によみがえる。彼のことが、好きだった。
そして、人生で大事なことはいつだって、あとになってわかるものだ。
彼が滝に私を連れて行ってくれたことは、私にとって大きなイベントだった。飲みに行ったり寝たりするだけの関係に、デートという進展があったのだ。彼が自分のプライベート空間に招き入れてくれたようにも思えた。これから、そんな楽しいことがいっぱい、待っているのだと夢想した。だから失踪すらも、ふたり単位だと勘違いした。
「このまま、失踪とかしちゃったら面白いねえ」と彼が言ったのは、ひとりで行くつもりだったのだろう。つらい現実から逃れて、せわしない日常から解放されて。「いいですねえ」と返されて、彼はどれだけ複雑な心境になっただろうと思うと胸が詰まる。滝の前で背を向けたのは、帰路で黙りこくっていたのは──と変なつじつま合わせばかりをしたくなる。きっと、考え過ぎなのだけど。
私にできることがあったと思うのは、自分を過信しすぎだろう。セフレが言ったことが、なんか違った。その程度だったんだと思う。どう足掻いても、私には何もできなかった。できるほどのポジションでもなかった。そう思うとたまらない気持ちになるけれど、占い師という仕事をしていて思う。「相手のために、力になれる」と思うのは、きっと傲慢なのだ。占い師にできることは、占いだけ。力になっているかどうかは、ご相談者様が決めること。そういった「線引き」ができるようになったのは、彼のおかげなのだと思う。脳裏にあのときの滝の音が蘇る。好きだった、なんとか希望をつなぎたかった自分のことも。ひっきりなしに響く水音に、すべてがかき消されていく。
●エッセイのおまけとして、「喪失」という言葉から連想する本をご紹介します。
村上春樹『ノルウェイの森』上下(講談社)
実は卒論を『ノルウェイの森』で書きました。全篇にわたり静かに色濃くつきまとう喪失の濃さに慄然とします。第一章はこのように締めくくられます。「何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ」最近、オーディブルで本作に触れ直しました。
上間陽子『海をあげる』(筑摩書房)
著者の個人的な喪失から安心な生活の喪失、沖縄の海の喪失まで、痛みを抱えて生きていく現実と思いを、ストレートな言葉で綴ったエッセイ。「悲しみのようなものはたぶん、生きているかぎり消えない。それでもだいぶ小さな傷になって私になじみ、私はひとの言葉を聞くことを仕事にした」という言葉に、胸を打たれました。人の喪失は、受け止めて生きていくしかない。でもしっかりと向き合う機会の喪失、つまり私たちが今スルーしているものはきっと、ずっとあとになって「あげる」と突きつけられるのだろうな……と思うと、ニュースで見たさまざまな事象が連想されます。
原田マハ『あなたは、誰かの大切な人』(講談社文庫)
このタイトルさえつらく見えてしまう日もありましたが、今ではなんとかやっていけるようになりました。さまざまな喪失がドラマティックに描かれる大好きな短編集ですが、解説の瀧井朝世さんの言葉には強く共感します。「どんなに辛い人生だって、あなたには絶対、一人は味方がいると思っていい。それは自分自身という、最強の味方だ」