
ここ最近は比較的のんびりした生活を送っていて、昼ごろ起きて深夜に寝るの繰り返し。どっかで生活リズムを元に戻さないとと思うけれど、まぁどうせ忙しくなったら早起きするからと自分に言い聞かせている。そんな日々のルーティーンって、なんだと思います?
起床後のTwitterです。あ、Xか。それと洗濯後のX。あと食事後のXもだしお風呂上がりにもX。薄々感じてはいたけれど、いくらなんでもXを見過ぎじゃないか?! 色んな人のツイートを読むのは楽しい。気づきがあったり、考えるきっかけも生まれる。
でも、そういう良いところがありながらも確実に何かがすり減っているのを感じて、数週間前にXを消した。そうはいってもこの時代、仕事で使わなくちゃいけないこともあるからタブレットにだけ残しておいて、できるだけアクセスしにくい状況を作ってみたわけです。
今回はXについてのコラム。あいつの存在感、いつの間にこんなに大きくなったの……!
私がTwitter(X)をはじめた頃
私がXを始めたのは高校生の頃だ。スマホとガラケーの割合が半々くらいだった頃、なんとなく流れに乗って始めたそれは、すぐに超楽しいコミュニケーションツールになる。

「放課後暇な人~」と呟けば、誰かからリプが来る。「今日新宿で十八時から暇」と呟くと「一時間待ってて」「行けるよ」「(^^)/」集まりすぎて困ったこともあった。私にとってXは、返信を強要せずになんとなく友達に声をかけられる便利ツールだったのだ。
いつからかそれはできなくなった。大人になって、会ったことのない知らない人がフォローしてくれ始めた時、もう今までみたいにここで飲みに誘ったり自分の予定を発表するわけには行かないと悟った。フォローもフォロワーもどんどん増える。人が増えて見る時間も増える。そのうち、友達のツイートを見つけられなくなった。
自分がフォローしていない人のツイートも流れるようになってきて、そこからはもう、自分のタイムラインがなんなのか全くわからない。それでも、最初の頃は面白かった。テレビをあんまり見ない私に世の中で起きていることを教えてくれるのもTwitterだし。置いていかれないように、知らないことにも興味を持てるように、コラムのテーマを見つけるために……なんて役に立つんだろう。それがいつから辛くなったんだろう。
不自然な距離感の功罪
違和感を感じたのは、起床後にTwitterを見ている時だ。寝ぼけ眼でベッドの中、観念して起きようと思うまでの時間が、1日の最初のXタイムだった。ここで友達のツイートを見ていた時期は、良かったよねえ。今はもう、誰でも出入り可能になったタイムライン。そこには、こちらの状態を問わずあらゆるツイートがごちゃ混ぜになっている。
「あ~地元飲み楽しすぎる~朝日登るな!」
「今夜十時からはドラマ〇〇、見てね!」
「ハラスメントについて」
「あんまり言いたくないけど……一番良い化粧水はこれ」
「選挙に行こう」
こうやって書き出してみると異常さがはっきりとわかる。なんの関連性もない、でもそれぞれ重要な情報が、140字以内にみっちり詰まってごった返しているんだから。朝イチの脳はバグる。
友達の「地元飲みが楽しい」に対して感じた「(実際の友達に対しての)良かったね!」と同じ熱量と距離感で「ハラスメント」にショックを受ける。同じ熱量で化粧水をいいなと感じて気づいたら買っていたりもする。こんなの絶対変だ。全ての物事と私の間には、それぞれの距離感があるはずなのに。全てに対して一律の距離で反応していたら、疲れて当たり前だ。
でも、そういうバグった良さもあるにはある。きっと、私がハラスメントに関して強い熱量を持って考えたり、コラムを書いたりできたのはこの不自然な距離感のおかげだった部分もあるのだ。友達に感情移入するように、会ったことのない誰かのことを想像する。無意識のうちにそうしてしまう。
これは、自分にとって大切で必要なことだったとも感じている。実際、タイムラインを眺めていなかったら知ることもできなかった問題はこの一年だけでも沢山あった。私はその全てを、心から、知ることができて良かったと思っている。
とすると、やっぱりTwitterって必要だ。大事なツールだ。でも、見たくない時はある。見たくないことを見るのも必要じゃない? でも疲れて壊れちゃうよ。だけどちゃんと、苦しいことも認知している人間でありたくない? いたいけど、でも。でも。

一番大切なことに、ようやく辿り着いた
うにょうにょ考え込んでいるうちに、私はアプリを消していた。そのせいで、スマホに入っていた「Twitter」は次開く時、勝手に「X」に変わってしまっているだろう。名前が変わった。となれば、このアプリの存在、私との関係性が変わっても仕方ない。そのくらいの月日が流れたのだ。これといって寂しさはなくて、むしろこんな簡単な決断をするのにあまりにも時間がかかったことが悔やまれる。
朝起きて、とりあえず漫画を読むこと。本を開くこと。私の体にはこの方がずっと良いようだ。面白い漫画を読むと、自分も原稿を書こうって気になるから。問題意識を持ったり、考え込むのはその後でいい。まずは「やる」って意欲を持つのが大切なのだ。
最近の私は、Xのオタクアカウントにだけログインする生活を送っている。いや結局、こんだけ悩んでるとか言ってオタクアカウントはあるんかい見るんか~いと思った皆さん、なんかごめんね。でもこのオタクアカウントは、物凄く頑丈なタイムラインを生成しているので安全なんだ。
フォローしてようがしてまいが、二次創作しか流れてきません! もちろん、読んだことのない作品に関するものが流れてくる時はあるけど、二次創作ならオッケーなんです。一瞬でも現れた二次創作以外のアカウントは、二度と目に入らないよう全てブロックしています。ありとあらゆる手を使って、花園を作ったの。友達は誰もいないけれど、かつての憩いの場が帰ってきたような気分だ。今日も早く、二次創作を吸いたい。
時々「あ、今なら見れそうだな」って時には「長井短」のアカウントにもログインする。呟きたくなったら呟くし、告知も頑張る。でもそれは全部、一番大切なことじゃない。一番大切なことは、私の心の健康だから。
SNSにあんまり現れなくなっているけど、私は元気です!
キリ番踏んだら私のターン

相手にとって都合よく「大人」にされたり「子供」にされたりする、平成生まれでビミョーなお年頃のリアルを描くエッセイ。「ゆとり世代扱いづらい」って思っている年上世代も、「おばさん何言ってんの?」って世代も、刮目して読んでくれ!
※「キリ番」とは「キリのいい番号」のこと。ホームページの訪問者数をカウントする数が「1000」や「2222」など、キリのいい数字になった人はなにかコメントをするなどリアクションをしなければならないことが多かった(ex.「キリ番踏み逃げ禁止」)。いにしえのインターネット儀式が2000年くらいにはあったのである。
- バックナンバー
-
- 「自由」ってこんなに怖かったっけ
- 私、Twitter(X)を見過ぎじゃない...
- 歌舞伎町タワーのミラノ座で感じた、ハリボ...
- 金曜の夜、ファミレスで癒される
- みんな最近、音楽を「ちゃんと」聴いてる?...
- 新生活、やる気が出ない時には「寿司」を頼...
- コラムを書くことが最近怖くなってきたけれ...
- RADWIMPSガチ勢だって言えなかった...
- 「脱ぐんなら気をつけよう」って何よ? 俳...
- 今よりもっと「結婚」を自分のものにしたい
- 29歳になった
- 夏には恥ずかしい思い出がたくさんある
- あんたが持ってるパーツは、そのジオラマ用...
- 世界だる…って思っても“気働き”で少しで...
- 五月病を駆逐するたったひとつの方法
- 絶望がこの身に染み込む前に
- わたしは28年めの赤ちゃん
- 『呪術廻戦』禪院真希は“戦うべき相手”か...
- 年末年始に心がやられた人たちへ
- 主語がデカい発言をキモく感じる理由
- もっと見る