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逆転正義

2023.08.26 公開 ツイート

コンビニ前で佇む制服姿の彼女を放っておけない - オチまで全文公開!ミステリ短編「保護」 ~下村敦史『逆転正義』より 下村敦史

3

40歳と17歳──か。

この年齢差は何かの罪になるのだろうか。

満雄は薄闇の中でベッドに寝ている春子の影を眺めながら、改めてそんなことを考えた。

──同じ部屋で一夜を過ごすだけだ。

緊張で若干高鳴る心音を意識しつつ、深呼吸で気持ちを落ち着けた。目覚まし時計を午前7時10分に設定し、絨毯に横たわる。

絨毯が敷いてあっても床の硬さは体に感じられ、眠りにくかった。絨毯での睡眠に慣れていると答えたのは嘘だ。昔から、いわゆる“枕が変わると眠れない”タイプだった。だが、こういうシチュエーションなら、男が気遣うことが当然だろう。

満雄は目を閉じた。

視覚がなくなると、その分、他の感覚が鋭くなった。耳に忍び入ってくる彼女の息遣い──。

無防備に寝息を立てる春子の存在を意識し、なおさら寝付けなかった。

異性と二人きりの空間に緊張する。自分の部屋が他人の部屋になったようだった。今まで男女交際の経験が一度もなく、このような状況に免疫がない。

結局、朝方まで眠れなかった。

「──君」

意識の中に聞き慣れない声が忍び込んできた。

「──満君」

満雄は寝ぼけながら「え?」と声を漏らした。

「満君! 朝だよ!」

体を揺さぶられると、満雄は眼をこすりながら目を開けた。春子の顔が真ん前にあった。

「わっ!」

思わず大きな声が出て、一瞬で意識が覚醒した。反射的に上半身を起こすと、彼女が身を引いて顔を離した。

昨晩の記憶が雪崩を打って蘇る。

そうだ、コンビニで雨宿りをしていた彼女に声をかけ、部屋に泊めたのだった。

「そろそろ起きたほうがいいんじゃないの?」

はっとして後ろを振り返った。目覚ましの時間は過ぎている。無意識のうちにアラームを止めてしまったのだろう。時刻は7時20分──。

「ヤバ……」

満雄は跳ねるように立ち上がった。

「遅刻したら上司にネチネチやられる」

慌ててスーツを手に取って洗面所に飛び込み、歯磨きと洗顔をする。着替えてからリビングに戻る。

春子がキッチンに立っていた。フライパンからジューッと音がしている。

匂いでウインナーだと分かった。

「朝ご飯食べる時間くらいはあるよね?」

満雄は腕時計を見た。

「……うん」

「簡単なものだけど、作ってるから待ってね」

カーテンを開けると、昨晩の大雨が嘘のように晴天だった。

出社の準備をしながら待つと、春子がスクランブルエッグとウインナーと味噌汁を座卓に並べた。茶碗にご飯をよそい、ウーロン茶と一緒に運んでくる。

「ありがとう」

座卓に座って朝食を食べた。独り暮らしをはじめて自分で作って食べたときは味気なく、孤独を意識させられる料理だったが、こうして作ってもらえるだけで気分は全然違った。同じウインナーでも、特別美味しい気がする。

子供のころに母親が作ってくれた運動会のお弁当を思い出した。シンプルなおかずが不思議と新鮮で美味しかったことを覚えている。

食事が半分ほど終わったとき、満雄は箸を止めた。彼女の顔を真っすぐ見る。

「帰らなきゃ──だね」

大雨で困っている彼女を一夜泊めただけで、別れがすぐにやって来ることは承知の上だった。

とはいえ──。

春子が弱々しくうなずいた。

「雨も止んだし」

「だね」

分かっていたことだが、口にしたら急に寂しさが胸に去来した。彼女の優しさや包容力に癒されている自分に気づいた。

満雄は自分の感情を誤魔化すために、朝食を搔き込んだ。それから立ち上がる。

「もう仕事に行かなきゃ」

満雄は息を吐くと、春子に5千円札と部屋の鍵を差し出した。彼女が小首を傾げる。

「交通費。手持ち、ないでしょ。鍵は室外機の底にでも貼りつけておいて。セーラー服は乾かして洗面所に置いてあるから」

春子はためらいがちに5千円札と鍵を受け取った。

満雄は彼女に背を向け、後ろ髪を引かれる思いでアパートを出た。早朝の満員電車ですし詰めになりながら出社した。

仕事でミスをして朝から28歳の上司に怒鳴りつけられた。

「マジ、頭悪いな! 何度教えたら学ぶんだよ!」

満雄は惨めさを嚙み締めながら頭を下げた。

「すみません……」

「これだから中卒はよ!」

上司は都内でも有数の私立大学を卒業している。学歴を振りかざし、マウントをとってくる。

「もうちょっとおつむ使えよな。学歴違いすぎると、こっちの話も理解できねえし、マジ困るわ」

「すみません……」

謝罪して暴風が過ぎ去るのを待つしかない。ストレスの捌け口にされていることが分かっていても、逆らえない。

何度も怒鳴り散らされながら働いた。胃がきりきり痛み、冷や汗が噴き出る。

与えられた仕事は膨大で、定時までに終わることはない。自分の無能さを思い知らされる。

満雄は残業を終えてから退社した。嘆息を漏らしながら夜道を歩き、駅から電車に乗る。座席は埋まっていて、座ることはできなかった。

空席がある優先席に目をやる。

さすがに駄目だよな──。

良識が働き、座らなかった。立ったまま15分ほど電車に揺られ、最寄駅で降りた。黒雲が垂れ込める夜空の下、住宅街をとぼとぼ歩き、アパートに帰りついた。

鍵を取り出そうとして、持っていないことを思い出した。室外機の下をまさぐる。

だが──。

鍵は見つからなかった。

誰かに盗られたのだろうか。彼女が鍵を持ったまま帰ってしまったとは思わないが……。

不安を抱きながら立ち上がり、玄関ドアのノブを回した。鍵は──かかっていた。

一体どうすればいいのだろう。

大家に連絡すれば開けてもらえるだろうか。

困っていると、突然、ガチャガチャと音が鳴ってノブが回り、勝手にドアが開いた。

「……え?」

満雄は驚いて一歩後退した。

室内から顔を見せたのは──春子だった。

「おかえりなさい」

「どうして……」

春子が申しわけなさそうにはにかむ。

「帰ったんじゃ……」

彼女はか細い声で答えた。

「ごめんなさい。やっぱりまだ家に帰りたくなくて……」

「そっか……」

平静を装ったものの、内心は浮き立っていた。

「あ、鞄──」

彼女が手を差し出したので、反射的に鞄を手渡した。受け取った春子が室内に戻っていく。

満雄は自分の部屋に上がった。

「お仕事、疲れたでしょ?」彼女が鞄を置きながら振り返る。「お風呂入る? 沸かしておいたけど。あっ……勝手にごめんね」

彼女の気遣いが嬉しかった。正直、仕事で疲れすぎて、自分で風呂を洗って沸かすほどの気力がなかった。体が臭ったとしても、適当に晩飯だけ食べて、ベッドに倒れ込もうと思っていた。

「お風呂に入ってるあいだに晩ご飯、作っておくから。貰った5千円、食材に使っちゃった。ごめんね」

「全然。嬉しいよ。誰も出迎えてくれない毎日だったから、こうして、おかえり、って言ってくれる相手がいて」

春子がにこやかに応えた。

会社での苦痛が一瞬で吹き飛んだ。

「あと、これも」

そう言った彼女は着ているスウェットを指差した。

普段着になった彼女は雰囲気が全く変わって、なぜか目を逸らしてしまった。

「じゃ、じゃあ、お風呂入ってくるよ」

満雄は戸惑いながらバスルームに駆け込んだ。

風呂に入ると、ゆっくり湯船に浸かり、疲労を洗い流した。30分ほどしてからバスルームを出ると、リビングからいい香りが漂ってきた。

「肉じゃが──?」

リビングに進み入ると、座卓の中央に鍋が置かれており、肉じゃがが湯気を立ち上らせていた。

「こういうの、好きかな、って」

春子が笑みを浮かべた。

「最高!」

満雄は座卓の前に座った。向かい合う彼女が皿に肉じゃがをよそい、ウーロン茶をコップに注いで目の前に置いてくれた。

「超美味そう!」

「置いてもらってるんだし、これくらいは恩返ししなきゃ。たくさん食べてね」

「いただきます!」

満雄は肉じゃがに箸をつけた。手料理というだけで、コンビニの肉じゃがとは全然違った。

「美味い!」

彼女の表情に花が咲く。

まさか自分がこんな恋愛ごっこのような──半同棲生活をできる日が来るなんて思ってもみなかった。くつろいだ気分が疲れを溶かしていくようだ。

しばらく黙って食事をすると、タイミングを見計らった彼女が「仕事は大変?」と訊いた。

満雄は箸を止め、彼女から視線を外した。

「上司がクソでさ……」

「上司が?」

「怒鳴られてばっかり。パワハラだろ、って思うけど、サラリーマンはそういうもの、って言われたら反論できなくて」

目を向けると、彼女が同情するような眼差しをしていた。

「だから我慢の日々だよ。上司とかもっと上の人もそうだけど、みんな、多かれ少なかれ理不尽な扱いされてきてるんだよね。飲み会で芸を強いられたり、怒鳴られたり、頭をはたかれたり、無理な仕事を押しつけられたり──。でも、サラリーマンは文句一つ言わず、我慢して働いてる」

「昭和って感じの価値観。でも今はそういうの通用しないんじゃないの? パワハラを訴えてる人とかもいるよね」

「なかなか難しいよ、男は。男ならその程度は日常茶飯事だし、いちいち騒いだりしないよな、みたいな空気があって、よっぽどの理不尽じゃないかぎり、受け入れるしかなくて……」

「つらいよね、そういうの。私、働いてないから分からないけど、満君の気持ち──分かる」

「うん……」

沈黙が降りてくる。

空気が重くなったので、満雄は「春ちゃんは?」と話を変えた。

「え?」

「引きこもりって言ってたから、わけありなのかな、って」

彼女は羞恥を嚙み締めるように微苦笑した。

「私は学校に行ってたころが一番輝いてたかな。友達もたくさんいたし、毎日が楽しかった。辞めなきゃよかったなあ……」

続きを待ったが、彼女はそれ以上は語らなかった。明るい調子で手のひらを叩き合わせる。

「暗い話はやめて、食べよ食べよ!」

二人で食事をすると、彼女が後片付けをした。春子の背中に話しかけ、好きな漫画の話で盛り上がった。ジェネレーションギャップはあったが、彼女は興味深そうに話を聞いてくれた。

午後11時半になると、春子が「そろそろ寝る?」と訊いた。

「だね。少し遅くなったし」

満雄は寝る準備をすると、絨毯に横たわろうとした。

春子が「あっ」と声を上げた。

満雄は彼女に顔を向けた。

「どうしたの?」

「今日は満君がベッドで寝て」

「俺が?」

「今日もベッドを占拠するの申しわけないし……私が下で寝るよ」

「それはできないよ」

「満君の部屋なんだし」

「男はこういうの平気だし、春ちゃんがベッド使いなよ」

春子は少し考える顔をした後、つぶやくように言った。

「じゃあ……一緒に……寝る?」

「え?」

春子は気恥ずかしそうに目を逸らした。

「変な意味じゃなく……働いてる満君が寝心地悪いの、申しわけないから」

満雄はごくりと生唾を飲み込んだ。彼女はその緊張に気づいているのかいないのか、黙ってベッド脇を眺めていた。

少し躊躇してから部屋の電気を消し、ベッドに近づいた。彼女がベッドの左側に寄って、背中を向ける形で寝ている。

やましいことがあるわけではない、と自分に言い聞かせ、ベッドの反対側に寝転んだ。背中を向け合って寝る。身じろぎすると、ときおり背中同士が触れ、そのたび緊張が増した。

その日から同棲のような生活がはじまった。会社で理不尽に耐えるだけの地獄の毎日に春が訪れた気がした。

1週間があっという間に過ぎ去った。帰宅を待ってくれている存在のおかげで、ブラック企業で怒鳴られる日々にも耐えられる。

春子への想いは日増しに強まっていく。笑顔を向けられると、胸が高鳴る。

満雄は帰宅すると、玄関ドアを開けた。

「ただいまー」

室内から漂ってきたのは、から揚げの美味しそうな香りだった。

靴を脱いで部屋に入ると、春子が晩ご飯を用意していた。

「おかえりなさい」

毎日出迎えてくれる笑顔とご飯──。“結婚ごっこ”みたいな生活を楽しんでいる自分がいる。

満雄は彼女と会話を楽しみながら夕食を食べた。

「春ちゃん、何でも料理上手いんだね」

「花嫁修業のつもりで覚えたの。お父さんのためじゃなく」

「そうなんだ」

「いつか結婚したら旦那さんに食べてもらいたくて。こうして手料理を作って、出迎えて、喜んで食べてもらうことが夢」

「春ちゃんなら叶うよ、きっと」

「……うん。だといいな」

食事を終えると、満雄はゆっくり入浴した。彼女はその後で風呂に入った。

先日、彼女が日用品を買い揃えたときに買ったパジャマ姿で上がってくる。彼女は「恥ずかしいからそんなに見ないで」と言うが、湯上がりの姿は魅力的で、濡れ髪も、艶やかな肌も、石鹼の香りも、全てが扇情的だ。

つい目を逸らした。

彼女は無防備にベッドに腰を下ろした。

満雄は視線を合わせないまま、彼女と話をした。前日の日曜日に一緒に観た映画の話で盛り上がった。

深夜が迫ってきたので、彼女がベッドに横たわった。その姿を見ているだけで心音が速まる。

電気を消して同じベッドに入る。

いつもは背中合わせに寝ているが、今夜は彼女のほうを向いた。肌同士は触れないようにしていたものの、うなじから漂う彼女の香りに興奮が抑えられない。

一緒に暮らすようになってから、一人の時間がなく、溜まったものを発散させていない。

思わず春子の肩に手を回した。彼女がピクッと反応する。だが、拒否の言葉はなかった。

しばらくそうしていた。

やがて、腕の中で彼女が身を翻した。薄闇の中、彼女の顔が眼前にあった。

沈黙を経た後、春子が囁くように言った。

「……いいよ、しても」

「え?」

「私で良かったら──いいよ」

吐息を漏らすように囁かれた台詞に、下半身が昂ぶった。思考回路が麻痺していく。

満雄は彼女の体を抱き寄せ、衝動のままパジャマを脱がせようとした。

上着のボタンを外し、柔らかな胸に触れて躊躇した。

「どうしたの……?」

春子が怪訝そうに訊く。

「俺、実は、その……」

満雄は羞恥を嚙み締めた。

「何?」

「したことがなくて……」

「え?」

「童貞なんだ……」

口にして惨めさを覚え、彼女の胸から手を離した。

童貞だと知られるや、同性からはからかわれてネタにされ、異性からは引かれた。雑巾のように惨めだった。

満雄は目を閉じ、彼女の姿を閉め出した。嫌悪の眼差しと向かい合うことが怖かった。

だが──。

「そんなの、別に珍しいことじゃないよ」

彼女の口ぶりは優しく、見下したり小馬鹿にしたりするニュアンスが全くなかった。

満雄は目を開け、彼女の瞳を真っすぐ見返した。

そして──再び春子の胸に手を伸ばした。その後はひたすら無我夢中だった。

彼女と結ばれた後は、幸福感に満たされていた。人生が輝いている気がした。

しかし──。

平和な日々はいつまでも続かなかった。

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下村敦史 作家

1981年京都府生まれ。2014年『闇に香る嘘』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。数々のミステリランキングで評価を受ける。15年「死は朝、羽ばたく」が日本推理作家協会賞(短編部門)の、16年『生還者』が日本推理作家協会賞(長編及び連作短編部門)の候補に、『黙過』が第21回大藪春彦賞の候補となる。ほか『絶声』『法の雨』など幅広いジャンルで著書多数

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