
私が物語から学んだこと、物語を読む理由
物心ついて以来、毎日本を読んでいる。
晴耕雨読ならぬ、晴読雨読。体調が悪くても、受験勉強中でも、恋愛中でも……、読書時間は必ず確保。就職してからも、通勤時間やランチタイムなど、隙間時間を見つけては読書。飲み会の日に楽しみにしていた新刊が出れば、無理やり仕事は早上がり。本屋からカフェにダッシュして、「会のスタート時間まであと何分?」と焦りながら読むことも。
しかしふと周囲を見ると、本を日常的に読んでいる大人って本当に少ない。
「子どもの頃はよく読んでいたんだけれど、高校受験のあたりから読まなくなったな」
「就職したらそんな余裕なくなっちゃって。読むとしてもビジネス書くらい」
「テレビドラマやYouTubeに時間とられちゃうからね」
そんな声をよく聞く。そうか。本って、多くの人にとってはそういう存在なのか。私はきっとマイノリティなんだろうな。そう自覚してからなんとなく、自分の読書量とか今どんな本を読んでいるのかとか、そういうことは隠すようになった。「趣味は読書」ってありふれたフレーズなのに、なんか不思議。
「おいお前、小説なんか読んでるんじゃないだろうな?」
職場の大先輩に言われた一言が忘れられない。繁忙期まっただ中で、毎日残業していた頃のこと。帰り支度をするためにデスクにのせたバッグの中に、文庫本が入っているのを見られてしまった。笑いながらだったけれど、「小説なんて、仕事の役に立たないだろう」きっとそういう意味だったんだと思う。「仕事のためになるかどうかが大事なの? 小説を読むのは私の趣味です!」内心反発した一方で、その答えにも違和感があった。
ちゃんと考えたことはなかったけれど、小説は私にとって単なるエンタメではないような気がする。趣味だと割り切って楽しんでいるわけではなく、もっと自分の本質に関わる営み……そんな直感があった。でもそれをうまく説明することができず、モヤモヤしたまま日々が過ぎていった。
数年前から、本について文章を書くようになった。
ブログで、書評記事で、コラムで、繰り返し繰り返し本の紹介と感想を書く。どんなシチュエーションで読むといいかとか、どんな学びがあるかとか、この本を読んで出会った感情とか。ストーリーを要約して紹介するだけでは面白くないから、「私と本の関係」をどんどん掘り下げる習慣がついた。
100本ノックのように書いてきて、気づいたことがある。私は「これまで読んできた本」でできている。要領が良いのも説明が上手なのも変な人に強いのも、本のおかげ。物語という存在に救われてきたみたいな感傷的な話ではなくて(それはそれで事実だけど)、現実的に、物語は私を強くした。
純文学の不思議な物語も、大衆文学のぐっと人の心をつかむ物語も。より多くの「物語の構造」を知っていることで、現実を読み解きやすくなる。物事を相手に伝えやすくなる。
古典文学で見つける既に死に絶えてしまったような表現も、もしくは現代文学に出てくる来年には死んでいそうな言葉も、曖昧で中途半端な感情や状況をとらえるのに役に立つ。
表現する、影響を受ける・与える、交流する、見極める。
当たり前だけど難しいこれらの日々の営みに、小説は力を貸してくれる。今度あの先輩に会ったときには、そういうことをうまく説明できればいいのだけれど。
『生きるとは、自分の物語をつくること』(小川洋子・河合隼雄/新潮文庫)
人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶していくという作業を、必ずやっていると思うんです。――『生きるとは、自分の物語をつくること』より
映画化もされたベストセラー『博士の愛した数式』がきっかけで出会った、小説家の小川洋子さんと心理学者の河合隼雄さん。二人は対談を重ね、「物語る」という行為の持つ意味について語り合う。誰もが生きながら物語を作っている。小説家は人間であるがゆえに小説を書く。「なぜ書くか」の前に立ち尽くしていた小川さんが河合さんとの対話を通してたどり着いた境地。それは、私たちにとっても大切な人生の真理だ。
『観察力の鍛え方』(佐渡島庸平/SB新書)
「物語の型」とは、人の興味が持続するために最も効果的な装置なのだ。――『観察力の鍛え方』より
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などの大ヒット漫画を担当してきた、稀代のヒットメイカー・編集者の佐渡島庸平さん。佐渡島さんが考える、「創作に一番大切なこと」とは。人は、物事を見ているようで見ていない。そのことを自覚し、まずは言葉にしてみる。「あれ?」と感じたことは問いの形にして、仮説を立て検証する。それを繰り返してものを見る解像度を上げ、最終的に物語の型にあてはめて「語る」。人の心動かしたいと思うすべての人に向けた一冊。
『ストーリーが世界を滅ぼす』(ジョナサン・ゴットシャル著・月谷真紀訳/東洋経済新報社)
ストーリーテリングを人類に「必要不可欠な毒」と考えている。必要不可欠な毒とは、人間が生きるために必須だが、死にもつながる物質をいう。――『ストーリーが世界を滅ぼす』
どんな技術も思想も、アクセルとブレーキを両方備えていなければ欠陥品。ストーリーテリング(物語ること)は人を説得し、心を動かすために有用な武器。一方で、物語は強大な力を持っており、私たちは気づかぬうちに「強いストーリーテラー」にマインドコントロールされることがある。著者は、現代人が「物語漬け」になってしまっていると指摘し、エンタメ・宗教・戦争等を例に挙げながら、世界が物語に熱狂し、破壊される危険を訴える。
コンサバ会社員、本を片手に越境する

筋金入りのコンサバ会社員が、本を片手に予測不可能な時代をサバイブ。