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本屋の時間

2022.12.15 公開 ツイート

第147回

優しさと苦さについて 辻山良雄

哲学と言うと大げさだが、店で購入される商品に関しては、できるだけ介入せず、なるべく自然の成り行きに任せるよう心掛けている。店主という立場には、店内で起こる出来事に対し、ある程度それを差配する力がある。だからその力を思い通り使うことに慣れてしまい、物事がおかしな方向に流れていくことをいつも警戒しなければならないのだ。

 

例えば先週、沢木耕太郎の新刊を買った男性がいた。超がつくほどの有名作家だが、なぜかTitleでは単行本の実績がなくて、新刊が出ると棚に一冊並べておく程度。ではなぜ一冊並べるのかといえば、常連のKさんがそれを高い確率で買っていかれるからで、その沢木耕太郎はいわばKさん用に仕入れたようなものだ。しかし、ここでわたしがそれを買おうとした男性に、「その本はある人のために仕入れたものなので、買うのはどうか控えてほしい」と言えば、彼はどう思うだろう?「それなら出しておくなよ」と憤ることはもちろん、目のまえの出来事に何かしら不当なものを感じ、腑に落ちないのではないだろうか。

だからこれから書く二つの出来事は、一種のファンタジーだと思って聞いてほしい。たとえそれがどんな店でも、店主が勝手に扱っている商品の購入先を決めてはならないのだ。

 

先日まで店のギャラリーでは、紙版画家の坂本千明さんの展示を行っていた。坂本さんの主なモチーフは猫で、展示の度に多くのファンがその作品を求めて会場を訪れる。今回の目玉は、写真家で箱作家でもある細川葉子さんとコラボレーションして作った「箱」。素人目にはまったくわからないが、版画の制作過程で刷り損じた紙を使用した、一つずつが作品とも呼べるものだ。この箱が大変な人気で、49個用意していたものがわずか数日のうち、あっという間になくなった。

箱が売り切れた日の夕方、レジまで来た若い女性が、会計を済ませたあと控えめに尋ねてこられた。

「箱はもう売り切れたのですよね……」

わたしは「はい」と答えたが、実はその日の夜、もう一つだけ追加が入ることを知っていた。正確に言えばそれは追加ではなく、もともと納品された内のひとつを、細川さんが補修のために持ち帰っていたものだった。

そのまま何食わぬ顔でやり取りを終わりにしてもよかったが、その女性にはなぜか感じるところがあり、わたしは気がつけば「実は今日の閉店前、ひとつだけ追加が入ることになっていて……」と伝えていた。在庫を尋ねられたのは箱が売り切れてからはじめてだったので、それでもよかったのかもしれない。しかし追加分は、再納品後すぐ店に出そうと決めていたから、その時は自分が行き先を変えてしまったようにも感じられた。

撮影:Hさん

その女性が語ったことによれば、彼女は昨年までTitleがある杉並区に住んでいたが、体調を崩すようなことがあり、実家のある山梨県に戻っていた。しかしその体も少しずつ回復し、こうしてまた東京まで来ることができるようになったという。

彼女は細川さんが持ってきた、修繕された箱を一目見て気に入り、それを購入した。

「いま、実家に猫が寄りつくようになり、ごはんをあげて少しずつ距離を縮めているところです。坂本さんの絵本の話と重なるところがあると思って……」

彼女はうれしそうにそう話した。細川さんが修繕のためその箱を持ち帰らなければ、箱は誰か別の人のもとに渡っただろう。それはそれでよいことだが、この時はもう少し積極的に、彼女のもとに渡ってよかったと思った。

 

その展示ではささやかに小さなコーナーを設け、坂本さんの版画も売っていた。実はそこに描かれた猫のモデルはわたしが飼っている三匹の猫で、そのうちの二匹は店の近くに住むHさんにより保護された。Hさんは展示の初日、早々に会場まで来て、草むらから自らの手で保護した猫が版画になっている姿をよろこんでくれた。

「最後まで残っていたら(版画を)買います」

彼女はそう言って帰っていったが、その控えめな行動は、編集者としての職分からだったと思う。

展示がはじまってしばらく経ったある日の閉店後、会場には版画のシートが一枚だけ残っていた。それはHさんがその動向をいつも気にかけている猫。わたしはシートに描かれた猫を眺めているあいだ、自分が彼女にそのシートを持っていてほしいと望んでいることに気がついた。

結局その版画シートは、わたしと、行きがかりじょうそれに賛同してくれた坂本さんとが共同で購入し、Hさんに差し上げることになった。順番として最後に残った一枚を、誰かが買ったことには違いがなく、辻褄は合うのかもしれない。それが自分に対しての苦しい言い訳なのは、もちろん承知しているが……。

 

繰り返すがファンタジーである。

これでよかったのかと言えば、タイムスリップ先で未来を変えてしまったマーティ・マクフライのように、いつも少しの苦みが残る。

ただ、そこに苦みを感じられなくなったのなら、その時こそは、この仕事を辞めてしまったほうがよいとも思うのだ。

今回のおすすめ本

ウマと話すための7つのひみつ』河田桟 偕成社

日本のはしっこ、与那国島で馬と暮らす河田さん。動物と少しでも通じ合えたときのうれしさが、この絵本には余すところなく描かれている。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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