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本屋の時間

2022.09.01 公開 ツイート

第140回

彼女の大切な本 辻山良雄

八月に入ってからというもの、Titleでもっぱら話題の人といえば、なんといっても校正者の牟田都子さんだ。牟田さんは、校正にまつわるエピソードや思いを綴った、自身初の単著となるエッセイ『文にあたる』を出版したばかり。先日二階のギャラリーにて、その出版記念展を行った。展示は、ふだん彼女が使っている辞書や見台(けんだい)といった仕事道具を持ち込み、校正者の仕事部屋を再現するとともに、壁一面に『文にあたる』のゲラを貼り巡らせた。初校→再校→念校といったプロセスを経て、原稿が次第に仕上がっていく過程を見せながら、著者と校正者、編集者がどのようなやり取りを重ねるのか、通常読者が見ることのない舞台裏を見せようというのだ。

 

はたしてゲラを貼るだけで、展示といえるものになるのだろうか。

最初彼女から企画を持ち込まれたとき、そうした疑念を感じたのも事実である。だが、その世界にどっぷりとつかっている人ほど、日常接しているものの価値に気づいていないということもあるのだろう。期間中展示には多くの人が押し寄せ、「とても勉強になりました」「こんなにいい展示をありがとうございます」など、興奮冷めやらぬままその感想をわたしに伝えて帰る人も多く、そのたびにわたしは自らの不明を恥じることになった(ほんとうにすみませんでした)。

牟田さんとはじめて会ったのは、わたしがまだ店を開くまえ、荻窪の6次元で行われたイベントのあとだったように思う。「〇〇社で校正の仕事をしています」。そのように自己紹介され、同じ本の村にいる人なんだと親しみがわいたが、その時はまだ彼女のしている仕事を、はっきりとした姿で思い浮かべることはできなかった。

それ以降、牟田さんのツイートが流れてくるとその内容を追いかけるようになったが、そこで出会った人や見た展示の感想とともに、そこには自らの校正の仕事に対する〈ふりかえり〉が必ずあった。

展示を見にきた人の中にも、そうした牟田さんの仕事に対する姿勢を知っていた人は多かったのだろう。いま、ここで行われている展示ではあったが、これまで多くの本のある場所に足を運び、自らの仕事について発信もつづけてきた、彼女の積み重ねた時間が形となって現れているようで、見ていると静かに胸が熱くなった。

展示会場には、主に『文にあたる』に登場する本を並べていたが、会期前、「ほかに何か置きたい本はありますか」と牟田さんに尋ねたところ、『口笛を吹きながら本を売る』という書名がすぐに返ってきた。

かつて神保町にあった書店、岩波ブックセンターの代表だった柴田信さんに、ライターの石橋毅史さんが話を聞いたこの本だが、『校正のこころ』『図書館のプロが教える〈調べるコツ〉』といったそれらしいタイトルの本に囲まれると、どこか所在なくぽつねんとして見えた。会期中、わたしはどういうわけだかこの本のことが気にかかり、展示が終了したあと一冊買って帰ることにした。

『口笛を吹きながら本を売る』の魅力を、それを読んでいない人に伝えることは難しい。本書によれば柴田さんは、「過去になにかズバ抜けたことを成し遂げた人」ではなく、「書店員として特異な技能を発揮してきた」わけでもない。そして「経営者として大きな成功をした」ということでもないらしい。いわばないないづくしのどこまでいっても「普通」の人。しかし読んでみると、これが滅法面白かった。

訊かれたことには直接答えず、飄飄と石橋さんをけむに巻く柴田サン。振り回され、困りはてながらも取材対象に食らいついていく石橋さんは、どこかその状況を楽しんでいるようにも見えたのだが、その掛け合い、間合いが、本書の読みどころのひとつ。

「別に役に立つことなんて言わなくてもいいじゃない。ま、目立つことはせず、普通にやろうよ」

実際にそんな台詞が書かれていたわけではないが、そうした声がページの合間から聞こえてくる。

そして雑談のような会話には、書店の本質とも言えそうな「普通」な話が、さりげない口ぶりでさらりと差し挟まれる。

「書店の日常とは、“みんなで本を売る”ことだ」

「自分の好きな本だけじゃなくて、嫌いな本も興味のない本もあって、全部売るのが書店ですから」

それぞれの人や本を、等しく見ることができる方だったのだろう。その「あたりまえ」の視線を獲得することが、どれだけ難しいことか。

 

人には誰でも、ひそかに大切にしている本があるのだろう。決して派手とはいえないこの「普通」な本を、牟田さんはどうして選んだのだろうか。勝手にそう思っただけだが、彼女の奥にある、変わらぬ芯を見たような気がした。

今回のおすすめ本

雲ができるまで』永井宏 信陽堂

朝の散歩、昨日誰かと食べたご飯、カーテン越しから部屋に差し込む光……。気持ちよいと感じた瞬間を、その時の気持ちに忠実に、自分の言葉で書くこと。それが〈表現〉のはじまりなんだ。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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