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親父の納棺

2022.08.13 公開 ツイート

コロナで会えない ―親父の病、ボケ、そして死。 その3 日暮えむ/柳瀬博一

コロナ禍、身近な人を亡くして、十分なお別れができなかった――という方は多いのではないでしょうか。東工大の教授(メディア論)である著者・柳瀬博一さんは87歳の父を亡くし、納棺師の女性の勧めで、突然、父親の「おくりびと」になりました。そのリアルな体験から、家族の死とどう向き合うのか? というプリミティブな感情を綴った『親父の納棺』より冒頭をお届けします。優しい挿絵は『ひぐらし日記』の日暮えむさんです。

*   *   *

このとき、86歳の親父は元気だった。

翌日3月1日、日曜日。朝から日差しが暖かい。春だ。

庭に面した和室。床の間にはひな人形が飾られていた。妹が生まれたときに買ったものだ。私が小学2年生のときからずっと見ているまんまる顔のひな人形。

その和室の襖を開け、濡れ縁に座る親父と母を撮る。

これからも何度も春になると、二人のこんな写真を撮るんだろうな。ぼんやりそう思ったことをなぜか覚えている。

昼になる前、親父と母を車に乗せてドライブをした。

街の中心から北に延びる古い街道をずっと走る。行きつけの鰻屋に入る。

せっかくだ、特上を頼もう。サイドメニューには、浜名湖産のカキフライを。

親父は健啖だった。

分厚い鰻をぱくぱく食べ、飯粒ひとつ残さなかった。

「うまいねえ」

「うまい」

腹ごしらえが終わり、街道をさらに北上し、大きな川を渡り、山間の道を抜け、水をたたえたダムに着いた。

親父と母がまだ自分たちで車を運転していた頃、夫婦二人できたという場所だ。梅が満開だった。山の峰に、風力発電の風車がのんびり回っているのが見える。

「今度は、かみさんと娘も連れて、このあたりの桜を見にきたいなあ」

「ま、来年か、再来年か、コロナが収まる先だね」

帰りの車中で、親父と母とそんな話をしながら自宅に戻る。

夜中11時すぎ、私は東京に戻るため家を出た。翌月曜日には、朝から仕事がびっしり入っている。

「じゃあ、また」

「おう、また今度」

親父と母が、自動車の窓から手を振る私を見送る。

「今度」はなかった。

生きた父と実家で過ごしたのは、これが最後となった。

3ヵ月後の2020年6月。親父が突如、夜、家の中で倒れて、起き上がれなくなった。そのショックのせいだろうか、誰が誰だかわからなくなった。

もともと心身ともに老いが進行していた。いささか認知症の気配もあった。それでも母のサポートでなんとか「普通の生活」をこなしていた。

この日、親父の状態は、心も体も一線を越えた。

母は救急車を呼び、親父はそのまま入院となり、そして家族の誰とも会えなくなった。

新型コロナウィルスの感染者は増える一方で、東京オリンピックの開催が翌年に延期になった。

欧米ではたくさんの人が亡くなっていた。テレビをつければ、ニューヨークで遺体がそのまま埋立地に埋葬される映像が流れていた。比喩ではなく、戦争状態だ。目に見えないウィルスに、人間たちは指数関数的な速度で侵されていった。

ワクチンも、治療薬も、まだ影も形もなかった。

病院では、全入院患者が面会謝絶だ。電話での会話ですら対応してもらえなかった。

私や弟が東京から向かって、会うことなどもってのほかだった。なにせ、地元にいる母ですら病院に入れないのである。

入院してからさらに3ヵ月後、そんな私たち家族が親父に直接会うチャンスが訪れた。2020年9月のことである。

実家で突如として立ち上がることができなくなり、胃腸の状態が悪化し、さらには記憶力も低下した親父だったが、病院の治療の甲斐もあって体力は徐々に回復した。ようやく退院の目処が立った。

とはいっても、心身ともに相当衰えてしまっている。退院しても、母一人での介護は難しいだろう。コロナの心配もある。

家族の見解は一致した。特別養護老人ホームへの入所が決まった。幸いなことに自宅から2キロ足らずの近所にある。

老人ホーム行きを決めた頃に、病院から連絡があった。

「お父様の体力が回復したので、エレベーターホールでならば、みなさんで会う時間、つくれます」

東京から自動車で実家に到着した私と弟は、母をピックアップし、日曜日の病院に向かい、1階のエレベーターホールで親父を待った。

オフィシャルには会えない。だから病室には行けない。いまにしてみれば、病院側の特別の計らいだった。

エレベーターから車椅子に乗って降りてきた親父は、存外元気だった。

「おお、ひさしぶり」

女性の看護師さんが二人付き添ってくれていた。

「3人とも海外に行ってたのか?」

海外には妹家族が住んでいる。

親父、それ、妹だよ。俺たちは東京からだ。

「お父さん、博一ですよ」

母が言う。

「博一か」

ぎりぎりわかっている……ようである。

看護師さんのサポートで、車椅子から立ち上がる。

そのまま、てくてく歩き始める。

「歩けるじゃない!」

母がちょっと喜ぶ。

「わあ、ちゃんと歩けますね」

看護師さんが笑う。

「親父、ほめられたね」

と私。

「冗談言うな」

ニヤつく親父。まんざらでもなさそうである。

20分間の再会。

再び車椅子に乗り、看護師さんにサポートされ、エレベーターに乗る親父を見送る。

「またね」

「海外に戻るのか?」

戻りません! ……もしかすると、親父、本当に海外旅行に行きたかったのかもしれない。

エレベーターホールで会話したこのときが、生きた父親と直接顔を合わせた最後の瞬間だった。

病院の外に出た。夏の生き残りのクマゼミが鳴いていた。

1ヵ月後、病院を退院した父親は、予定どおり特別養護老人ホームに入った。

老人ホームでも、コロナ対策でいっさいの面会が不可能である。電話での通話も難しい。老人ホームなどでのクラスター発生、そして死亡というケースが全国でたくさん報告されていたから、ごく妥当な対策である。

が、まったく会えないのは、老いた親の介護において重大な問題をはらんでいる。入院して以降、親父は急速にボケが進行していた。

そりゃそうだろう。家族とのコミュニケーションがゼロなのだ。会わなければ会わないほど、やはりボケの進行は速くなる。このままだと、コロナが収まって会えるようになる頃には、家族のことをまったく思い出せなくなるかもしれない。

それは、困る。どうするか。

神を呼ぼう。

私は2020年4月から仲良くなった「神様」を呼び出すことにした。

Zoom神である。

関連書籍

柳瀬博一/日暮えむ『親父の納棺』

東工大の教授(メディア論)である著者が、納棺師の女性の勧めで、突然、父親の「おくりびと」になったリアルな体験から、家族の死とどう向き合うのか? というプリミティブな感情を綴る。遺体の着替えをやるなどして考えた「死者へのケア、死者からのケア」についての論考と、「コロナ禍」で向き合う家族の死と「Zoom」の関係も。付章として、養老孟司さんと、「おくりびとアカデミー代表」木村光希さんへのインタビューも収録。

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日暮えむ

成田市在住。利根川沿いの田園風景が広がる豊住地区に生まれ育つ。小3のとき、担任の先生からすすめられて日記を書きはじめ、以来1日もかかさず続けてきた。その日記をもとに、昭和・平成・令和へとまたがるエッセイ漫画「ひぐらし日記」(コミックNewtype)、「新ひぐらし日記」(cakes)を執筆。2019年、幻冬舎×テレビ東京×note「コミックエッセイ大賞」で審査員特別賞を受賞。2022年に初の著書『ひぐらし日記』(KADOKAWA)を上梓。

柳瀬博一

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。1964年生まれ。

慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し「日経ビジネス」記者を経て単行本の編集に従事。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。「日経ビジネスオンライン」立ち上げに参画、のちに同企画プロデューサー。TBSラジオ、ラジオNIKKEI等でパーソナリティとしても活動。2018年より現職に。著書に、『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著)が。初の単著となった『国道16号線』(新潮社)が2020年11月上梓以来好調。

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