1. Home
  2. 生き方
  3. あぁ、だから一人はいやなんだ。
  4. 第182回 ファミリーヒストリー

あぁ、だから一人はいやなんだ。

2022.07.30 更新 ツイート

第182回 ファミリーヒストリー いとうあさこ

昨年の秋頃だったかな。私にNHK「ファミリーヒストリー」のお話が来た。以前から妹にも「依頼が来たらやってよ」なんて言われていた番組。私が15歳までは父方、母方共に祖父母が4人揃っていたので、たくさん交流があり、思い出は山ほどある。

父方の祖父母は隣に住んでいたので、毎日のように顔を合わせていた。祖母は洋裁の先生で家にある作業場には生徒なのか弟子なのか、よく人がいた。ちっちゃいあさこちゃんはその作業場に行っては針に糸を通す、というお手伝いをして10円もらったりしていた。編み物も祖母に教わったのですが、どうやらそのやり方が一般的なのとは違ったようで。中学だか高校の家庭科の授業で編み物を教わった時にはもう、祖母の編み方が身体にしみついていて直せず。ただ、とにかく早く綺麗に編めるもので先生も「それでいいです」と言ってくれた。2~30代の手編みブーム(なんてホントにあったのか?)の時は好きな殿方にセーターから始まり、最終的にはジャンバーを編み上げるまでいっていた。

 

祖父は毎朝コーヒーを入れてウチに持ってきてくれた。基本は両親の分だったと思いますが、いつも多めに持って来てくれるので、うちら子供たちはそのコーヒーにたくさんお砂糖と牛乳を入れて甘くして飲んでいた。よく年子の妹と祖父のところに行って遊んでいたが、ある日妹が大きな飴玉を口に入れている時に私がふざけてしまい喉に詰まってしまった事が。祖父がすぐに対処してくれたので大ごとにならずに済みましたが、その時ちゃんと強く叱られた。でも祖父が怒った記憶はその一回だけ。とにかく穏やかで優しい祖父でした。

母方の祖父母は大磯におうちがあってよく遊びに行った。母は5人兄妹の為、いとこもたくさんいて、みんな本当に仲良く、大磯に集まっては泳いだり山登ったり大騒ぎ。祖父は真ん中に座ってそれをニコニコ見ていた。祖母は叔母や母たちと台所で食事の準備をしてくれている。あの時の御飯の香りやお庭の草の匂い。年末みんなでついたお餅の熱さと食べた時のあの柔らかさ。近くを通る貨物列車の音。五感でよみがえる思い出がたくさんある。

ただ考えてみると祖父母の人生がどういうものだったのかは知らない。そして当時、特に知ろうともしなかった。なんて言うんでしょうね。祖父母は“今そこにいる祖父母”なわけで。前に中高の先生と大人になってから飲みに行った時、先生が“ピーマンが好きじゃない事”を知り、変な言い方ですけど“先生”だったのが“人間”になったというか。その時見えているものがすべて、みたいな感じだったのかなぁ。とにかく祖父母は、ただ、祖父母だったんです。

だからこの機会に初めて自分のルーツ、歴史と向き合ってみよう、と。でももちろん家族を預けるわけですから。信用できない方だったら無理。そんなわけで昨年11月、都内の会議室みたいなところでディレクターさんとお会いしたのです。私の不安はすぐになくなりました。私と同い年の男性で、声が優しく、話していてもとても安心。質問してもその答えにちゃんと心があって「この方なら大丈夫」とすぐ安心したのを覚えています。もちろん本人の許可が必要なので両親と兄、妹に連絡してOKをもらいディレクターに家族の連絡先を渡して、私の仕事はここまで。あとはもう全部お任せ。何がどうなっているかなど何も知らされず、半年以上経った今年6月、とうとう何度もテレビで観ていたあのスタジオへ参りました。実はその収録より前に自分の予告がテレビで流れているのを観ましてね。もう知りた過ぎて何度もスーパーコマ送りでその予告を観たりして。知らない方や家系図みたいなものが映っているのはわかったけど、詳細はわからず。そんなのスタジオで素直に観ればいいのにせっかちです、私。

今回「ファミリーヒストリー」は父方母方両方の祖父側の歴史だった。元々知っていたのは、父方の祖父が養子で、元々は“吉田”だったこと。子供の頃、よく外耳炎になった私が通っていた目黒の耳鼻科は、先生が“吉田”でじーちゃんの兄弟だ、ということ。故郷が寄居の方で、昔家族で遊びに行ったこともある。そして母方の祖父は関東大震災で内装品や家具が木製だった為、石造りのビルでさえ中がすべて燃えてしまったのを見て、スチール製の本棚を作ったこと。大人になって自分の近所の区立図書館の本棚を見たら、祖父の会社のもので嬉しくなって写真を撮ったこともあります。このくらい。でもその歴史の中にはもっともっと細かくいろんな出来事があった。当たり前ですけどね。今回はその詳細を聞けたのが楽しかった。ずっと家にいて遊んでくれていた優しい父方の祖父が、尊敬する伊藤新作さんという方の死後、伊藤家に養子に入り、バリバリ仕事をしていたけれど、結核になって仕事を辞めてしまったこと。母方の祖父もすぐにスチール家具が売れたわけではなく、元々木の温かみを大事にしていた日本人からは冷たく感じられたのか売れず。自分の父親が商品化はされなかったけれど、ベニヤを高級なマホガニー調の木目に塗り替えていたのを思い出してスチール家具を塗ることで売れていった、とか。いろんな歴史を経て、今自分がいる。改めてそう思うことができました。時に真面目に、時にユーモアを持って、とにかく決めた事、信じた事をまっすぐ力強く進んできた自分の祖先。その血が流れているんだ、という事を全身で感じまくりながら、私も人生を進んでいきたい。なんて言いながら、これを書き終わったら一旦ソファでゴロゴロする予定。祖先の皆様、こんな子孫ですがどうぞこれからも見守ってやってください。ふんばって生きていきます。

 

【本日の乾杯】ぷっくり大きい蛤の上には豆苗。その豆苗が蛤の美味しいスープを吸いまくりでどこ食べても蛤がやってくる。口に残る旨味だけでもお酒いけるわ。それにしても豆苗見ると1回は阿佐ヶ谷姉妹思い出すようになっちゃってる、私。

関連書籍

いとうあさこ『あぁ、だから一人はいやなんだ。2』

セブ旅行で買った、ワガママボディにぴったりのビキニ。いとこ12人が数十年(?)ぶりに全員集合して飲み倒した「いとこ会」。47歳、6年ぶりの引っ越しの、譲れない条件。気づいたら号泣していた「ボヘミアン・ラプソディ」の“胸アツ応援上映”。人間ドックの検査結果の◯◯という一言。ただただ一生懸命生きる“あちこち衰えあさこ”の毎日。

いとうあさこ『あぁ、だから一人はいやなんだ。』

ぎっくり腰で一人倒れていた寒くて痛い夜。いつの間にか母と同じ飲み方をしてる「日本酒ロック」。緊張の海外ロケでの一人トランジット。22歳から10年住んだアパートの大家さんを訪問。20年ぶりに新調した喪服で出席したお葬式。正直者で、我が強くて、気が弱い。そんなあさこの“寂しい”だか“楽しい”だかよくわからないけど、一生懸命な毎日。

{ この記事をシェアする }

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP