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本屋の時間

2022.06.01 公開 ツイート

第135回

数年後のブーメラン 辻山良雄

以前勤めていた会社では、夏と冬の年二回、「社販キャンペーン」と呼ばれた、社内販売コンクールが行われていた。それは「企画もの」といった、大手出版社が発行する高額な図鑑や全集をメインの商材として、家族や知り合いを巻き込み、特別価格で買ってもらおうとするキャンペーンのこと。各店・各部門には高いノルマが課せられ、成績が悪い店の店長は、会議の席上、こんな時だけ活き活きとして見える上司から、ネチネチ叱責されるのが常であった。

 

店を訪れる営業の人たちもよくわかっていたのだろう。その時期になると決まって店には立ち寄らなくなるのだが、実家の母親からは、彼女の方からチラシの催促がきた。

どうせ買わなきゃアカンのやろ。それやったら何があるか、早く教えて頂戴。

会社では書店以外にも、カフェやコスメの店も経営していたから、キャンペーンの商材には、ビールやみかん、美顔器、クルーズチケットなんてものまで用意されていた。しかし母が買うのは、決まって本。本屋では本を買うのがあたりまえだと、生真面目に考えていたのかもしれない。

ある年、母から返ってきた申込書には、小学館から刊行になったばかりの、「全集 日本の歴史 全十六巻」にチェックが入っていた。わたしはすぐさま彼女に電話した。

「これ、結構難しい本やで。全部で三万円以上するし、そんな無理せんでもええって」

「全集 日本の歴史」は、百姓や海民といった、それまで歴史では採り上げられることの少なかった存在にも着目した、画期的と言われた全集であった。しかし、母がそんなことをわかって買っているとは到底思えない。

「ええねん」

「でも……」

「これが読みたいねん。今年はこれにするわ」

と、話はそれきり終わった。言い出したら聞かない人なのだ。それからは新しい巻が刊行されるごとに、この本読んでいるのかなと思いつつ、「全集 日本の歴史」を、神戸の実家まで送ることになった。

それから何年が過ぎたのだろう。二〇一三年の春、母の胃に広がっていたガンが見つかり、八カ月の闘病の末、彼女は愚痴を言うこともなく、あっさりとこの世界からいなくなってしまった。

わたしは母が亡くなったあとも、誰も住まなくなった家を整理するため、しばらくは神戸まで通っていたのだが、ある時見舞いで渡した数冊の本と一緒に、「日本の歴史」が全巻、本棚に並んでいるのを見かけた。

そういえばむかし、毎月送っていたことがあったな。

思いがけない再会に、「旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記」と書かれた最初の巻を開いてみると、小さく切ったメモ紙が数枚、開いた本のあいだからパラパラと下に落ちていった。

思えば母は何でもすぐにメモをとる人で、テーブルの上にはチラシやコピー用紙で作ったメモ紙が、山のように積まれていた。本に挟まっていたメモには、チマチマと細かい、あのなつかしい字で、

「毎日少しずつ読むこと」

「『〇〇』を借りてくる」

「あたらしい歴史の新機軸!」

などと書き込まれている。

全集は、室町・戦国時代までは読んだ形跡があったが、それ以降の巻はきれいなままだった。大阪で生まれ、学生時代は京都で過ごしたあと神戸に嫁いだという、典型的な関西の女性だったから、世の中心が東に移った江戸時代以降は、あまり興味が持てなかったのかもしれない。

なんやねん新機軸って……。どこでそんな言葉覚えたんや。

母の書いた字を見ていると、彼女の声が直接、心のうちまで聞こえてきたような気がした。それは誰に見せる気もない、ひとりごとのようなことばだったから、余計に不意をつかれたのかもしれない。母は母なりに、必死になってその本を読もうとしていたのだ。誰もいないその部屋で、わたしは不覚にも少し涙ぐんでしまい、しばらく本棚の前を離れることができなかった。

 

結局、わたしは全集を処分することはせず、それを家まで持って帰ることにした。わたしは自分の本棚に並んだ「日本の歴史」を見るたびに、その不思議な来歴を思い出し、少しだけ深遠な気持ちになるのである。

 

今回のおすすめ本

『ちゃぶ台9 書店、再び共有地』ミシマ社

ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台』。いま、書店に代表されるような〈なんでもない〉場所が、自分の心を解き放ってくれる存在として再び脚光を浴びている。論考、イラスト、小説など、めくる楽しみを思い出す雑誌。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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