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想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

2022.05.25 更新 ツイート

保育園問題…慣らし保育は誰のため? 夏生さえり

育児のなにが大変って、離乳食でも、オムツ替えでも、夜泣き対応でもなくて(大変だけどね……)、ちいさなことからおおきなことまで、ありとあらゆる「どうする?」にまみれて、日々観察→検索→選択→実行→修正のサイクルを続けなければならないことだと思う。おもちゃ、何買う? テレビはどのくらい見せる? どうやって寝かしつける? 何時にお風呂にする? 今日の気温だと長袖? 半袖? 夜泣きのときどうする? 離乳食、いつ始める? どう進める? と悩みは尽きなくて、検索したとて正解なんてないことばかり。

 

そのなかでも、めちゃくちゃに難しい問題が、保育園よ。

おもちゃや離乳食とは違って、一度決めたら生活がガラリと変わる保育園通い。「1歳半くらいから入れたい」とか「あともうちょっとして、決心がついたら申し込みたい」とか「たまに行って欲しい」とか、そういう柔軟な選択ができたらいいのだけど、大体の場合は4月入園のために11月ごろに募集がかかり、そこを逃せば「中途入園」となって、空きのある保育園しか入れない。また、0歳児クラスは入りやすいが、1歳児クラス以降になると(0歳児からエスカレーター式に上がっているわけだから)空きのない保育園も多く、早めの決断が求められる。どうしよう、どうしよう、うちの子、もう預ける? どこの園に? 預けるなら週何日? 何時から何時まで? っと、考えることの多さと重さが、尋常じゃないのだ。

本音を言えば、仕事もめちゃくちゃしたいし、育児もめちゃくちゃしたい。でも、いくらフリーランスで在宅勤務ができる私でも、そんな超人的なことはできないのよね。大学生の頃、「家でできる仕事に就けば、子どもを見ながら家で仕事ができる」と夢想したこともあったけど、とんでもない。

生後まもないころは、子は寝たり起きたりを繰り返してよく泣き、仕事をするどころか食事をする間もないくらいだし、だんだんと月齢が高くなってくると今度は起きている時間が長くなって目が離せない。徐々に母親業も板についてくるころには、後追い泣きが始まってゆったりとトイレにも行けない暮らし。パソコンに向かって集中するなど、できるはずがない。もちろん、朝まで起きないタイプの子であれば子を寝かしつけた後に(自分の体力に余裕があれば)仕事をすることもできるけど、これはもう子どもの性質次第。我が息子はなんども起きて、パソコンを開いたら泣き、少し集中した頃に泣き、という具合で、まとまった時間は取れなかった。

それでもどうしても仕事がしたかった私は、日中に両親と夫の手をフルに借りて、週のうち3~4日程度数時間仕事をしていたけれど、これはなんとも恵まれた環境でしか有り得ないのよね……。それに、そんな風に手を借りても、仕事量は産前の半分以下しか回らない。このまま、幼稚園に入る3歳まで生活するのは、ちょっと現実的ではないだろう。

仕事のための時間確保の面だけじゃなくて、体力的な面も心配。今はまだいいとして、このさき息子は歩き、走り、ものすんごく色々なものに興味を持ちまくり……と、そんな息子を週7で思い切り遊ばせてあげられる自信もない。きっと保育園に行けば、家庭ではできない体験をして、体を目一杯動かし、社会性も身について……息子にとっていいことだらけなのではないか? と思っていた。それに、0歳から預ける……と言っても、同じ0歳児クラスのなかでは5月生まれの息子は月齢が高く、3ヶ月とか4ヶ月から預けるしかなくなった親の不安な気持ちとはずいぶん違うはずで、「0歳から預けるなんて……」とメソメソする資格(?)もないような気がした。

ということで、あんまり深く考え込みすぎず「いちお、保育園、入れよう!」くらいの感じで、心配事の一切をうやむやにして進めていくことにしたのだった(そもそも保育園に入れるのだろうか? という不安もあったけれど、私の住む地域は待機児童がゼロな上に保育園事情はなかなか手厚く、フリーランス夫妻かつ両親が近くに住んでいても点数が引かれることもなくて、ホッ。「保育園落ちた、日本死ね」の時代から考えると、数年で保育事情はかなり改善されているのだろう。そうは言ってもまだまだ地域によっては保育園は激戦で、希望する保育園に入れなかった友人も多くいる)。

保育園見学においては、2歳の子を持つ姉が手厚いアドバイスをくれた。

「保育士さんの職場環境がとても重要だと思うから、雰囲気を見るだけじゃ無くて、もしもこの職場に合わない保育士さんがいたときに、転園できるのか(公立であれば転勤があるし、私立であってもその保育園が何園か経営していれば、転勤は可能なのではないか)が非常に大事だと思う」

「園庭がない場合に園児が行く公園をチェックせよ。もしも他の園児と混み合うような公園だと、保育士さんたちも神経を研ぎ澄まさなければならずのびのびできない恐れがあるのでは」

「できれば、保育者=女性、と子どもが先入観を持たないよう、また遊び方や関わり方に多様性があると知るのもいいことなので、男性保育士がいると良いのでは」

などの目からウロコな、姉ならではの個性的な視点も参考にしながら見学をした。どの園が良いのか、どの園は悪いのか。そんなものはないんだろうけど、悩んで、悩んで悩んで、結局「園庭の広さ」と「園児の数」を重視して保育園を決めた。

そうして。

雨が強く降る4月にしては寒々しい日、息子は保育園の0歳児クラスに入園した(生後10ヶ月で)。桜はまだ咲いておらず、枝も雨でぐったりしなり、こんなご時世なので入園式も無し。保育士さんたちからの感動的な挨拶や、皆の自己紹介なども無しで、今後の説明を聞くだけで終わった初日。天気も相まって、感慨深くなるよりもなんとなく陰鬱な気持ちで保育園通いが始まったのだった。

いざ、入園! となって、ここまで蓋をしてきた悩みのあれこれが、ぼわわんと顔をだし、「本当にこれでよかったのかなぁ」なんて思い始めた、情けない私よ……。そんな母を待っているのが、慣らし保育と呼ばれるものである。1時間だけで帰宅、それに慣れてきたらお昼ご飯を食べて帰宅、それにも慣れてきたらお昼寝をして帰宅……と順を追って進めていくのだ。でもこの期間が、親にとっても子にとっても(おそらく保育士さんにとっても)試練で、「預けた瞬間から迎えに行くまで、ずっと泣き続けた」とか「預けた瞬間の泣き姿に後ろ髪引かれる思いで背を向ける」とか「子がご飯を拒否して、お迎え要請」「昼寝をせず、お迎え要請」っていう考えただけで胸がぎゅっとつぶれるような体験談にあふれている。

息子はどうなるんだろうか、やっぱり泣くだろうか、目の前で泣き叫ばれたら、私は耐えられるだろうか。どうやらママが寂しそうにしているのも良くないらしいと読んで、できるだけ爽やかに笑顔でお別れできるように頭の中でイメトレを何度も何度も繰り返し、迎えた慣らし保育初日。

「じゃ! 楽しんでね! ばいばーい!」と明るく伝え、振り返らず、サッと園を出る。ママ、な~んにも寂しくないよ。ぜ~んぜん普通のことだよ。って顔をして、ちょっと大きめに腕を振り、胸を張り、園の門を出たはいいけれど、まあ、心の中はぐっちゃぐちゃの大嵐。泣かなかったけれど、キョトンとしていた息子のぽってりした唇が頭に残る。「?」と頭に浮かんでいたあの顔。今ごろどうしているだろう、「なんでママいないの?」と不安になっていないかな。ありとあらゆる悪い妄想が次から次に襲ってきて、どうにもならない。保育園の周りをウロウロそわそわ。あのあたりからなら0歳児クラスの様子が見えるのでは!? と奥まった場所から背伸びをしたりして、完全に不審者状態。結局、どうあがいてもクラスの中は見えなかったので、とぼとぼ帰宅して、1時間後に迎えに行った。

クラスに近づくと、子どもたちの泣き声がものすんごい。「ぎゃーっ」と叫ぶように泣いている子もいる。一体……息子は……どうなっているのだ……。耳を澄ます。あの声ではない、あの声でもない。緊張しながら「迎えにきました」と言うと、私の姿を見つけてハイハイで駆け寄ってくるとびきり笑顔の息子!

「あの、うちの子……どうでしたか。やっぱり、結構泣きましたか?」
聞くと保育士さんは「それがね。お母さん」と意味深な顔をする。
ごくり、と唾を飲むも、「ぜ~んぜん、泣かなかったです! ご機嫌でした! 他のお友達が泣いていると、つられて泣いちゃう子も多いんですが、どうしたの? と顔を覗き込んでいただけでしたよ」と言うではないか。

そう、息子は泣かなかった。
次の日も、泣かなかった。
その次の日も、その次の日も、泣かなかった。

ネットには「初めの1週間は何が起こっているのかわからずにキョトンとしていた子も、翌週から泣くことがある」と書いてあったが、翌週も、その次の週も、保育士さんからの言葉はいつも「ご機嫌でしたよ」だった。それどころか、保育士さんたち全員に手を振っていましたよ。とか、おしりふりふりダンスを披露してくれましたよ。とか、ごはんは全部食べました、むしろおかわりしました、とそんな話ばかりで、息子の朗らかっぷりを思い知ることになった。家での生活にも全く変化がなく、後追いがひどくなったとか、甘えが加速したとか、よく泣いたとか、寝なかったとか、そんなこともなし。

息子は何の問題もなく、保育園に慣れていった。
だが、問題があったのは、私のほうだ。

ぜ~~~んぜん、慣れない。慣らし保育、まだまだ必要です! 保育園に行けば自分の時間ができるから、思う存分仕事をしようと、ずっとそう思っていたはずなのに、「これでいいのかな?」という気持ちが拭えない。息子は機嫌よく過ごしていると言っても、朝ごはんを食べて登園し、迎えにいくとすぐに夕ごはんで、少しすればもう就寝なのだ。1日の大半を、保育園で過ごしている。これで、いいのだろうか。って、この問い自体が、怒られてしまいそうなくらい(誰に?)本当にめちゃくちゃに贅沢な悩みなんだけれど、それでも、悩んでしまう。

これまでがんばって貯めてきたお金だってある程度はあって、フリーランスだから復職期間も定まっておらず、仕事量だって調節ができる。しばらくは仕事をしない、という選択だってできるのだ。なのに、なぜ私は働くんだろう。いま、息子がぐんぐん成長していく、こんなに貴重な時間を、どうして私は仕事に当てるんだろう。そう思うんだけども、でも何もしていないとほんの数日で「今しかできない仕事があるんじゃないか」という気持ちに襲われて、焦って、どうしようもない。働きたいという気持ちが少しでもある以上は、それを全て諦めて息子に時間を注ぎ込んでいると、ふとした瞬間に働いている人が羨ましくなってしまうのも、自己嫌悪だった。いや、働く理由を探すのではなくて、保育園に行った方がいい理由を探すのはどうだろうかと考えるも、社会性が~とか、保育園でしかできない体験が~というのは全部大人が勝手に想像していることにすぎず、息子の気持ちはわからない。

夫に「預けていていいのか、悩んだりする?」と聞いてみたけれど「しない」と一蹴されてしまった。夫は「息子は楽しんでいると信じて、メリハリのある暮らしをすればそれでいい」と一点の曇りもなく思っているようで、こればっかりは(あまりそういう物言いをしてはいけないとわかりつつも……)文化的に刷り込まれてきた性別役割や、それによる理想の姿(たとえば「自分の母が、いつも一緒にいてくれたから、私もそうでありたい」と思ってしまうとか)、また「仕事をするorしない、フルで働くor時短にする」という選択肢そのものが、本当は全員に平等にあるのだけど、無意識に女性側にだけ刷り込まれているのではないか、と考えたりした。

息子は、保育園でも機嫌がいい。月齢も高く、他の手がかかる赤ちゃんに比べて、ある程度ひとりきりで遊ばせていても大丈夫。でも、だから、おそらく後回しにされている。

「気づいたら、おかずを全部一人で食べてましたよ! 手づかみ食べ、上手ですね」と言われると、嬉しさよりも「一人でご飯を食べた息子」のことを想像してしまう。おいしいの顔を、ひとりでもしていたんだろうか。朝「眠そうなので朝寝をお願いします」と預けたものの、5人いる保育士さんたちが全員ちいさな赤ちゃんをおんぶしており、眠くてもぐずらず我慢して遊び続ける息子は、保育士さんたちの背中が空くまでは眠ることはないだろう、と思うときの切なさ。そして実際に連絡帳に記載されている、朝寝なしの息子。きっと極限に眠くなるまで、遊んだんだろう。目をこすりながら、おもちゃを手にとり、誰かに見せようとして「ちゃいちゃい」と独り言を言っていたんじゃないだろうか。熱が出て早迎えに行った際、保育士さんたちが慌ただしく泣いている子をあやしている輪の真ん中で、ひとりでおもちゃで遊んでいた息子の姿が目に焼きつく。

保育士さんたちは何にも悪くない(むしろ、一人見るだけでも大変ななかで、他人の子どもを丁寧に世話してくれるなんて、頭が上がらない)。保育園での生活とは、こういうことなのだ。こういうことなのだけど、ね。息子の園での姿が、寝る前も何度も頭をよぎり、脳内が休まらないのだった。

せめて、もう少し大きくなって、「保育園たのしい?」「うん!」と、息子の気持ちを聞くことができたらどれだけいいだろう。みんなでお歌を歌ったり、みんなで絵本の読み聞かせを聞いたり、園庭で走り回ったり、プールに入ったり、工作したり、絵の具遊びをしたり、家ではできない遊びができるようになったらまた違うんだろうか。他の子たちが慣れて泣かなくなって、機嫌のいい子が増えれば、また違うだろうか。

息子はその後40度近い熱を出し、私も見事に39度の熱を出して、1週間まるまる保育園をお休みした。そして、久しぶりの登園。息子はそれでも嫌がらず、泣かず、教室の入り口で保育士さんのほうに自ら手を伸ばして抱っこされていった。そして私を見て、笑いもせず泣きもせず、ふにゃふにゃの手つきで、バイバイと手を振った。わかっているのだ、ここにくると私がいなくなることが、こんなに小さいころからわかっている。息子があんまりにも偉くて、お利口で、すごくて、切なくなる。たくさん泣いてしまう子を持つ親も胸が苦しいだろうが、まったく泣かずに馴染んでいく子を持っていても苦しい。

迎えに行く時はできるだけ、ベビーカーではなく、抱っこ紐にする。

9キロの息子は重たいけど、できるだけくっついて彼の顔を見つめたくて、そうする。こげ茶で直毛の髪、美しいカーブを描く額をゆったり撫でながら、拭いてもらえないままカリカリに固まった鼻水の痕跡を拭い、聞く。楽しかった? どうだった? 何したの? 保育士さんは優しかった? 給食は美味しかった? 新しい遊びをした? 寂しい思いをしなかった? 嫌なことはなかった? 泣いたりしなかった? まだなんにも答えず「あー」「まんまん」「ちゃいちゃい」と声をあげて、私をじっと見上げる息子。にこ、と笑うと、その何倍も明るく笑ってくれる息子。きみは、何を思うの。ママは、何を思えばいいの。

「1ヶ月もすれば慣れるよ」と、友人は言う。

「仕事を始めたら、悩んでたことなんてすっかり忘れちゃった」とも聞く。

そうだろうな。いつか、きっと慣れていく。「仕事を調整したほうがいいのでは」と悩んだことなんて忘れて、保育士さんたちとしっかり連携を取って信頼しあい、他の子どもたちも泣かず、息子は保育園の時間をもっと楽しめるようになって、私は自分の仕事に専念して、ひとりずつの人生がきちんと流れるようになる。あんなに悩んだこともすっかりなかったように消えていく。そうわかっていても今、こんなふうに前が見えない霧のなかで、必死に手をバタバタさせながら、おそるおそる前へ前へ進んでいくこの気持ちも拭えはしないのだ。

この道が間違っていたらどうしよう、とんでもない間違いを犯していたらどうしよう、と恐る恐る前へ進む日々のこと。どうにも答えが出ない問いを抱えながら、それらを解消することもなくなんとなく前に進んでいくしかない日々のこと。

これが、慣らし保育か。私のためにある、慣らし保育の期間なのか。

なにを選んだって正解なのに。どう生きたって間違っていないのに、それでも悩んでしまう。子どものことが大好きで、愛おしくて、けれど何もかもが手探りで情けないほどに悩んでしまう母初心者の私。園庭の桜が私の姿を見下ろしている。いつか「あんな日もあったよね」と笑ってしまう私を、桜は見つけてくれるだろうか。

夏生さえり『揺れる心の真ん中で』

あの靴が似合わなくなったのは、いつからだろう――20代後半。着られなくなった服。好きになれなくなったもの。恋ってなんですか。愛ってなんですか。変わりゆく心と向かいあった日々の先で、彼女はひとつの答えにたどり着く。みずみずしい感性と文体で新時代の書き手が赤裸々に綴った、悩める女性たちに贈るメモワール・エッセイ。

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夏生さえり

山口県生まれ。フリーライター。大学卒業後、出版社に入社。その後はWeb編集者として勤務し、2016年4月に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計15万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。難しいことをやわらかくすること、人の心の動きを描きだすこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『口説き文句は決めている』(クラーケン)、共著に『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』(PHP研究所)がある。Twitter @N908Sa

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