昨年、この連載で猫の話を書いてからというもの、見知らぬお客さんから「ネコちゃん(人によってはネコさん)は元気ですか」と話しかけられることが増えた。いやいやこれが中々大変でして……と、はじめて会う方にいきなりこぼすわけにはいかないから、へぇ、まぁ、そうですねなど、笠智衆のような笑顔を返しつつお茶を濁しているのだが、家に猫が三匹いるとはほんとうに大変なことなのだと、この間身にしみてわかった。
もともとオスのてんてんがいた我が家に、保護されたメスの仔猫二匹がやってきたのは半年前のこと。その後二匹は「すず」「あずき」と命名され、いまでは体つきも、家にきた当時の倍くらいにまで育っている。しかし、これが同じ腹から出てきたきょうだいとは思えないほど、その性格はまるで違う。
その人の話をするとき、あいつはねぇ……と、苦笑いとあきらめとを自然に放出させる人物がたまにいるが、例えて言えばすずとはそんな猫だ。ご飯を食べるのは三匹のなかでもっともはやく、切羽詰まった形相であっという間にたいらげたと思ったら、一匹だけおとな用のご飯を食べているてんてんめがけ、ためらうことなく頭から突っ込んでいく。すずの首相撲の力はかなり強いので、引き離すのにもひと苦労だが、坊っちゃん気質のてんてんは、食べる気力をそがれてしまったのか、その間にぷいとどこかへ消えてしまった。
てんてんが見向きもしなくなったご飯の方を振り返ると、そこにはあずきがくらやみのように物音も立てず、そっと手だけを突っ込んでいる。
このどろぼうねこ!
そんなことをいっても彼女はどこ吹く風。手に掴んだカリカリを一口ポリリとしてから、ぽかんとした顔つきで、これもどこかへ去ってしまった。
すずはどこで何をしていても、自らを主張せずにはいられない猫だが、そんなすずにエネルギーまで奪われてしまったのか、あずきはほんとうに気配というものがない。出勤のため家を空けるとき、あずきがいないと部屋中を探しまわっていたら、なんのことはない、すぐ傍の椅子の下に黙って座っていたことがあった。体を抱くと、この猫ほんとうに大丈夫かなと思うくらいされるがまま。アンニュイな様子でニャアとちいさく鳴いている。抱かれると奇声を発しながら必死になって身をよじらせるすずとは、ここでもまるで違うのであった。
そんな違いのある二匹なのだが、事件はこの前の冬に起こった。大人になる前、避妊手術をしなければと、その日二匹は動物病院に入院中。午後、アルバイトのMとレジを代わったあと、病院まで行って二匹を引き取る(すずはここでも、ケージから出してくれた先生に対しさかんに文句を言いたて、その横ではあずきが、黙って先生の指を噛んでいた。まったくなんてことをするのだろう)。
家に帰ってからは、先生から伝えられた一言が、新たな難問として頭をよぎる。
「縫った腹部が開くといけないので、しばらく二匹は離して過ごさせるようにしてください」
我が家には、居間と寝室と本の部屋という、大きな部屋が三つあるが、隔離というからには、それぞれ別の部屋に入れればよいのだろうか。妻に相談しようにも、彼女はまだ店のカフェで仕事をしていたから、そんな時に猫のことで電話すれば、あなた店主でしょ、何考えてるのといわれるのがオチだ。
そこで、「家だ家だ」と、その辺りをふらふら歩いていたすずとあずきを捕まえて、居間を挟んだ寝室と本の部屋に、それぞれ別に閉じこめた。はい終了。しかし、しばらくすると二匹は、「ミャーオ」と大きな声で、どちらともなく鳴きはじめたのだ。
あぁ、鳴いてしまった。でもしばらく鳴いたら、またいつものように寝てしまうだろうと思い、居間で仕事用のパソコンを開いたのだが、隣の部屋から聞こえてくる声は、「ミャーオゥッ」「ムギィィィ」と、次第にエスカレートしてくるのである。その内、居間にいたてんてんまでもが、イラッとしたのか便乗なのか、「ウヮァァァン」と大きな声でこれもいっしょに鳴きはじめた。
十分くらいは、そのままじっと様子を見たのだろうか。しかし鳴き声はやむことなく、このままでは上に住んでいる人から「合唱はやめさせてもらえませんか」とクレームがくるかもしれない。それで仕方なく、わかりましたもうしませんと、ひとり毒づきながらすべてのドアを開け放った。
すると、すずとあずきは鳴くのをやめ、黙って駆け寄り、ペロペロと相手の体を舐めはじめるではないか。その姿を見ていると、安堵をするのと同時に、その小さな体に秘められた互いを求める気持ちに、ホロリと、図らずも心打たれてしまったのであった……。
いまでもその時のことを思い返せば、ほんとうにあの終わりでよかったのか、疑問は残る。
しかし彼女たちは今日もつかず離れず、違う性格のまま暮らしている。
今回のおすすめ本
『エドワード・ホッパー作品集』江崎聡子 :解説・文章 東京美術
これまで新刊で手に入る本がなかったからだろうか。なんだ、みんなホッパー好きなのねというくらいよく売れている。すべての絵が、ポスターにしてレイアウトできそうな格好よさ。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー
科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
◯【書評】New!!
『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
◯【お知らせ】New!!
店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
○黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編 / お買いもの編
◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】
スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号
『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。
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本屋の時間
東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。