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しらふで生きる

2021.12.28 公開 ツイート

「仮面ライダー」本郷猛を例に出して芥川賞作家が伝える酒をやめる極意 町田康

お酒への誘惑が一年で最も多い年の暮れ、そしてお正月。酒をやめたい、少しでもお酒を減らしたいと思っている方におすすめしたいのが、町田康さんの断酒の記録『しらふで生きる 大酒飲みの決断』。30年間毎日飲み続けた「名うての大酒飲み」はいかにして酒をやめたのでしょうか? その考え方を抜粋してお届けします。

(写真:iStock.com/kanzilyou)

改造された人間になるか? 人間を改造するか?

酒を飲みたい、どんなことをしても酒を飲みたい、という欲求、身体の暴れをどうやって統御するか。

意志は無力。正気は酒の前で狂気と断ぜられ、数量的に明らかになった酒の害は無視される。禁酒会には煩わしい人間関係がつきまとい、医療機関を訪れるのも処方された薬を服用するのにも家族の協力は不可欠だが、宣言すると失敗するので、家族に禁酒を知らせるのが躊躇せられ、それも期待できない。

じゃあどうすればよいのか。

というか、私はどうやって酒をやめたのか。そのことについて話す必要がある。けれども私はそれを話すのに躊躇を感じる。なぜならそれを話せば多くの人が、「こいつは頭がおかしいのではないか」と思うことが予測されるからだ。

違う。私の頭はおかしくない。きわめて普通だ。ノーマル・正常、普通すぎておもしろ味がなさ過ぎるくらいだ。

ただ、私がこれから言おうとすることが、ある種の人にとってはきわめて突飛に聞こえるかも知れない、それだけのことだ。けれども言わなければ話が前へ進まないので言うと、まず私がしたいのは本郷猛の話である。

皆さんは本郷猛を御存知だろうか。御存知ない方も或いはおらっしゃるかも知れない。しかしそんな方でも仮面ライダーなら御存知だろう。仮面ライダーも御存知ない方もおらっしゃるかも知れない。そんな方はGoogle検索をしていただければと思う。しかし、パソコンもスマホも持っておられないという方がおらっしゃるかも知れない。そういう方は身近の年輩の方に聞いてみれば大抵知っているはずである。しかし、日本語がわからない、という方がおらっしゃるかも知れない。そういう方はどうしたらいいのだろうか。私にもわからない。そういう方は私のような個人ではなく、行政機関を訪ねていろいろ相談したらいいんじゃないだろうか。

ということで本郷猛に戻るが、本郷猛という人は実に気の毒な人で、初めは普通に生きていたのだが、ショッカーという秘密結社に捕まって、人間にバッタの要素を加えた改造人間にされてしまう。秘密結社がなぜそんなことをしたかというと人間社会を破壊してしまうためなのだが、そのことによって人生をムチャクチャにされた本郷はこれを恨みに思い、「誰がおまえらの言う通りにするか。おまえらにバッタの気持ちがわかってたまるか」と言って、人間社会をまるで破壊せず、裏町に住んで自暴自棄の日々を送る。

とまあそんな話だったと記憶する。もしかしたら一部に記憶違いがあるかも知れないが、とにかく本郷猛がショッカーの手で改造人間になったことだけは間違いがない。

私が着目するのはまさにそこで、改造人間、というのは酒をやめようとする人間にとってきわめて示唆的なwordである。

どういうことかというとバッタは酒を飲まない。なのでバッタの要素を取り入れた改造人間になった本郷猛はおそらく酒を飲まなかった。劇中、本郷猛が酒を飲んでいるシーンはなかったように思う。

ならば。自分自身も改造人間になれば酒を飲まない、飲みたくなくなるのではないか。具体的に言うと、いかにもショッカーがいそうな、川崎の重化学工業地帯に行き、人気(ひとけ)のない、道路のフェンス際にススキが茂っているようなところを、黒革のライダース・ジャケットを着用し、首に人絹のマフラーを巻いてまるで有能な人間、みたいな感じで歩きつつ、「こんなところを歩いていたら俺は身体能力に優れているからショッカーに捕まって改造人間にされてしまうなあ、いやだなあ」と言う。

そうすると脇でこれを聞いていたショッカーが、「おお、飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ」とよろこんで、あなたを捕まえ改造人間にする。

そうするとそこにはもうバッタの要素が入ってしまっているから、それ以降は酒を飲まないで済む、とまあ、こういった寸法である。

というのが荒唐無稽な考えであることをもちろん私はわかっている。そもそも「仮面ライダー」はフィクションであり、川崎の重化学工業地帯は現実の世界であり、現実の世界にショッカーは現れない。

というかもっというと、そんなおそろしい、自分が自分でなくなり、半分バッタになったような改造人間になるのは嫌だ。ありのままの自分でいたい。ありのままに酒を飲み、ありのままに泥酔し、抑制の箍たがを外して上司を殴りたい。人妻に抱きつきたい。よろけて倒れ、骨折したい。ゲロと小便にまみれて眠りこけたい。飲み過ぎて意識を失い救急搬送されたい。そして、そんなありのままの自分を愛してほしい。バッタの自分ではなく! と願うのが人情であろう。

けれども。そう、通常の自己意識を保ったまま、意志の力で酒をやめるのは困難、というよりほぼ不可能であるのはこれまでみてきた通りである。ならば、それほどに激しく、つまり、バッタになるくらいに、自分を改造する、ということをしないと酒はやめられぬ、ということで、それを知って欲しくて私は本郷猛の話を持ち出したのである。

とは言うものの。本郷猛とて自らの手で自らを、改造、した訳ではなく、これを改造したのはショッカーの方々である。本郷猛の改造は専ら外科手術によってなされたが、その際は当たり前の話だが全身麻酔をかける。そうしないと痛くてたまらないから。麻酔で眠った状態で自分で手術できる人はそういない。

これは意識を保ったまま酒をやめるのは困難という事情と酷似している。私たちはここを突破しなければ前へ進めない。さあどうするか。

これに対して私が用いた技法は一種の逆転技法である。というと、「はははは。くだらん。それっていわゆる逆転の発想、コロンブスの卵、って奴でしょ。死ねば自然と酒をやめられる的な」と早合点する周章あわて者が出てくるがそうではなく、私の言っている逆転の技法はそういったものでは勿論ない。

じゃあどういうことか。改造人間。人間改造。この違いを知ってほしいのである。つまり、改造人間というのは、改造された人間、という意味で、どこまでいっても受け身である。自分ではできない。ところが人間改造というと、これは、人間を改造する、という意味でつまり人間が目的語になっており、能動的な意志を感じる語となるのである。

言葉の順序をひとつ入れ替えるだけで、これほどに意味が違ってくる。ただ唯々諾々と改造され、本当は嫌だった、とか言って拗ねて裏町で愚痴ばかり言っている男と、自らの意志で失敗を怖れずなんでも積極的にトライしていく男。あなたが女だったらどっちの男と結婚したいだろうか。多くの方は後者を選ぶのではないだろうか。

そういう意味での逆転技法なのである。

でも虚無的退嬰的な考え方をする人は常に一定数おり、「そんなものは観念の遊戯に過ぎぬ。だってそうぢゃないか。逆転かなんか知らんが、そんなことをしたからといって自分で自分に外科手術を施すことはできんでしょう。違いますか」と口を曲げて言う。

黙らっしゃい。

誰が外科手術をすると言いましたか。それはものの喩えに過ぎず、要は改造人間になるのではなく、人間改造する人間になる。その意志がまずなによりも重要だということを示したに過ぎない。

けれども、人間が自分を改造することは何度も言うようにできない。この大問題を乗り越えない限り私たちは先へ進めない。さあ、どうするか。人間改造を人間はどうやったらできるのか。

ここで私たちは次の段階に入る。つまり、改造ができないのであれば、改める、というニュアンスだけを残して別のなにかを見つけることはできないか、例えば、改造ということが難しいのであれば改良みたいなことではどうだろうか。つまり一気にすべてを作り替えるのではなく、気が付いたらその都度、基本的なシステムは残しつつ、少しずつ良くしていく。

酒を飲んで暴れる。酒を飲んで健康を害する。酒を飲んで仕事の効率を下げる。こうしたことを改めるため、サプリメントを服用したり、大事な仕事の前は酒を控える、といったことをする。そして段々、酒の量を減らしていく、最後の方は飲むのか飲まないのか、乾杯のときのグラスの酒を半分残したまま、珈琲を飲む、みたいな人間になる、これすなわち人間改良である。

というのはよいのかも知れないが、これは禁酒ではなく節酒である。私たちはあくまでも禁酒を目指しているのであって、節酒を目指しているのではない。なのでこれは却下。

じゃあ改正というのはどうだろうか。人間改正。というと、なにか憲法みたいな感じがするが、人間は法ではない。一個の人格であり、生理である。スピリットであり肉体である。このなかには正も邪も等しく埋まっていて、なにが正でなにが邪ということはない。改正にしろ改悪にしろ、一方を断罪して滅ぼせば命もまた滅びる。それは私の本意ではない。ってなにを言ってるのかわからなくなるが、つまり人間は正しくも悪くもならない。ただ酒を飲むか、飲まないか、それだけの話だということである。

「お酒を飲んではいけません」「飲酒は悪徳」といったお題目を百万遍唱えたって酒はやめられない。正邪善悪を語っているうちは自分自身を改め酒をやめるという困難を乗り越えることは到底できないのである。

という意味で改革、人間改革というのも駄目だろう。あ、これは余談だが、政治家の諸君へ私から助言がある。改革という言葉を用いる際は間に、の、という格助詞を入れた方が歴史的な感じがしていいわよ。行政改革、というよりは、行政の改革、とした方が重みがある。その理由は長くなるから割愛するが、それよりも大事なことが勿論ある。

私たちは改める改め方をさらに考える。そのことによって考えを改め認識を深め、酒をやめなければならない。

 

(お知らせ)
2022年1月27日19時より、町田康さんと奥泉光さんのトークイベント「酒をやめると人間はどうなるか?或る作家の場合」を
オンライン配信にて開催いたします。詳細は、ロフトプラスワンのページをご覧ください。

関連書籍

町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』

30年間、毎日酒を飲み続けた作家は、突如、酒をやめようと思い立つ。絶望に暮れた最初の三か月、最大の難関お正月、気が緩む旅先での誘惑を乗り越え獲得したのは、よく眠れる痩せた身体、明晰な脳髄、そして寂しさへの自覚だ。そもそも人生は楽しくない。そう気づくと酒なしで人生は面白くなる。饒舌な思考、苦悩と葛藤が炸裂する断酒の記録。

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マーチダ邸には、不具合があった。人と寝食を共にしたいが居場所がない大型犬の痛苦。人を怖がる猫たちの住む茶室・物置の傷みによる倒壊の懸念。細長いダイニングキッチンで食事する人間の苦しみと悲しみ。これらの解消のための自宅改造が悲劇の始まりだった――。リフォームをめぐる実態・実情を呆れるほど克明に描く文学的ビフォア・アフター。

町田康『餓鬼道巡行』

熱海在住の小説家である「私」は、素敵で快適な生活を求めて自宅を大規模リフォームする。しかし、台所が使えなくなり、日々の飯を拵えることができなくなった。「私」は、美味なるものを求めて「外食ちゃん」となるが……。有名シェフの裏切り、大衆居酒屋に在る差別、とろろ定食というアート、静謐なラーメン。今日も餓鬼道を往く。

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しらふで生きる

元パンクロッカーで芥川賞作家の町田康さんは、30年間にわたって毎日、お酒を飲み続けていたといいます。そんな町田さんがお酒をやめたのは、いまから7年前のこと。いったいどのようにしてお酒をやめることができたのか? お酒をやめて、心と身体に、そして人生にどんな変化が起こったのか? 現在の「禁酒ブーム」のきっかけをつくったともいえる『しらふで生きる』から、一部を抜粋します。

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町田康

1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『スピンク日記』『スピンク合財帖』『猫とあほんだら』『餓鬼道巡行』など多数。

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