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日本語の大疑問

2021.12.17 公開 ツイート

なぜ犬年ではなく「戌」年なのか 国立国語研究所

ことばの専門家集団が英知を結集して、国民の素朴な疑問に答えた書籍『日本語の大疑問 眠れなくなるほど面白い ことばの世界』(国立国語研究所編、幻冬舎新書)が発売3週間足らずで4刷となり、大反響をよんでいる。

ここでは本書の一部を抜粋して紹介。今回は、干支と動物にまつわる謎について解説する。

*   *   *

(イラスト:アキワシンヤ)

疑問:イヌ年のことをなぜ「犬年」でなく「戌年」と書くのですか

回答=片山久留美

「子・丑・寅・卯」の字は動物を指していない

動物の「イヌ」を表す漢字には「犬」や「狗」などがありますが、「戌年」の「戌」という漢字自体にはもともと「イヌ」という意味はありません。漢和辞典で「戌」という字を引いてみると、

戌:象形。小さな戉(まさかり)の形にかたどる。借りて、十二支の十一番目に用いる。(*1)

とあり、もとは武器のまさかりの形から作られた象形文字であったことがわかります。「戌」だけでなく、「子」「丑」など他の十二支を表す漢字にも「ネズミ」「ウシ」といった動物を表す意味はありませんでした。

 

そもそも「十二支」とは何でしょうか。私たちはよく「今年の干支(えと)はイヌだ」というような言い方をしますが、「干支」というのは本来「十干(じっかん)」と「十二支」を組み合わせたもののことです。その歴史は古く、古代中国の王朝「殷(いん)」の時代には使用されていました。

「十干」は「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」、「十二支」は「子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)」から成り、天体の運行などに基づいて月日・方位などを定めるのに使っていたと考えられています。

中国ではこの「十干十二支」と、万物は「木・火・土・金・水」の5つの元素から成るという「五行説」、陰と陽の2つの気が調和することで自然界の秩序が保たれるという「陰陽説」とを結びつけて考えるようになります。日本でもこの考え方に基づいて、5つの元素それぞれに「陽=兄(え)」「陰=弟(と)」を付けて、十干を「甲=木の兄(きのえ)、乙=木の弟(きのと)、丙=火の兄(ひのえ)、丁=火の弟(ひのと)……」と呼ぶようになりました。「干支」を「えと」というのもこの「兄・弟」という言い方から来ています

 

十二支は月日などの順序を表す記号のように用いられていたものであり、動物とは関わりがありませんでした。私たちが知っている十二支の動物名は、もともとあった十二支に後から割り当てられたものなのです。十二支に動物名を割り当てたことを明確に示す最も古い記録は、古代中国の後漢時代に著された『論衡(ろんこう)』という書物に残っています。

なぜ十二支に動物名を割り当てたのか、またなぜこれらの動物が選ばれたのかについては、十二支を多くの人々が理解し覚えられるように、なじみ深い動物の名前を付けたのではないかなどの諸説がありますが、はっきりとは解明されていません。

日本人の生活に深く関わってきた十二支

十干十二支は日本にも古くから伝わっていました。埼玉県行田市の稲荷山(いなりやま)古墳から出土した鉄剣には、「辛亥(しんがい)年七月中記」と刻まれており(*2)、十干十二支を用いて年を表していたことがわかります。年月だけでなく、時刻や方位を表すことにも使われていました。日本の古典文学に現れる十二支の使用例を見てみましょう。

入らせたまふは十七日なり。戌の刻など聞きつれど、やうやう夜更けぬ。(『紫式部日記』)(中宮さまが宮中へお入りになるのは十七日である。時刻は午後八時ごろなどと聞いていたけれど、だんだん延びて夜も更けてしまった)

わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり(『古今和歌集』雑下・喜撰法師)(私の庵は都の東南にある。このように都から離れて勝手に暮しています。その宇治山もやはり世は憂しと世を厭うて入る山だと人さまは言っているそうです)

爪のいと長くなりにたるを見て、日をかぞふれば、今日は子の日なりければ、切らず。(『土佐日記』)(爪がたいそう長くなったのを見て、日を数えてみたら、今日は子の日なので切らない)

(本文の表記・現代語訳は全て『新編日本古典文学全集』〈小学館〉による)

『土佐日記』の例には「今日は子の日だから爪は切らない」とありますが、当時の風習として「手の爪は丑の日に切る」というものがあったため、前日の子の日には切らないと言っているのです。また、「子の日」は特に正月の最初の子の日のことを指して言うことが多く、野に出て若菜を摘み千代を祝うなどの儀式を行いました。

 

他にも、自分が生まれた年の干支によって忌むべき方角を避ける「方違(かたたが)え」「庚申(かのえさる)」の日には眠らずに夜を明かす「庚申(こうしん)待ち」など様々な信仰や風習と結びついた決まり・行事がありました。

十干十二支は単に日付や時刻、方位を表すというだけでなく、生活のあらゆる場面において意識される身近で重要なものだったのです。

 

このように日本の人々にとって十干十二支は、古くから生活の根幹に関わる場面に取り入れられ使用され続けてきたものです。そのため十二支に使われる漢字と、動物の意味を表す他の漢字とは混同せず、両者を明確に使い分ける意識が根強く働いてきたのではないでしょうか。

現代では意識することの少なくなった干支ですが、漢字をたよりに注意深く探してみると、私たちの生活の中にも多くの痕跡を見つけることができるかもしれません。

 

*1─小川環樹・西田太一郎・赤塚忠編(1968)『新字源(初版)』角川書店

*2─埼玉県立さきたま史跡の博物館「金錯銘鉄剣」(https://sakitama-muse.spec.ed.jp/金錯銘鉄剣)

*水上静夫(1998)『干支の漢字学』大修館書店

*諸橋轍次(1968)『十二支物語』大修館書店

片山久留美(かたやま くるみ)……国立国語研究所 言語変化研究領域 プロジェクト非常勤研究員。日本語の文字や表記について研究している。国語研では『日本語歴史コーパス』の開発に携わる。

*   *   *

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ふだん自由自在に扱っている(ように感じる)日本語なのに、一旦気になると疑問は尽きない。漢字から平仮名を生み出したのはいったい誰? 「稲妻」はなぜ「いなづま」ではなく「いなずま」か? 「1くみ」「花ぐみ」など「組」が濁ったり濁らなかったりする法則とは? ()【】『』といった多くの括弧をどう使い分ける? ことばのスペシャリスト集団・国立国語研究所が叡智を結集して身近ながらも深遠な謎に挑む、人気シリーズ第2弾。いたって真面目、かつユーモア溢れる解説で日本語研究の最先端が楽しく学べる!

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日本語の大疑問

ことばのスペシャリスト集団・国立国語研究所が叡智を結集して身近ながらも深遠な謎に挑む、人気シリーズ第2弾『日本語の大疑問2』より、一部を抜粋してお届けします。

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国立国語研究所

昭和23(1948)年に、日本人の言語生活を豊かにする目的で誕生した、日本の「ことば」の総合研究機関。ことばの専門家が集まり、言語にまつわる基礎的研究および応用研究を行う。平成21(2009)年10月に大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立国語研究所となり、大学に属する研究者とともに大型の共同研究・共同調査を行うなど、さらに活発な活動を展開。略称は国語研、NINJAL。webサイト「ことば研究館」内の「ことばの疑問」コーナーでよくある言葉の質問に答えている。

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