1. Home
  2. 生き方
  3. さすらいの自由が丘
  4. 父の精子と母の卵子で私はできた

さすらいの自由が丘

2021.10.22 更新 ツイート

父の精子と母の卵子で私はできた 今村三菜

最近、実家に帰ると、母は納戸の物をどんどん捨てている。私は、それを見るのが、とても寂しい。そんな母に、「これ、いるなら、東京に持って帰って」と一冊の古びた本を渡された。

母が書いた私の育児日記だった。赤い葡萄色の表紙に銀色の文字で、「育児記録 静岡国立病院」と書いてあった。もう綴じてある部分がボロボロで、裏表紙が取れそうになっている。

 

私は丁寧に表紙を開くと、懐かしい母方の祖父、平野威馬雄の字で、「命名 今村三菜 ひのえうまなり、万才!! 命名の由来 響きも字ヅラも、判断上も上々なれば」と、書いてあった。

そして、もう一枚めくると、私が生まれた日のことが、見慣れた母の字で書いてあった。

「1日半、陣痛で苦しみ、かわいい泣き声と共に女の子が生まれる。シワもなくピンク色のお顔だった。今日から、私はお母さん。何か不思議なウソのような。待ちに待った赤ちゃんが生まれ、私は世界一幸せになるでしょう」

これを読んだ途端、私は、母に向かって、「うわあ、ごめんなさい。ごめんなさい。2回も離婚して、思春期は大暴れして、こんな年になっても、まだプータローのような暮らしをして。ああー、お母さん、許してー」と、床に頭をつけて、謝りたくなった。

私は、神経質で気が小さく、母はカラッとしたとことん明るい性格で、最近まで、母とは本当に気が合わなかった。母に自分のことを理解してもらおうと話しだすと、最後は必ず、私は泣き喚くはめになった。

母は、今年のお正月過ぎ、人生4回目の心臓弁膜症による弁置換手術を受けた。78歳だった。小さい身体で、たった1人で、手術に向かっていく母がかわいそうでならなかった。でも、手術は成功し、母はまた生き返った。

3年前には、父が髄膜炎になり、目しか動かなくなり、緊急手術をし、リハビリ病院に半年、入院した。今、父は歩けるようにはなったが、足元がよたよたするようになってしまった。

離婚して1人になった私に、家族は、父と母しかいない。私のことを一番に思ってくれるのは、この父と母しかいないのだ。

妹は、夫と娘が2人いて、新しい素晴らしい家庭を築いた。弟も、妻と2人の娘がいて、新しい楽しい家庭を築いている。

私は実家に帰ると、親世帯で、3人でご飯を食べる。その時間がとても幸せだ。両親も私も若かった頃は、一緒にご飯を食べるだけのことが幸せだなんて感じたことはなかった。

でも、今、実家に帰り、母と台所に並び、一緒に、ご飯の支度をして、私の隣りに父が座り、私の前に母が座り、3人でご飯を食べるのが、本当に幸せなのだ。時間はどんどん過ぎていく。両親も年をとったが、私も年をとった。無常を感じるからこそ、今の幸せを強く感じる。もう過去の母との諍いなんてどうでもよくなってしまった。

私は父に似て、背が高いが、母は152センチと小柄だ。この小さい母が、4度の心臓手術をし、今、まだ、一緒にいられるということが、奇跡のように思う。

3人で、たわいもないことを話しながら、夕食を食べた後、私が必ず、お茶を淹れる。前回、実家で、親子3人で夕食を食べ終わった時、「ああ、幸せだなあ」と思った私は、お茶を飲みながら、感極まってしまった。

それで、感極まったついでに、ここで、一つ言っておこうと、父の方を向き、「お父さん、そりゃ、最初は性欲だったかもしれないよ。でもね、お父さんの局部で作られた精子の1番素早いのが、お母さんの卵子に命中し、受精し、核分裂を繰り返し、私ができたんだよ、わかる?」と、言ったら、母がブハッと、お茶を吹き出し、後ろを向いてしまった。

私は続けた。「それで、お母さんのお腹のなかで、核分裂を何度も繰り返し、だんだん大きくなって、お母さんのお腹から私が出てきて、どんどん成長して、大きくなって、今、私はお父さんと並んでご飯を食べながら、話をしているんだよ。最初は、お父さんのたった一匹の精子だったんだよ。これってすごいことじゃない」と言った。

父が眉間にシワを寄せ、微妙な表情をし、母は、真後ろを向いてしまったので、私は言った。「これはね、変な話をしているんじゃないんだよ。生命の神秘を感じたんだよ、私は」

「だから、親子3人、1日でも長く、こうやって仲良くしていこう。お父さん、リハビリがんばって。お母さん、もう私、泣いたり喚いたり騒がないから、心臓大事にして、仲良くやっていこう」と言ったら、母が、「あら、ミナちゃん、そんなこと言ってくれるの。うれしいわ」と言った。父は、「わかった。おまえは、もういいから、早く自由が丘に帰って元気でやってくれ」と言った。

私は、今まで、父と母がいまに死んじゃうと思うと、それを想像して、悲しくて悲しくて、自由が丘のマンションで落ち込んで、1人で涙ぐんだりしていた。でも、悲しんで泣くのは、本当に父と母が死んだ時にしよう、その時までは楽しく過ごそうと誓った。

関連書籍

今村三菜『お嬢さんはつらいよ!』

のほほんと成長してきたお嬢さんを奈落の底に突き落とした「ブス」の一言。上京し、ブスを克服した後も、地震かと思うほどの勢いで貧乏揺すりをする上司、知らぬ間に胸毛を生やす弟、整形手術を勧める母などなど、妙な人々の勝手気ままな言動に翻弄される毎日。変で愛しい人たちに囲まれ、涙と笑いの仁義なきお嬢さんのタタカイは今日も続く!

今村三菜『結婚はつらいよ!』

仏文学者・平野威馬雄を祖父に、料理愛好家・平野レミを伯母に持つ著者の波瀾万丈な日常を綴った赤裸々エッセイ。 ひと組の布団で腕枕をして眠る元舅・姑、こじらせ女子だった友人が成し遂げた“やっちゃった婚”、連れ合いをなくし短歌を詠みまくる祖母、夫婦ゲンカの果て過呼吸を起こす母、イボ痔の写真を撮ってと懇願する夫……。「ウンコをする男の人とは絶対に結婚できない」と悩み、「真っ白でバラの香りがする人とならできるかも」と真剣に考えていた思春期から20年余り、夫のお尻に素手で坐薬を入れられるまでに成長した“元・お嬢さん”の、結婚生活悲喜こもごも。

{ この記事をシェアする }

さすらいの自由が丘

激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。

バックナンバー

今村三菜 エッセイスト

1966年静岡市生まれ。エッセイスト。仏文学者・詩人でもある祖父・平野威馬雄を筆頭に、平野レミ、和田誠など芸術方面にたずさわる親戚多数。著書に『お嬢さんはつらいよ!』『結婚はつらいよ!』(ともに幻冬舎)がある。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP