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時をかける老女

2021.10.13 更新 ツイート

#14

「自分が怖くなってきたから寝る」「おやすみ」 中川右介

2020年秋、中川右介は91歳の母を引き取り、介護生活をスタートさせた。12月も年の暮れ、早めに「寝る」と言った彼女だが「私の部屋はどこだったかしら」と、まるで大邸宅に住んでいるようなことを言う。数歩で着いてドアを開け、「あら、我が家だわ」。今年が終わった。

(写真:iStock.com/Aleksandra Alekseeva)
 

12月27日 日曜日

<介護62日>

昨晩は会わなかったが、そのことも覚えてない。

たくさん買ったパンの残りを朝食に出すと、「あら、おいしそうね」と、自分で買ったことも、忘れている。

地図を見て、デイサービスの施設まで川沿いに行けばいいことを発見。

今日は川沿いの遊歩道を行くと決意して出かけたが、30分ほどでもどる。

怖くなって引き返したらしい。地図が読めるようで、読めない。

今日は急ぎの仕事もないので、散歩に付き合うことにした。川沿いに行くと、最初の橋で挫折したらしいと分かる。そこを越えて行くと、「ここは来なかった」

念願の「近衛さんの家」の前を通り、デイサービスの施設へ。歩いて行けたので納得したよう。

「家に帰るか、駅まで行ってみるか」「駅の近くで何か食べるなら、行きたい」

バスで駅へ。特に食べたいものがある訳ではない。天ぷら屋に行く。

食後、向かい側でマスクを売っていた。興味を示して見ていたが、派手なのは選ばない。

「お婆さんだから、これでいい」と無地で白っぽいのを選ぶと、中東系の男性が流暢な日本語で、

「お年寄りだから、派手なのがいい」と勧める。

それでも無地の淡い色のを、一枚300円が2枚で500円と言われ、二枚買う。得だと計算はできる。

疲れたのか午後は寝ていた。

夕食は妻が作ったビーフシチュー。おいしそうに食べる。

(写真:iStock.com/sabeiskaya)

一旦寝たが、9時頃起きてきて、「お正月は静岡に行きたい」と言い出す。

「そうだね」と言っとけばよかったのだが、「何しにいくの」と聞いてしまい、「うちに帰りたい」「行っても誰もいないよ」「Kちゃんがいるでしょう」

両親が亡くなったのは忘れていない。Kさんは妹で、静岡の家に祖父母が亡くなった後も家族と住んでいた。しかし、今年の3月に亡くなった。子供(私のいとこ)たちは独立して、静岡にはいない。だから、誰もいない。と説明するが、「初めて聞いた」と言って、さらに、兄、姉たちのことも確認する。

親、兄、姉たちは遺影を部屋に飾ってあるので亡くなったという認識をしているらしく、前回のように泣いたりしなかった。

妹のKさんの遺影は、ない。いとこに頼んでもらっておくか。1月に一緒に見舞いに行った時の写真を見せるが、覚えてない。

「頭がヘンになってきた」「仕方ないね」「何もかも忘れる」「昼間、近衛さんの家に行ったのも忘れてるでしょう」「行かないわよ」「行ったよ」

スマホで撮った写真を見せる。思い出す。視覚の記憶はあるが、言葉だと分からない。

「自分が怖くなってきたから寝る」「おやすみ」

12月28日 月曜日

<介護63日>

デイサービスから、16時45分に戻り、17時半に夕食。

18時過ぎ、「疲れた」と言って入浴せずに就寝。23時現在、一度も起きてこない。

こういう日もある。

12月29日 火曜日

<介護64日>

今朝は6時半に起きると、玄関にスリッパ。どこかへ行ったのか、と不安になった瞬間、新聞を持って帰ってくる。

「あら、おはよう」

すでに着替えもすんでいる。

7時から朝食。デイサービスへ。何事もなく、帰ってくる。

デイサービスの施設は明日までなのだが、うちは水曜日は行かないので、今日が年内最後。

多分、スタッフから「今日で最後」と言われたのだろう。帰ってから、それを何度も確認する。

明日は行かない、だから明日は日曜日、つまり今日は土曜、と思考したのか「今日は土曜日よね」と繰り返す。

(写真:iStock.com/Anastasiia Zvonary)

クリスマスも忘れていたように、「正月」も忘れている。当然、暮れとか大晦日も、会話に出ない。曜日だけしか認識しない。

夕食は、手巻き寿司。ここへ来て、3回目。最初は忘れていたが、食べているうちに思い出す。

視覚と、食べ物の記憶が強い感じ。満腹になり、「ああ、幸せ」と繰り返す。

「デイサービスで入浴したから、今日はうちでは入らないでいいね」

と言うと、最初は強い口調で「デイサービスで入るわけないでしょう」と否定したが、「入ったはずだよ。午前中だったのかな」と言うと、「入ったかもしれない」と思い出す。

6時過ぎに「じゃあ寝る」と言ったのはいいが、最近では珍しく、「私の部屋はどこだったかしら」「廊下を行って、右」「ここを真っ直ぐ行くのね」と大邸宅にいるようなことを言う。

数歩で着いて、ドアを開け、「あら、我が家だわ」

家の中に家があるみたいだ。

8時頃、起きてきて(あるいはまだ寝てなかったのか)、「あなたは私の孫なの?」と数日に一度の確認。「子ども」「私があなたを産んだのね」「そんなの僕は覚えてないよ。あなたは、私が産んだ、と言ってたよ」「それなら、あなたのお父さんは誰だったかしら」「誰だろうね」「覚えてないのよ。もう死んだわね、きっと。私が91だから」と言って自室へ。寝たようだ。

これだけ色々忘れても、自分の年齢は忘れない。60年間が失われても、「私は30歳だ」とは言わない。

12月30日 水曜日

<介護65日>

今日から3日までデイサービスなし。午前中は自分の部屋の掃除をしてもらう。

昼はうどん。1時から、BSで、1952年大映版「忠臣蔵」をやっていたので見ていたら、「地図を買いに行きたい」と言い出す。妻が諭し、部屋に。忠臣蔵には興味がないようだ。

夕方まで、部屋にいた。じっとしていると、あれこれ考え、何がなんだか分からなくなるようだ。

仕方ない。

夕食後、突然、別れた夫(父)の名を言って、「いま、どこにいるの」というのが久しぶりに始まる。

「顔も思い出せない。あなたのお父さんよね」「もう、関係ない人だよ」「わたしには関係なくても、あなたにはあるでしょう」それはそうだ。変なところで論理的。

「あなたには関係ないから、考えてもしょうがない。寝たら」「そうする」

さて、明日は大晦日。それは認識しているが、だから、何かをしようとは言わない。

12月31日

<介護66日>

大晦日だが、母にとっては単なる木曜日。11時に、お腹が空いたと言うので、パンを出す。

そのまま、私が見ていた筒美京平の番組を、めずらしく一緒に見る。しかし、歌も歌手も、「知らない、誰これ」唯一、郷ひろみだけは、分かった。

これで、彼女が忘れていない有名人は、アラン・ドロン、原辰徳、菅直人、郷ひろみとなる。

妻の都合で、15時に年越し蕎麦。テレビは、「マイ・フェア・レディ」。

「この人、誰だったかしら。見たことある」「オードリー・ヘップバーン」「そうそう、変わらないわね」「昔の映画だよ」「そうよね。きれいね」

わりあい、熱心に見る。どうでもいいが、オードリーと母は同年生まれ。

続いて「ウエストサイド物語」が始まった。「怖い、怖い」を連発。不良少年は嫌いなよう。

途中で自室へ。

(写真:iStock.com/BonneChance)

18時、「もう寝る」と入浴。紅白は、関心ないようだ。

このまま年越しか、夜中に起きるか。

結局、起きなかった。

*   *   *

※毎月13日、28日更新

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林けいこ  「自分が怖くなってきたから寝る」「おやすみ」|時をかける老女|中川右介 - 幻冬舎plus https://t.co/3DQzLzqk1Y 3日前 replyretweetfavorite

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時をかける老女

91歳の母親と、33年ぶりに一つ屋根の下で暮らすことになった。この日記は、介護殺人予防のために書き始めたものである。

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中川右介

1960年、東京生まれ。早稲田大学第二文学部文芸科卒業。2014年まで出版社アルファベータ代表取締役編集長。映画、歌舞伎、クラシック音楽、歌謡曲、漫画についての本を多数執筆。最新刊に『アニメ大国建国紀1963-1973 テレビアニメを築いた先駆者たち』(イースト・プレス)。その他の主な著書に、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『カラヤンとフルトヴェングラー』『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)、『山口百恵』『松田聖子と中森明菜』(朝日文庫)、『大林宣彦の体験的仕事論』(PHP新書)等。

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