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「戒厳令に近い強権発動――私は覚悟した」。地震・津波の多大な被害に加え、私たちの暮らしを大きく変えた原発事故。あの危機に政府はどう対応したのか。『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(菅直人著、2012年10月刊)から、一部を抜粋してお届けします。

※写真はWEB用で書籍には入っていません

福島第一原子力発電所4号機 撮影:2011年3月15日(出典:東京電力ホールディングス

*   *   *

燃え尽きない原子力発電所

原発は制御棒を挿入して核分裂反応を停止させても、核燃料の自己崩壊熱が出続けるため冷却を続けないと、原子炉の水が蒸発して空焚きの状態となり、やがてメルトダウンする。そこで、緊急停止した後も冷却しなければならないのだが、福島原発の場合、冷却装置を動かそうにも全電源が喪失し、冷却機能停止という深刻な事態となったのだ。

火力発電所の火災事故の場合、燃料タンクに引火しても、いつかは燃料が燃え尽き、事故は収束する。もちろん甚大な被害は出るが、地域も時間も限定される。危険であれば、従業員は避難すべきだし、消防隊も、これ以上は無理となれば撤退することもあり得るだろう。

だが、原子力事故はそれとは根本的に異なる。制御できなくなった原子炉を放置すれば、時間が経過すればするほど事態は悪化していく。燃料は燃え尽きず、放射性物質を放出し続ける。そして、放射性物質は風に乗って拡散していく。さらに厄介なことに、放射能の毒性は長期間にわたり、消えない。プルトニウムの半減期は二万四千年だ。

いったん、大量の放射性物質が出てしまうと、事故を収束させようとしても、人が近づけなくなり、まったくコントロールできない状態になってしまう。つまり、一時的に撤退して、態勢を立て直した後に、再度、収束に取り組むということは、一層の困難を伴うことになる。

報じられているように、事故発生から四日目の一四日夜から一五日未明にかけて、東電が事故現場から撤退するという話が持ち上がったが、それが意味するのは、一〇基の原発と十一の使用済み核燃料プールを放棄することであり、それによって日本が壊滅するかどうかという問題だったのだ。

最悪のシナリオ

原発事故が発生してからの一週間は悪夢であった。事故は次々と拡大していった。

これは後に分かったことであるが、事故発生初日の三月一一日二〇時頃、すでに一号機ではメルトダウンが起きていた。当時はまだ水が燃料の上にあるという報告もあったが、水位計自体がくるっていたのだ。翌一二日午後には一号機で水素爆発が起きた。一三日には三号機がメルトダウン、一四日にはその三号機で水素爆発。そして一五日、私が東電本店にいた六時頃、二号機で衝撃音があったと報告され、ほぼ同時に四号機で水素爆発が起きた。

私は最悪の場合、事故がどこまで拡大するか、「最悪のシナリオ」を自ら考え始めた。

事故発生後、米国は原発の五〇マイル(八〇キロ)の範囲からの退避を米国民に指示していた。多くのヨーロッパ諸国は東京の大使館を閉め、関西への移転を始めていた。

すべての原発の制御が不可能になれば、数週間から数か月の間に全原発と使用済み核燃料プールがメルトダウンし、膨大な放射性物質が放出される。そうなれば、東京を含む広範囲の地域からの避難は避けられない。そうなった時に整然と避難するにはどうしたらよいか。

一般の人々の避難とともに、皇居を含む国家機関の移転も考えなくてはならない。

私は事故発生から数日間、夜ひとりになると頭の中で避難のシミュレーションを繰り返していたが、三月一五日未明、東電撤退問題が起きるまでは、誰とも相談はしていない。あまりにも事が重大であるため、言葉にするのも慎重でなくてはならないと考えたからである。

原子力委員長のシナリオ

私自身が「最悪のシナリオ」を頭の中で考えていた頃から一週間ほど後、現地の作業員、自衛隊、消防などの命懸けの注水作業のおかげで最悪の危機を脱しつつあると思われた二二日頃だったと思うが、細野豪志補佐官を通して、原子力委員会の委員長、近藤駿介氏に、事故が拡大した場合の科学的検討として、最悪の事態が重なった場合に、どの程度の範囲が避難区域になるかを計算して欲しいと依頼した。

これが「官邸が作っていた『最悪のシナリオ』」とマスコミが呼んでいるもので、三月二五日に近藤氏から届いた「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」という文書のことだ。

これは最悪の仮説を置いての極めて技術的な予測であり、「水素爆発で一号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したとの想定で、注水による冷却ができなくなった二号機、三号機の原子炉や、一号機から四号機の使用済み核燃料プールから放射性物質が放出されると、強制移転区域は半径一七〇キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径二五〇キロに及ぶ可能性がある」と書かれていた。

私が個人的に考えていたことが、専門家によって科学的に裏付けられたことになり、やはりそうであったかと、背筋が凍りつく思いだった。

誤解のないように記すと、この「最悪のシナリオ」の数字、半径二五〇キロまでの避難とは、すぐに避難しなければならなかった区域という意味ではない。たとえ、最悪の事態となったとしても、東京からの避難が必要となるまでには、数週間は余裕があるという予測でもある。

*   *   *

※次回「5000万人の避難計画」は、3/19公開予定です

関連書籍

菅直人『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』

3月11日14時46分。地震発生後、私は官邸地下の危機管理センターへ直行した。被災者救助に各方面が動き出す中、「福島第一原発、冷却機能停止」の報せが届く。その後、事故は拡大の一途をたどった。――このままでは国が崩壊する。いつしか私は、原子炉すべてが制御不能に陥り、首都圏を含む東日本の数千万人が避難する最悪のシミュレーションをしていた……。原発の有事に対応できない法制度、日本の構造的な諸問題が表面化する中、首相として何をどう決断したか。最高責任者の苦悩と覚悟を綴った歴史的証言。

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東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと

「冷却機能停止」の報せから拡大の一途をたどった原発事故。有事に対応できない構造的諸問題が露呈する中、首相として何をどう決断したか。歴史的証言。

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菅直人

1946年山口県宇部市生まれ。衆議院議員、弁理士。70年東京工業大学理学部応用物理学科卒業。社会民主連合結成に参加し、80年衆議院議員選挙に初当選。94年新党さきがけに入党し、96年「自社さ政権」での第1次橋本内閣で厚生大臣に就任。同年、鳩山由紀夫氏らと民主党を結成し、党代表に就任。2010年6月第94代内閣総理大臣に就任(~2011年9月)。著書に、『大臣』(岩波新書)、『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書)、『総理とお遍路』(角川新書)などがある。

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