
自発性に、能動性に、意志に頼らない、政治参加
千葉 なるほど。あと、今の話で思いついたことがあるんです。
僕が『動きすぎてはいけない』(河出書房新社)でやったのは、本当に非合理的に、まったくの偶然性で生じる切断の議論で、これに対して國分さんがとっている、ある種の合理的因果性の立場は、連続的に経緯があることをメインに置いている。だからぶつかるんじゃないかという指摘でしたよね。
それで思ったんだけど、僕は確かに切断ということを言うけど、それはアレントみたいに能動的な切断じゃないんですよね。僕の場合は、あるプロセスが続いていて、そのプロセスの中に自分がいて、それがはたと切れるという話なんですよ。だから僕は、中動態的な状態と切断というものを組み合わせて話をしているんだなあという自覚が、ちょっと湧いてきました。
國分 切断と言うより、中断みたいな感じ?
千葉 そう。最近、僕、中断という言い方をするんです。例外状態とかそういう大げさなことじゃなくて、もっと日常的に起きる中断。そこに興味がある。
依存症的なプロセスから別のプロセスに変わる、何かへの依存から別の生き方に変わるというときも、決定的にプロセスを終わらせるのとは違う、中断的な何かが関係しているのかなあっていう、直観もあります。
國分 何かがガラッと変わるということじゃなくて、中断が重なって少しずつ変化が訪れる、複数の中断がレイヤーをなしている、そういうイメージかな。
あんまり関係ないかもしれないけど、アガンベンは、ベンヤミンを中断の思想なんだと言ってた。ベンヤミンの思想は実に多様だけれど、核心にあるのは中断なんだって。中断を英語で何と言ってたかは覚えてないんだけどさ。
千葉 インタラプションですかねえ。
國分 そんなだったと思う。ともかく、今、千葉君が言ったような中断の思想は、決して中動態の哲学と矛盾しない。
千葉 そうだと思うんですよ。
國分 切断じゃないってことだよね。
千葉 切断というのは能動的に聞こえやすいかもしれないですね。
で、中動態の話って、プロセスがずっと続いているってだけの話じゃないですよね。プロセスが中断されて切り替わったりすることも、問題になるんだろうなと思うんです。そこがもしかすると、僕の話とつながるところなのかもしれない。
あとはもうひとつ、國分さんの政治的立場というか、ガラッと変えるような革命じゃないんだというメッセージは感じられますよね、この本から。一念発起してすべてをひっくり返すんだみたいな、そういう意志的な革命ではダメだということでしょ。
國分 まあ、そうですね(笑)。
千葉 そうじゃなくて、もっとプロセス的なものだということですよね。改良主義だとか言われるんじゃないですか。
國分 それ、前から言われてたよ(笑)。『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、〈増補版〉太田出版)のとき既に、これは何か新手の改良主義じゃないのかって。だけど、改良主義で何が悪いと思ってるんだけど、俺。
千葉 なるほど。
國分 心の中には、ドカーンと変わるものを欲する気持ちはすごくありますよ、もちろん。でも、むしろそういう気持ちに抗っている感じ。
千葉 そこに流されたらまずいみたいな。
國分 そう、ついそこに流されそうになるから。
僕、地元で住民投票運動に関わってたときがあるんですけど、市長がいろいろ意地悪なことしてきて本当に腹が立ってた。毎日活動していて、夜はヘトヘトだったんですけど、息抜きにビール飲みながら昔のロボットアニメとか見てたんですよね。すると、敵をババーンと破壊して事態が進んでいくじゃない? ああいうのを見て、いいなあと思ってたの(笑)。まぁ本当に大変だったから、寝る前だけはそういうことも考えてた。
でも、政治は絶対にそういうふうには進まないんですよね。むしろ破壊したら、悪い方向にしか行かない。
千葉 そうでしょうね。
國分 この本では、実は1カ所だけ、注のところで、住民投票の話をしています(第五章注49)。アレントの政治概念を批判すると、もしかしたら政治に対して絶望する人が出てくるかもしれないと思って、ちょっと先取りして書いたんです。
どういうことかというと、ハンナ・アレントは、意見をもった立派なおとなが集まり、意見を言い合って一致を探り、その一致に基づいて権力をつくって、その権力をみんなで動かしていくのが政治ですねという、大変すばらしいビジョンを出しているわけですね。それができるんだったら、僕は本当にそうしたいと思う、心から。
だけど、そんなふうに意見をもった人たちが集まるということはないし、あらかじめみんなの心の中にきちんとした意見があるということもあり得ない。一致にしても、それを作りだそうとするとどうしようもない対立が起こる。アレントの理想は本当に理想なんですね。
では、この理想を批判することは政治に絶望することだろうか。僕はそうじゃないと思う。中動態の概念はプロセスと関わっているけれども、この中動態的なプロセスの考えから政治を考え直せる。僕が住民投票のときに感じたのがそれだった。どういうことかというと、住民投票で大切なのって、最後の投票するときじゃなくて、そこに至るまでのプロセスなんですね。
それまでのプロセスの中で、なんか住民投票があるらしいよと、誰かと買い物のときに会って話す。イベントがあったり、チラシがきたりして、いろいろ情報が流れる。そういうプロセスの中で少しずつ、人が考えるようになっていくんです。つまり、あらかじめしっかりした意見をもっている人が集まる政治じゃなくて、なんとなく意見が世論が作られ、鍛えられていく、そういうプロセスがそこに発生する。
これはまさしく自発性に頼らない、能動性に頼らない、意志に頼らない、中動態的な政治のプロセスなんだよね。僕はそういうのがいいなあと思っているわけです。
千葉 考えるようになる?
國分 考えるようになるわけ。誰かが「考えよう!」と呼びかけたって、考えないですよね、誰も。住民投票運動をやっていたときは、みんながこの問題を考えてくれたらいいなとは思ったけど、単に「考えてください!」って言ったって誰も考えない。そうじゃなく、千葉君はさっき僕の本が読者を巻き込むと言ったけど、それこそ運動が始まって、みんなが考える雰囲気が作られていくことがすごく大切だと思う。それが通常の選挙でも行われればいいなあと思うわけですね。
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『中動態の世界』で考える

『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)と『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋)。今年の2大話題作の著者、國分功一郎さんと千葉雅也さんの対談を4回にわたってお届けします。