

『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)と『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋)。今年の2大話題作の著者、國分功一郎さんと千葉雅也さんの対談を4回にわたってお届けします。
國分さんの言う「中動態」と、千葉さんの言う「中断」、お二人のキーワードは、「何かがガラッと変わるのでなく、中断が重なって少しずつ変化が訪れるプロセス」というイメージで重なります。
それは、政治参加の仕方にも、哲学を勉強する意義にも関わることであり……。
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古代ギリシア語に「責任」という語はなかった
千葉 尋問する言語が成立して以後、われわれは責任についてぐちゃぐちゃ、いろいろ細かく、厳しく言うようになったわけですよね。じゃあ、古代ギリシアの、尋問の言語がなかった時代における責任概念や裁判の制度っていうのはどうだったんですか。口頭試問みたいな質問で申し訳ないんですけど、
國分 調べたけど、「責任」に相当する言葉はないみたいですね。責任って、英語だとレスポンサビリティ。これ非常に変な言葉でしょ。僕らが責任という言葉でイメージするものに、なぜか「レスポンス」がくっついてる。古代ギリシア語にそういう語はないです。意志という概念がないように、責任に相当する言葉も恐らくないんでしょう。
千葉 悪かったから裁かれるとか、そういう感じなんですね。
國分 あと、鳥占いとか、何かをガチャンと割って、破片の形で決めるとか。何にせよ、その人が物事の起点になっているからそいつが裁かれるというのとは違う仕方での、責任の取らせ方ですよね。
そこはまさしく、今回の本の応用編で、歴史研究をひもといてやらなきゃいけないと、思っているんですけどね。
千葉 そこは気になりますよね。
國分 その点に関してひとつ補足しておかなきゃいけないのは、僕らが知っている古代ギリシア、それこそプラトンやアリストテレスがいるような時代は、もうほとんど能動・受動になっちゃってるわけ。その時点ですでに、中動態はよくわからないものとして扱われていた。だから、古代ギリシアの文法研究も、うまくこれを位置づけられなかったんですね。
僕の本のひとつのポイントになるのは、「中動態」という名前は間違っているということです。中動態と聞くと、能動と受動の間の態のような感じがしちゃうけど、そうじゃない。元々、能動態と、中動態と呼ばれているものが対立していたわけだから。
その対立がなくなった後に、古代ギリシアの文法研究が「中動態」という名前をつけてしまったから、非常にややこしいことになった。それで、今回の本の最初の数章は、このややこしい歴史を解きほぐすことに費やされているわけです。
千葉 なるほど。
國分 だから僕自身も、そこはもっと遡って、歴史研究をひもといてみたいですね。
千葉 そうか、プラトン・アリストテレスの時代というか、ソクラテスが処刑されるときには、既にもう、弾劾し、尋問する言語になっていたということですね。
國分 そうだと思うんだ。岩波の『プラトン全集』って最後に索引だけの巻があるでしょ。あれに「する」「される」、「能動」「受動」という項目があって、昔からそれが気になってたんだよね。この対立は索引でも無視できないぐらい強力だということだよね。
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