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『中動態の世界』で考える

2020.04.02 更新 ツイート

第1回(全4回)

【考える時間】人生は「それはお前の意志が弱いからだ」では解決できない問題で満ちている【再掲】 國分功一郎/千葉雅也

チケットは発売後まもなく完売。満員御礼でした。

外出自粛で増える自宅での時間。それは自分を見つめなおすのにもってこいです。思考に潜ることのおもしろさを教えてくれる記事をご紹介します。

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『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋)。今年の2大話題作の著者、國分功一郎さんと千葉雅也さんの対談を4回にわたってお届けします。
 対談が行われたのは、2017年3月31日、福岡・天神の書店Rethink Books(5月31日で閉店)。『中動態の世界』の第一弾刊行記念イベントでした。
 トークは最初から縦横無尽に楽しく鋭く盛り上がり、まさに「無二の戦友」のお二人ならでは。
『中動態の世界』を未読の方に格好のガイドとなるのはもちろん、既に読まれた方にも新たな発見があり、さらに『勉強の哲学』の予習と復習にも大いに役立つ対談を、どうぞお楽しみください!

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「する」か「される」かではない、行為のとらえ方

國分 皆さん、今日はお越しいただきまして、ありがとうございます。

千葉 ありがとうございます。

國分 今日は医学書院から出たばかりの『中動態の世界――意志と責任の考古学』の刊行記念イベントです。最初のイベントは、どうしたってこの人とやる以外ないでしょうという、そういうことですよね。

千葉 おお(笑)。われわれの重要な書物が出るときには、決まって、僕は國分さんをお呼びし、國分さんには僕を呼んでいただいて、やってきている。

國分 いわば戦友のような仲ですね。

千葉 今回はさらにうれしいことに、福岡は天神のRethink Booksさんからお声かけいただきました。こういうイベントは、いつも東京が多いんだけど、今回は、1発目がここなんですよね。

國分 そう。この本については、僕としてはできるだけイベントをやって説明を加えていきたいと思っていて、それも東京だけじゃなく、各地でやりたいという気持ちが非常に強かったんです。だから、今日、ここ天神でできるのを本当にうれしく思っています。
 で、どうしようかな。僕が最初にちょこっと話しましょうか。

千葉 そうですね。まず、この本の狙いというか、紹介をしていただいて。

國分 基本的なところからお話ししたほうがいいですね。
タイトルに「中動態」という、聞き慣れない言葉が入っています。簡単に言いますと、能動態とか受動態の仲間です。昔の言語には、中動態というものがあったんですが、だんだんなくなって、受動態に取って代わられたという歴史があります。
 もうちょっと説明しますね。今、僕らは英文法で、能動態とか受動態という、「態」の概念を勉強させられます。能動態を受動態に書き替えなさいって、よく試験勉強でやらされたわけです。

千葉 「する」から「される」ですね。

國分 そうです。動詞をbe動詞と過去分詞にして、ってやつですね。だから、僕らは、「態」には受動態と能動態しかないと思っていて、英文法を離れても、「する」か「される」かでいろんなものを振り分けられるんだと、ぼんやりと考えているわけです。受動でも能動でもないものって言われたら、なかなか思いつかないですよね。
 ところが、言語の歴史をよくよく調べてみると、受動と能動を対立させるものの見方は――僕は本の中では「パースペクティブ」と言っていますけれども――、実は非常に新しいものである。本の中で僕が何度も言及しているバンヴェニストという言語学者は、そう言ってるんですね。
 どういうことかというと、もともとは、能動態と受動態じゃなく、能動態と中動態を対立させるものの見方があったというわけです。つまり、僕らは「する」か「される」かで行為や出来事を分類してしまうけれども、かつてはそれとは違う仕方で分類していたらしい。しかも、それが小難しい哲学の理論としてあったわけじゃなくて、日常の言葉がそういうものだった。そこが非常に面白いなと思ったわけです。
 本の最初のほうで、意志とか責任の話をしています。人間の責任を問うとき、「これはおまえがやったんだろ」と言いますよね。「おまえがやらされた」んじゃなくて、「おまえがやったんだろ」と言える場合に、その人に対して責任を問うことができる。で、そのように「おまえがやったんだろ」と言えるための一つの根拠が、「おまえにはこれをやろうという意志があったんだろ」ということなんですね。意志です。
 ところが、その意志という概念は、細かく分析していくと、非常によくわからないところがある。本の第1章で分析していることですが、大事なところなので、少し細かく話しましょう。
 意志は意識と結びついています。どういうことかというと、無意識にやったことは、その人の意志でやったこととはみなされない。たとえば夢遊病者が歩いているとき、その歩いているという行為は、「あの人の意志で行われている」とは普通は言われないわけです。
 意志(ウィル)は、意識(コンシャスネス)と結びついている。俺はこういうことをやってるぞと意識している、あるいは、まわりにこういうことが起こってるぞと意識している。意識しているということは周囲や過去とつながっているということです。意志は周囲や過去に接続されている。
 日本語だと「意志」と「意識」って、音が似ているから気がつきにくいんです。だから、英語で考えるとわかりやすい。「意志」と「意識」は「ウィル」と「コンシャスネス」で別物ですね。そして意志は意識と結びついているから、周囲や過去と切り離せない。それはつまり、意志が必ず外部の影響下にあるということです。
 ところが不思議なことに、意志は何ものともつながっていない、純粋な出発点だとも見なされるのです。というのも、たとえば他人にそそのかされてやった行為はその人が自分の意志でやった行為だとは見なされないからです。
 たとえば僕たちがカフェに入って、僕が千葉君に、頼むから紅茶を頼んでくれよと言って、千葉君が紅茶を頼んだとしたら、それは千葉君の意志ではなく、僕にプッシュされたということになる。そうじゃなくて、千葉君が僕の頼みを断わってエスプレッソを頼めば、その場合には、千葉君が自分の意志でエスプレッソと頼んだみなされるわけです、普通。

千葉 僕は國分さんから頼まれたという、その前の経緯を切断しているわけですね。

國分 そうです。

千葉 意志っていうのは切断ですよね。

國分 切断なんです。そう考えると、意志には、非常に不思議な矛盾がある。「周囲」や「以前」と意識を通じてつながっているとみなされていると同時に、まわりから切れて、自分が出発点になっている、一つの切断だとも見なされている。意志という概念は、この矛盾を抱えているんですね。
 だから僕は、本の最初で、意志という概念を批判的に検討しています。この矛盾した概念を、何で僕らは一生懸命使わなければならないのか。それは、どんな行為についても「おまえがしたのか、それとも、おまえはさせられたのか」と尋ねてくる、能動と受動に支配された言語が非常に強く働いているからじゃないのかと。

千葉 國分さんはそれを尋問的と言ってましたよね。

國分 そう。

千葉 尋問する言語というのが、一時期から言語の当たり前のあり方になってしまった。

國分 そうなんです。

千葉 能動・受動は文法の問題という感じがしますけど、そこには実は社会的な意味がある。尋問的に人に関わるということが、われわれにはもう言語のレベルであらかじめセットされちゃってるという話なんですよね。

國分 そうなんです。

千葉 でも中動態のときは、それがなかったかもしれないと。

國分 能動態と中動態を対立させる言語では、行為のとらえ方が違うわけですね。行為のプロセスが主語の外で完結すると能動態で、主語がそのプロセスの場所になっている場合には中動態が使われる。

千葉 定義が出ましたね。

國分 どこまでネタバレしちゃっていいのかわからないんだけど、続けます(笑)。
たとえば恋い慕う気持ちを持つとか、自分が場所になって、一つのプロセスが進んでいく場合には中動態が使われる。それに対して、たとえばものをあげるとか、何かを切るとか、行為が自分の外側で終わるときには、能動態が使われるんですね。能動・受動とはまったく別の切り分け方です。
 たとえば、古代ギリシアでは、支配者が人民を支配するために法律を定める、というと、能動態なんです。

千葉 確かに、その切り分け方でいうと能動態ですね。

國分 人民を支配するための法律という、主語である支配者の外に関わることだから。それに対して、アテナイのデモクラシー、民主制で、自分たちを統治する法律を自分たちで作って、その下で自分たちが生活していく、そういう法を定めるときは中動態なんです。今だったら、法を定めるということで、どっちも能動態になっちゃうわけですが。
 でもこれは、たとえば古代ギリシア語を勉強している人にとっては、なんてことない事実なんですよ。僕は、「中動態の世界」とかいって、大袈裟なタイトルにしてますけど、古代ギリシア語やサンスクリット語なんかを勉強していると、教科書の第10回ぐらいで普通に出てきます。
 ただこれを、哲学の視線というか、今言ったような、意志がどうのこうのといった点から見直してみると、新しく解釈し直せるんですね。
 そういう研究は多少はあって、本の中でも紹介しているんですが、中動態というものがもっているポテンシャルを歴史的に位置づけて、僕らとどう関係があって、僕らのものの見方をどう変えてくれるのかということをはっきりさせる研究というのは、なぜかあんまりなかったんです。
 だから、僕はそこから入って「おまえがやったのか、それともおまえはやらされたのか」と尋問してくる言語とは違うものの見方を出せないかなあと思って書いたのが、この本です。

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『中動態の世界』で考える

『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)と『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋)。今年の2大話題作の著者、國分功一郎さんと千葉雅也さんの対談を4回にわたってお届けします。

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國分功一郎

1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は哲学。主な著書に、『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学 増補版』(太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『民主主義を直感するために』(晶文社)、『中動態の世界』(医学書院)、『スピノザ「エチカ」(100分de名著)』(NHK出版)など。

千葉雅也

1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。主な著書に『動きすぎてはいけない』(河出書房新社)、『べつのしかたで』(河出書房新社)、『勉強の哲学』(文藝春秋)など。

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