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東大教授が考えるあたらしい教養

2021.11.25 公開 ツイート

フランス人は「正解のない問い」を考え、日本人は「ただ一つの正解」を求める 藤垣裕子/柳川範之

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思考を養う「バカロレア」試験

フランスでは、大学入学資格を得るためにはバカロレアという選抜試験を受ける必要があります。

(写真:iStock.com/encrier)

バカロレア試験の「哲学」では、たとえば「理性と情熱は共存するか」といった抽象的な問いに対して論述する問題が出題されるため、フランスの学生はバカロレア対策として、こうした問題にどう答えるかを学ぶことになります。当然、バカロレア哲学の問題集や参考書のようなものもあります。

バカロレアの哲学で出題される問いは、言葉の一つひとつの意味を吟味しなければ、イエス・ノーで答えることができません。そして、厳密に考えれば、大半の答えはそのいずれとも言い難い「第三の立場」にならざるをえません

このような問いに答えるために、バカロレア哲学の参考書は何を示唆しているのでしょうか。

 

参考書に書かれているのは、「問いを分析する」「言葉の一つひとつの意味を吟味する」「問いを分類する」「論を組み立てる」といった考え方です。

つまり、「そもそも『理性』とは何か」「『情熱』とは何か」「『共存する』とはどういうことか」、自分なりの定義を考え、高校の哲学などで学んだ関連知識を列挙しながら、その問いが何をテーマにしているのかを分析したうえで自分の論をまとめることになります。

フランスの学生は、こうした方法でさまざまな問題について考え、論述することを積み重ねながら学習しているのです。

何を学習しているのかといえば、それは「思考の枠組み」です。答えの出ない抽象的な問題に対してどうアプローチするかを学んでいるといってもいいでしょう。

日本で思考習慣が身につかない理由

フランスのバカロレアの例からいえることがあります。

日本の教育が知識偏重で、「思考の枠組み」を学ぶ機会が少なく、それゆえに問題解決のための思考習慣が身につきづらい面があるのではないかということです。

(写真:iStock.com/Oleksii Liskonih)

ごく簡単な例を挙げましょう。たとえば今、「りんごとバナナを比べなさい」といわれたら、みなさんはどう答えるでしょうか。

「りんごは赤くてバナナは黄色い」

「りんごは丸くてバナナは長い」

「りんごは北、バナナは南のほうで採れる」

いろいろな答えが考えられますが、ここで考えたいのは「どのような枠組みで思考するか」です。

 

ものを比較する場合の思考の枠組みは、まず同質性を確認し、次に何を物差しにして比較するのかを決め、その物差しのもとで差を取るというのがベーシックな方法です。

これを知っていれば「りんごとバナナの違い」ばかりに目を向けるのではなく、「りんごとバナナはどこが同じか」にも気づくことができますし、「何を物差しにするか決める」という頭の使い方を知っていれば、思いつきではなく、より網羅的な比較も可能になるでしょう。

バカロレアの参考書が教える、「言葉の意味を吟味して問いを分析し、問いを分類し、自分の論を組み立てなさい」というのも「思考の枠組み」の一つです。

このような枠組みを学んでいるのといないのとでは、思考や議論の深め方に違いが出てくるでしょう。

 

みなさんはここで、抽象的な問いに対する思考の枠組みについて学ぶきっかけを手にしています。このようなきっかけを逃さず、何かを考えるときは「どのような思考の枠組みで考えるか」を意識する必要があります。

しかし、思考の枠組みというのは、ある意味では「技術」にすぎません。より重要なポイントは別のところにあります。それは、バカロレアでは「問いに対する答えに『正解』がない」ことが前提として共有されていることです。

 

日本の大学入試でも、論述式で回答する問題があります。受験で小論文に取り組んだ人なら、バカロレアの種本と似たテクニックを勉強したことがあるかもしれません。

「思考の枠組み」となる頭の使い方は、日本では重視されているとまではいえないものの、全く教えられていないというわけではありません。

しかし、日本の学生が小論文に取り組む姿勢と、フランスでバカロレアの勉強をする学生の間には、スタンスに大きな違いがあるように思います。それは、日本では「模範解答にできるだけ近い小論文を書くこと」を目指す意識が強いのではないかということです。

(写真:iStock.com/panic_attack)

もしみなさんが「思考の枠組み」を学び、思考習慣を深めても、つねに「正解探し」をするスタンスから脱することができなければ、知識を動員し、他者と議論しながら社会課題の解決を目指すという「教養」はおそらく身につかないでしょう。

教養とは、正解のない問いについて考え、「ただ一つの正解」探しをするのではなく、他者と知恵を集結しながらよりよい解、つまり思考の枠組みを駆使した新たな物差しを模索し続けることだともいえるからです。

関連書籍

藤垣裕子/柳川範之『東大教授が考えるあたらしい教養』

「教養=知識量」という考え方はもう通用しない。ネットで検索すればあらゆる情報が瞬時に手に入る今、知識量の重要性は相対的に低くなっているからだ。東大教授2人が提唱する教養とは「正解のない問いに対し、意見の異なる他者との議論を通して思考を柔軟にし、〈自分がよりよいと考える答え〉にたどり着くこと」。その意味するところは何なのか? どうすればこの思考習慣が身につくのか? 人工知能の発展が著しい現代だからこそ、人間にしかできない能力を磨く必要がある。その要諦が詰まった一冊。

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東大教授が考えるあたらしい教養

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藤垣裕子

一九六二年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。一九八五年、東京大学教養学部基礎科学科第二卒業。一九九〇年、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了。一九九〇年、東京大学教養学部助手。一九九六年、科学技術庁科学技術政策研究所主任研究官。二〇〇〇年、東京大学大学院総合文化研究科広域システム科学系助教授。二〇一〇年、同教授、二〇一三年、東京大学総長補佐。二〇一五年より東京大学大学院総合文化研究科副研究科長・教養学部副学部長。学術博士。

柳川範之

一九六三年生まれ。東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。中学卒業後、父親の海外転勤にともないブラジルへ。ブラジルでは高校に行かずに独学生活を送る。大検を受け慶應義塾大学経済学部通信教育課程へ入学。大学時代はシンガポールで通信教育を受けながら独学生活を続ける。大学を卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。『法と企業行動の経済分析』(第五十回日経・経済図書文化賞受賞、日本経済新聞社)、『東大教授が教える独学勉強法』(草思社)など著書多数。

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