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コーヒーと5つの物語

2021.07.05 更新 ツイート

Episode 5

何度も演じた役なのに、本番はなんてむずかしいんだろう。[PR] 中園ミホ

俳優・青木崇高さんがパーソナリティを務める、TOKYO FMのラジオ番組
『ネスカフェ 香味焙煎 presents Lifetime with Coffee~コーヒー片手に、大人のたしなみ~』。この番組で生まれた、豪華作家陣による書き下ろし「コーヒーの香りにまつわる文学」をお楽しみください。第5回目は中園ミホさんによる「二年目のセリフ」です。

*   *   *

二年目のセリフ/中園ミホ

 台本から目を上げて、時計を見た。彼女が帰ってくるまでにセリフを全部憶えてしまいたかったが、この脚本家のセリフはいつも長い。長過ぎる。おまけに医療ドラマだから専門用語が多い。台本を投げつけたい衝動をおさえ、椅子から立ち上がった。

 ミニマリストの彼女と暮し始めてから、リビングもキッチンも殺風景なくらいすっきりしている。僕が売れない役者の頃から使っている薬罐も、あやうく彼女に捨てられるところだった。

「小さいお鍋でお湯を沸かせば、用は足りるでしょ」
「いやいやいや、鍋でコーヒーを淹れるのはさすがにちょっと……」

 なんとか抵抗して守ったホーローの薬罐でお湯を沸かし、二客しかないマグカップのひとつにコーヒーを淹れる。香ばしい湯気を吸い込み、目を閉じてゆっくり啜ると、医療用語でこんがらがった頭の中の回線がほぐれていく。

 一口、もう一口……香りとともにコーヒーを味わい、さっき壁に投げつけようとした台本のセリフを言ってみた。

「術式変更。右(う)腎(じん)、大動脈合併(がっぺい)切除(せつじょ)による腫瘍全摘出(ぜんてきしゅつ)。人工血管置換(ちかん)を行います。……あれっ、言えたじゃないか」

(写真:iStock.com/bangkok)

 僕の彼女はスタジオのセットではなく、本物の手術室でオペをしている。

 外科医の彼女に初めて逢ったのは、二年前。医療ドラマで外科医を演じることになった僕は、役作りのために大学病院の医局やカンファレンスルームを見学させてもらった。そろそろ取材を切り上げようとした時、ドラマのプロデューサーが走って来て言った。

「特別に許可が取れたので、実際の手術を見学してください」

 正直、逃げて帰りたかった。小学生の頃、カエルの解剖で貧血を起こして、保健室に担ぎ込まれたことがある。とはいえ、これから連続ドラマでスーパー外科医を演じる俳優がそんなことは言い出せなかった。

 手術室の重い自動ドアが開くと、数人の助手や看護師たちが忙しそうに動き回っていて、その中心に彼女は立っていた。映画やドラマでよく見るブルーの手術着を着ていた。「電気メス」と言う彼女の澄んだ声でオペが始まり、「終了」と告げて彼女が出ていくまでの二時間あまり――

 手術室の隅で僕は何度もクラッと貧血を起こしかけ、「大丈夫ですか。無理なさらずに」と看護師に心配されながら、必死の演技で平静を装った。

「いやー、やはりドラマで見るのとは違いますね。とても参考になります」

(写真:iStock.com/XiXinXing)

 見学を終えてようやく医局に戻った僕は、蒼白い顔をして、どうにか倒れずに立っているという有り様だった。

 休憩スペースに置かれたコーヒーマシンに、ふらふら近づき、熱いコーヒーを淹れて飲んでいるうちに、ようやく平常心を取り戻した。

 その時、細い手が伸びて、ガムシロップをガサッとわしづかみにした。

 びっくりして隣を見ると、さっき手術室で顔色ひとつ変えずにメスを握っていた医師だった。彼女はガムシロップの蓋を開けて紙コップに入れると、一気にゴクッと飲み干した。そして、呆気に取られる僕の方を見て、こう言った。

「手術のあとは脳が渇くんです」
「え? 喉が渇くんじゃなくて、脳が?」
「そう。脳がカラカラに渇くから、ガムシロを飲まないと持たないの」
「……はぁ、たいへんなお仕事ですね」

 つきなみな言葉しか出てこなくて、僕は慌ててもう一杯コーヒーを淹れて、彼女に差し出した。脳ミソがカラカラに渇くほどの緊張から解き放たれた人に、僕ができることはそれだけだった。

*   *   *

「ただいま。あー、くたびれた」

 十時過ぎに、彼女が病院から帰ってきた。

「お帰り。晩飯は?」
「明日のオペの打ち合わせしながら、出前のピザ食べた」
「ガムシロは?」
「飲んだ。いつも通り」
「そんなに忙しかったんだ……」

 初めて会った二年前のあの日のように、僕は彼女のためにコーヒーを淹れた。

 隣に座った彼女は両手でマグカップを持ち、深呼吸するように、ゆっくりコーヒーを啜る。ふと、カップを置いて、テーブルの上に置きっぱなしのコーヒーの瓶をじっと見つめている。

「オペで目を酷使するから、部屋には邪魔なものは置きたくないって言ってたよね」
僕が瓶を片づけようとすると、
「ううん。いいの、置いといて。急に実家のテーブルを思い出したの」
「テーブル?」
「実家のダイニングテーブル。いつも真ん中に、こんなふうにコーヒーの瓶が置いてあって……父は新聞を読みながら、母は家事の合間にテレビを見ながら、私は医大の受験勉強の中休みに、それぞれ瓶からコーヒーの粉をカップに入れて、ポットのお湯を注いで飲んだ……誰が最初にあそこに置いたんだろう。ダイニングテーブルはうちの中心にあって、なぜかその真ん中にいつも決まって、コーヒーの瓶が……そこが定位置なの……」

 心からくつろいだ笑顔でそう言うと、彼女はまたカップを傾けて飲んだ。

 ふいに僕は言った。

「今度の休み、君の実家に行こう。ご両親にまだ挨拶してなかったし……」

 彼女は黙っている。

「ごめん。その前にちゃんと言うことがあった。……僕と結婚してください」

 沈黙が流れた。

 長いマに耐えられなくなり、僕はさらに言った。

「ドラマで何十回も言ったセリフなのに、本番はなんてむずかしいんだ」

 その時、返事の代わりに、彼女の寝息が聞こえた。

 今日も何件もの手術をこなし、命のやりとりをしてきた彼女は、僕の肩に頭を乗せて、ぐっすり眠っていた。起こさないように、そっと手からマグカップを取り上げ、残りを飲み干した。あと何杯、あと何十年、彼女とこんなふうにコーヒーを飲めるだろう。 

*   *   *

コーヒーと5つの物語は今回で最終回です。
香り豊かなコーヒーとともにお楽しみください。

中園ミホさんの関連作品はこちら↓

TVドラマ「Doctor-X 外科医・大門未知子」(制作:テレビ朝日/脚本:中園ミホ) (著), かどたひろし (著)『Doctor-X 外科医・大門未知子 (バーズコミックス リミックス)』

医療と金、医局と人脈……「白い巨塔」と呼ばれる大学病院の闇に敢然と挑む、フリーランス外科医・大門未知子。輝かしい経歴を持ち、どんな困難な手術にも「私、失敗しないので」と言い切る未知子が、大学病院の常識を次々と突き破っていく。そして次第に判明してゆく、『謎の天才外科医・Doctor-X』の正体とは──

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コーヒーと5つの物語

TOKYO FMで放送中の俳優・青木崇高さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『ネスカフェ 香味焙煎 presents Lifetime with Coffee~コーヒー片手に、大人のたしなみ~』。
この番組で生まれた、豪華作家陣による「コーヒーの香り」にまつわる書き下ろしショートストーリーです。

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中園ミホ

脚本家。1988年、テレビドラマ『ニュータウン仮分署』で脚本家としてデビュー。『ハケンの品格』や、『やまとなでしこ』、『はつ恋』、『Doctor-X~外科医・大門未知子~』、NHK連続テレビ小説『花子とアン』、NHK大河ドラマ『西郷どん』など、話題作を手掛ける。

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