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コーヒーと5つの物語

2021.06.07 更新 ツイート

Episode 3

遊びの時間がつれていってくれるところとは[PR] 吉田修一

俳優・青木崇高さんがパーソナリティを務める、TOKYO FMのラジオ番組
『ネスカフェ 香味焙煎 presents Lifetime with Coffee~コーヒー片手に、大人のたしなみ~』。この番組で生まれた、豪華作家陣による書き下ろし「コーヒーの香りにまつわる文学」をお楽しみください。第3回は吉田修一さんによる「プレイグラウンド」です。

*  *  *

プレイグラウンド/吉田修一

 気に入ったカップにコーヒーを淹れ、ベランダへ出る。今日選んだのは古伊万里のコーヒーカップで、九州に出張したときに偶然やっていた小さな港町の骨董市で買い求めた。透き通るような白地に古伊万里らしい豪奢な色付けのされたカップで、肌触りもよく指にも馴染み、今回はいい買い物をしたと意気揚々として帰宅したのだが、「これ、いくらに見える?」と訊ねた妻の回答は、残念ながら購入金額の半分にも満たない額で、「やっぱ、俺、見る目ないんだろうなー」と、いつものように落胆させられた。

 コーヒー片手に出たベランダからは、マンションの中庭が見渡せる。新緑のこの季節は眩いような紅葉の葉が見事で、五月の薫風にまだ柔らかいその葉を揺らしている。

 都心のタワーマンションから郊外の低層マンションに引っ越してきたとき、誰よりも喜んだのは飼い猫たちだった。生まれた直後からずっとタワーマンション暮らしだったので、草いきれも、雨に濡れた土の匂いも、夜に飛び込んでくるカナブンも、何もかもが彼らにとっては初めての体験で、ベランダに出してやると、その小さな鼻先をクンクンクンクンと左右にふって、これまで知らなかったいろんな匂いや音に、驚き、ビビり、そして少しずつ慣れていった。

 不思議なもので、猫たちが初めてのことを経験するたびに、すでにいい大人であるはずの自分まで、草いきれや雨に濡れた土の匂いやカナブンを、まるで生まれて初めて知ったような、そんな新鮮な気持ちになった。

 休日の朝、このベランダである遊びをするようになったのも、そんな気持ちを味わったせいかもしれない。遊びといっても大したことではない。まず、コーヒーの香りを味わう。今日のように古伊万里のカップであれば、その派手な色使いの中、コーヒーはさらに濃く深く見える。

 遊びというのは、このコーヒーの香りをかぎながらぼんやりとする、だけのことなのだが、このとき、ただぼんやりするのではなく、ぼんやりを意識的にやってみるのだ。

 たとえば、今日のように少し曇った日にはこうなる。まず、カップの中のコーヒーをじっと見つめる。最初はその揺れを見ているだけなのだが、そのうちにそこに映り込んだ雲の残像から、なぜか高校のころ親友に頼まれて告白の付き添いをさせられた日のことが浮かんでくる。もちろんコーヒーにも空に浮かんだ雲にも、なんの関係もない記憶なのだが、浮かんできたイメージは否定せず、ただ自由にその風景を広げていくのが、この遊びの唯一のルールだ。

 あのとき親友に連れて行かれたのは、街路樹も美しい新興住宅地のバス停だった。親友の思い人は中学の同級生で、高校は別になったが三年間ずっと好きだったらしい。彼女が何時のバスで帰宅するのかが分からなかったので、夕方の早い時間から結局七時過ぎまでバス停で待った。市内からのバスは次々とやってくるのだが、なかなか彼女は降りてこない。そのうち暇を持て余し、一人がベンチに立ってサーフィンの真似をすると、もう一人がそのベンチを持ち上げて揺らして遊ぶ。長く待っていたせいか、彼女が本当に降りてきたとき、まるで自分が告白をするかのように緊張した。「あ、来た」という親友の声に、慌てて決めてあった隠れ場所に走った。隠れ場所からこっそりと告白の場面を見た。親友の思い人は当時人気のあった香港の女優に似ていて、少し日に灼けた部活帰りのその肌がキラキラしていた。二人の間にさっきまで遊んでいたベンチがあった。そのベンチに何かメッセージの書かれたプレートが貼られているように見えるのは、つい先日、妻が近所の公園でメッセージプレート付き寄贈ベンチの新規受付があるらしいと教えてくれたからだろう。妻も本気でベンチを寄贈しようとは思っていないようだったが、もし寄贈するならどんなメッセージにしようかと、こちらは本気で考えていた。「他にはどんなメッセージがあるの?」と訊くと、「『ここへ来ると、まだあなたが隣にいるようです』っていうのが一番響いたかなー」と教えてくれた。

(写真:iStock.com/Jean-Philippe Menard)

 ベンチといえば、今もリビングにあるソーレン・ホルストのソファを買ったのは結婚して間もないころで、当時暮らしていたアパートには大きすぎたが、青山のインテリアショップで二人同時に一目惚れしたものだ。マホガニー材に黒革張りのソファはデザインも座り心地も硬質で、探していたごろんと横になっても気持ちが良いソファからは程遠かったし、サイズも予定外、さらに価格も大幅にオーバーだったのだが、二人同時に腰を下ろした瞬間、そこからどうしても動けなくなった。「このソファが似合うような家にいつか引っ越そう」「大切に使って、もし子供ができて、その子が結婚するときにはプレゼントしてあげよう」。動けなくなったソファでそんなことを延々と話していたように思う。結局、このソファが似合う家に暮らせるようになるまでに思ったより時間がかかったし、あいにくソファを引き継いでくれる子供はできず、今では年季の入った黒革もすっかり飼い猫たちの爪とぎにされているが、それでもこのソファに並んで座ると、未だにあのインテリアショップにいた妻が隣にいるような気もする。

(写真:iStock.com/Photoboyko)

「ねえ、そろそろ出かけようよ」

 ふいに妻の声がベランダに届いた。その途端、目の前に浮かんでいたインテリアショップの風景が消えて、中庭で風に揺れる新緑の葉が目に飛び込んでくる。

「またやってたの? 今日は、そのコーヒーにどこまで連れてってもらった?」

 ベランダに出てきた妻から、からかうように訊かれ、「今日は高校時代のバス停」と答える。コーヒーのいい香りがする。いい休日である。

*  *  *

次回は辻仁成さんによるショートストーリーです。
6月21日公開予定です。
香り豊かなコーヒーとともにお楽しみください。

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コメント

幻冬舎plus  「郊外の低層マンションに引っ越してきたとき、誰よりも喜んだのは飼い猫たちだった」 吉田修一さんが描く「コーヒーの香りにまつわる文学」です。お楽しみください。(片) 遊びの時間がつれていってくれるところとは[PR]|コーヒーと5… https://t.co/ZiiQoD4ped 15時間前 replyretweetfavorite

Hi-C  「プレイグラウンド」 傑作ショートストーリーです。 遊びの時間がつれていってくれるところとは|コーヒーと5つの物語|吉田修一 - 幻冬舎plus https://t.co/O3PqJQhkRH #吉田修一 #香味焙煎 1日前 replyretweetfavorite

幻冬舎plus  一杯のコーヒーが過去の記憶を呼び戻してくれる。ブレイクタイムにぜひやりたい遊びです☕️[山] 遊びの時間がつれていってくれるところとは[PR]|コーヒーと5つの物語|吉田修一 - 幻冬舎plus https://t.co/xj56O88sb6 1日前 replyretweetfavorite

幻冬舎plus  「コーヒーの香りにまつわる文学」第3回は吉田修一さんによる「プレイグラウンド」です。 遊びの時間がつれていってくれるところとは[PR]|コーヒーと5つの物語|吉田修一 - 幻冬舎plus https://t.co/xj56O88sb6 3日前 replyretweetfavorite

【公式】吉田修一  番組内でご紹介いただきましたショートストーリーを幻冬舎プラスでお読みいただけます! @スタッフ #吉田修一 #プレイグラウンド https://t.co/PHXPgyY1oq https://t.co/v50sWQ0FBd 7日前 replyretweetfavorite

コーヒーと5つの物語

TOKYO FMで放送中の俳優・青木崇高さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『ネスカフェ 香味焙煎 presents Lifetime with Coffee~コーヒー片手に、大人のたしなみ~』。
この番組で生まれた、豪華作家陣による「コーヒーの香り」にまつわる書き下ろしショートストーリーです。

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吉田修一

長崎県生まれ。97年に『最後の息子』で文学界新人賞を受賞し、デビュー。2002年には『パレード』で第15回山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で第127回芥川賞を受賞。純文学と大衆小説の文学賞を合わせて受賞し話題となる。07年『悪人』で第61回毎日出版文化賞と第34回大佛次郎賞を受賞。10年『横道世之介』で第23回柴田錬三郎賞を受賞。19年『国宝』で第69回芸術選奨文部科学大臣賞、第14回中央公論文芸賞を受賞。作品は英語、仏語、中国語、韓国語などにも翻訳。世界で注目される日本人作家でもある。2016年より芥川賞選考委員。

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