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コーヒーと5つの物語

2021.05.10 更新 ツイート

Episode 1

父の仕事も知らない息子はいつコーヒーの美味しさを知るだろうか [PR] 中村航

俳優・青木崇高さんがパーソナリティを務める、TOKYO FMのラジオ番組
「ネスカフェ 香味焙煎 presents Lifetime with Coffee~コーヒー片手に、大人のたしなみ~」。この番組で生まれた、豪華作家陣による書き下ろし「コーヒーの香りにまつわる文学」をお楽しみください。第1回は中村航さんによる「知っていく」です。

*   *   *

知っていく / 中村航

 Zoomの画面から退出し、キッチンで湯を沸かして、コーヒーを淹れた。マグカップになみなみと注いだ濃いブラウンの液面を見つめ、しばしその香りを楽しむ。
 口に含めば、美味しい、と、いつも思うことを思った。
その液体の質感や、苦みを含んだフレーバーを、こんなにも愉しめるようになったのはいつ頃からだろう、と、ふと考えてみる。

 苦みや酸味の美味しさを知った。香りを楽しむことを知り、それが落ち着きを与えてくれることを知った。
自分で淹れる楽しさや、容器との相性や、水との相性を知った。

 いつだって知らないことを知るのは楽しかった。この歳になっても、時に思いもかけないタイミングで、何かを新しく知ることがある。コロナ禍の今は、期せずして、そういうことが増えた。

 Zoomでの会議で、会社の部下の私服姿を知った。リモート勤務で会議が減ると思ったが、そんなことは全くないことを知った。対面営業ができなくなったぶん、今まで後回しにしていた企画書作りが、案外楽しいことを知った。

 コーヒーを飲み終え、カップをテーブルに置いた。かたり、という音。
 何気なくリビングの入り口のほうに目を移すと、息子がこちらをじっと見ていたので驚いてしまった。

「ただいま」
 健太は平然とした調子で言った。
 平日の午前に、いきなり息子が帰ってくることがある、と、それを知ったのは、今日が初めてのことだ。

「お父さん、仕事してるの?」
「……ああ、そうだよ」
 自宅には小さいながらも書斎があって、リモートワークになってからは、そちらで仕事をしている。

 家族がいないとき、気分転換にリビングでノートパソコンを開くことがあるが、もしかしたら自分が仕事している姿を見られたのは、これが初めてなのかもしれない。

「コーヒー飲んでたの? 仕事しながらコーヒー飲むの?」
「そうだよ」
「へえー」

 どうやら小四の息子には、父親がコーヒーを飲みながら仕事をしている姿が珍しかったようだ。

「今日はどうしたんだ? 早退けしたのか?」
「違うよ、短縮授業だよ。今日から給食もないよ」
「短縮授業……か。じゃあ昼飯はどうするんだ?」
「炒飯作るよ」
「炒飯!? お前、炒飯作れるのか?」
「できるよ。お父さんのも作ってあげようか?」

 ランドセルを置いた健太が、嬉しそうに言った。

「……ああ。……じゃあ、頼むよ」
 嘘だろう、と思っていると、健太はキッチンで何やらカタカタと具材を切り、じゃっじゃっ、と飯を炒め始めた。
「……まじか」
 息子の成長に驚愕する僕の前に、やがて二皿の炒飯が並んだ。やはりテレワークは、僕の知らなかったことを、いろいろあぶりだしてくれる。

 息子の作った炒飯を食べる日が来るなんて、考えたこともなかった。
「食べようよ」
「……ああ」
 いただきます、と、二人で手を合わせて、スプーンを構えた。

 卵とハムと飯――。シンプルなその炒飯は、どこか遠い昔に食べたような味だ。美味しいか美味しくないかで言えば、たいへん美味しかったので、少し笑ってしまった。
「お前、すごいな。美味いよ」
「でしょ?」
「お母さんに教わったのか?」
「違うよ。YouTubeで見た」

 最近の小学生は、炒飯の作り方を、YouTubeで学ぶ……。
 いろいろわかったつもりでいても、本当に知らないことばかりだ。炒飯を口に運ぶ健太は、テーブルの端に寄せてあったノートパソコンを見つめている。

「ねえ、そういえば、お父さんの仕事って何なの?」
「ええ!? 知らないのか?」
 またまた驚愕してしまった。息子とのコミュニケーションは多いほうだと思っていたが、考えてみれば、仕事の話なんて、ほとんどしたことがなかったかもしれない。

「……じゃあ、後で、ちょっと見せてやるよ」
「うん!」
 健太は無邪気に笑った。

 炒飯を食べ終えた僕は、ノートパソコンを開いた。お父さんの仕事はアカウントプランナーだ、と言ってもわからないだろうから、広告の営業だと説明する。
 作りかけの企画書を見せ、マーケティングとか、ブランディングの話をした。わかっているのかいないのか、健太は、ふんふん、と頷く。

「最近は、ネットメディアが増えて、広告の世界もだいぶ変わってきたけどな」
「そうそう。YouTubeの広告収益とかやばいよね」
「……ああ。まあ、そうだな」

 もしかしたら、そっち方面のことは息子のほうが詳しいのかもしれない。
嬉しそうにノートパソコンをのぞき込む健太が、急に顔を上げた。

「ねえ、仕事って楽しいの?」
「……そうだな。そうであってほしいし、そうあるべきだと思うよ」
「ふーん」

 僕の言い回しに、何をどこまで理解したかわからないが、息子は嬉しそうな表情をしている。
「コーヒーは? コーヒーって美味しいの?」
「そうだな。美味しいよ」
 その質問なら、簡潔に答えることができた。
「へえー」

 愉快そうに笑う健太は、今まで多くのことを少しずつ知ってきた。
 そしていつか、コーヒーの美味しさや、仕事の楽しさを知る日が来るだろう。

*   *   *

次回は村山由佳さんによるショートストーリーです。
5月24日公開予定です。
香り豊かなコーヒーとともにお楽しみください。

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予備校に勤める28歳の本山みのり。たまの休みの楽しみは、気のおけない友達と美味しいお酒を呑むこと。恋は3年していない。そんな時、後輩に誘われ通い始めた生け花教室で、助手を務める8歳下の滝川透と出会う。少しずつ距離を縮めていく二人だったが、進学のため透が地元を離れることになり……。恋に仕事に臆病な大人たちの、切ない恋愛小説。

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コーヒーと5つの物語

TOKYO FMで放送中の俳優・青木崇高さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『ネスカフェ 香味焙煎 presents Lifetime with Coffee~コーヒー片手に、大人のたしなみ~』。
この番組で生まれた、豪華作家陣による「コーヒーの香り」にまつわる書き下ろしショートストーリーです。

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中村航

小説家。2002年『リレキショ』にて第39回文藝賞を受賞しデビュー。続く『夏休み』、『ぐるぐるまわるすべり台』は芥川賞候補となる。ベストセラーとなった『100回泣くこと』ほか、『デビクロくんの恋と魔法』、『トリガール!』等、映像化作品多数。アプリゲームがユーザー数全世界2000万人を突破したメディアミックスプロジェクト『BanG Dream!』のストーリー原案・作詞等幅広く手掛けており、若者への影響力も大きい。

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