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さすらいの自由が丘

2021.04.17 更新 ツイート

ジムに行って死ぬかと思った 今村三菜

年末、静岡の実家に帰ったら、ガレージで弟に出くわした。帰ってきた私を一瞥した弟は、「おまえ、死ぬぞ」と言った。だから、「おまえもな」と言った。

 

私こそ、弟を見て、こんなにお腹が出て、弟は臨月なのか、3人目は義妹じゃなくて、弟が産むのかと思ったのだが、それを言ったら、100倍返しにされると思って言わなかったのだ。

「80過ぎた人で、おまえくらい太った人がいるか。いないだろう。デブは早死にするぞ」と言うので、また「おまえもな」と言っておいた。

弟と私は、身長が同じだ。弟は男の割に小さいが、私は女の割に大きい。この際、回りに誰もいないから、「いっせいのせ」で、体重を言ってみようと言ったら、なんと、私と弟は体重まで同じだった。ショックで倒れそうになった。

そうしたら、弟は、「オレはもうジムに入会した。パーソナルトレーニングするから」と言う。無性に悔しかった。私はスポーツ、ジム、ウォーキング、トレーニング、外出など、身体を動かすことが大嫌いなのだ。そんなことをしているより、家の中で宗教とか民俗学とか、心の病についての本を読んで考えることの方が大好きだ。自分の心の中のことを、私は解決したいのだ。

しかし、弟がジムに入会したと聞いて、私は大変焦った。でも母の心臓手術があるので、それが終わって落ち着いたら、私もなにか痩せる手立てを考えようと思った。

 

母の壮絶な心臓手術が終わり、母が、「もう大丈夫よ」と言ったので、私は自由が丘に戻った。疲れで、2日くらい寝込んだが、寝込みながら、「今頃、弟がジムに行っていたらどうしよう。髪の毛がクルクルでヒゲの濃い、暑苦しいポルトガル人みたいな弟が、スッキリしていたらどうしよう」と焦り、私は、ベッドの中でスマホでジムを探した。そんなところは、私は大嫌いだが、もう仕方がない。

あった。うちから徒歩2分のジムで、パーソナルトレーニングをしてくれるところが。しかも、手ぶらで行って、トレーニングウェア、靴、靴下まで貸してくれ、トレーニングの時間は1回たったの20分と書いてあるではないか。

「ひゃっほぅ。20分で痩せさせてくれるなら、簡単よ」と思い、すぐに電話で予約をとった。

数日後、ジムに出かけた。インストラクターのおねえさんが、説明しながら出してくれたストロベリー味のプロテインバーはとても美味しかった。

さあ、トレーニングだ。見たこともないマシンがたくさんあった。全部、コンピューター制御で、私がどのくらい力を出したのか、モニターに数字になって表れる。そこで、3つのマシンを使い、「もっと、もっと、もっと力を出して。今村さん、がんばって」と声をかけられ、限界まで力を出して、頭が真っ白になったら、20分が終わった。

よし、ここで頑張ろうと思い、入会し、ジムを出たら、足が20センチずつしか前に出なかった。2分かかるところを10分かけて、ヨチヨチ歩いて帰った。そして、うちに帰って寝込んだ。しかし、身体のあちこちが痛くて、寝返りが打てなかったので、夜、ロキソニンSを飲みながら、私は、健康になろうとしているのに、何故、鎮痛剤を? と思ったが寝られないので、それ以上、考えるのはやめた。

次に行ったら、「高身長、爽やか筋肉おにいさん」が迎えてくれた。「今日は、マシンを今村さんに合わせて設定するので、時間がかかります」と言う。私は、まず、体重を計られた。恥ずかしいが仕方がない。

マシンに乗って、回りを見ると、キレイな細いおねえさんが2人トレーニングをしていた。私は、爽やかおにいさんに、「ねえねえ、なんであんな細くてキレイなおねえさんがトレーニングするの。なんで、なんで」と、キョロキョロして、愚問を投げかけていたが、まもなく声を発せなくなった。

「はい、今村さん、前腿に力を入れて。もっと、もっと、もっとー」と大声で言うのだ。私は前腿に力を入れて、私の足にかけられた重しを必死で蹴り上げたが、おにいさんが、「まだまだまだー、もっとです、今村さん。100まで力を出してください」と言う。死に物狂いで、前腿に力を入れ、モニターのグラフが100まで行くと、おにいさんは、「はい。あと3上げましょう」と言うのだ。話が違うじゃないか、汚いぞと思ったが声にならない。

次のマシンでは、胸を突き出し、上にある棒をつかみ、それをグーっと上にあげさせられた。

「はい、今村さん、もっとがんばって。もっといけます。120まで行きましょう」とモニターを見て言う。そして、死に物狂いで120まであげると、「はい、あと4あげてみましょう」と言う。「うそつき。120までって言ったじゃん。なんで、あと4なんだよ」と心は叫ぶが声にはならない。

こんな感じで、6個マシンをやった。終わった後、水を飲まされた。爽やかおにいさんに、「お疲れ様でしたー」と言われたが、何も答えられず、頭をコクンと下げ、更衣室にヨロヨロと入った。

着替えて、受付のカウンターで、また来るかどうかわからないが、一応、次の予約をとり、エレベーターに乗った。乗って振り向いたら、爽やかおにいさんが、ドアの外で、爽やかに「次回もお待ちしていまーす」と言い、おじきをしてくれたが、頭だけコクンと下げた。「爽やかなんて大嫌いだ、筋肉も嫌いです」と思った。

 

私はこの後、まだ用事があったのだ。この4月に大学に入学した姪4が、学校に着ていく洋服がないと言うので、義妹と姪4と私とで、洋服を買いに行くのだ。

マンションに戻り、ここで横になったら、2度と起き上がれないと思ったので、懸命にイスに座って耐えた。

姪4が学校が終わったと言うので、再びマスクをし、銀座に向かった。姪4と義妹は、私の洋服のセンスを信頼してくれていて、私が選ぶのだ。姪の洋服を探しながら、目眩と息苦しさを感じた。姪がフィッティングルームに入っている間、倒れないように柱に寄りかかっていた。

姪に似合う洋服をいくつか選び、私も小さなバッグを買ってあげた。しかし、心臓がドキドキして気持ち悪いので、ここで死んだら、人々に迷惑をかけると思い、義妹に心臓が変だとカミングアウトし、スタバで座った。

姪にスマホのストップウォッチで時間を計ってもらい、自分は、手首を押さえて脈をみたら、1分間で96もあった。おまけに不整脈まで出ている。心臓はドックンドックンと強く拍動していて気持ちが悪い。

義妹が、「陽一郎さん(弟)もジムに行った後、そんなようなこと言っていました」と言うので、「ご主人に電話してもいいですか」と義妹に聞き、弟に電話した。弟がでたので、今の私の身体の状況を説明し、私は今、死ぬ可能性はあるだろうか、今、お医者さんに行った方がいいだろうかと、悲壮な思いで問うと、弟から、明後日の方向から答えが来た。

「ミナ、だからといって、ジムやめるなよ。絶対に行け。これは、オレらにとって最後のチャンスだ。絶対にジムに行け」

患者さんが待っている弟には、すぐに電話を切られた。ああ、デブな歯医者に聞いてもダメかとガッカリした。そして、「オレら」と、弟に、デブ仲間として一括りにされたのもイヤだった。

その後も、死に物狂いで、姪のデニムやTシャツを選び、日比谷線の地下鉄に入るところで、解散した。

うちに帰って、すぐにお風呂を沸かしたが、私は浴槽をまたげなかった。足が上がらないのだ。両手で右足を持ち上げ、やっとの思いでお風呂に浸かった。私は「ふぅー」と、久しぶりに深く呼吸ができた気がした。 

まだ8時だったが、私は、ベッドに入った。もう動悸は収まっていたが、友人の循環器内科の先生に電話した。夜中に死んだら困ると思ったのだ。

私の大好きな、「ポッチャリ独身お上品先生」に電話して、今日の事態を説明すると、「ミナさん、それは、やり過ぎですわよ」と言う。全身に血流がいきなり回り出して、頭に酸素を行かせようと、心臓が頑張って思い切り働いたのだそうだ。「ゆっくり、少しずつやりましょうね。陽一郎さんにも、そう仰って下さい」と言ってくれた。 

「それから、運動では痩せられませんわよ。お食事を減らさなけばなりません。わたくし、お食事を減らして7キロ痩せましたの」と言う。「糖質抜きとか、脂抜きとか、何かに特化したものはおやめくださいね」と言いながら、「ミナさんと行く、ホテルのアフタヌーンティーのクーポンはとってありますから、コロナのワクチンを接種いたしましたら、参りましょうね」と言う。「そういたしましょうね」と言葉使いを若干引きずられながら、和やかに談笑し、私はやっと安心し寝た。次の日の朝、私は生きていた。

 

そして、昨日、私はまた、ジムに行った。1回じっくり話をしようと思い、10分早く行き、受付のカウンターに手をつき、爽やか筋肉おにいさんに言った。「あのね。私、前回、ここで運動した後、動悸、眩暈(めまい)、息切れ、頻脈(ひんみゃく)、不整脈になってね、死ぬかと思ったの。私、54歳なんです。あなたは、こういうお仕事をしているのだから、運動大好きでしょ。でも、私は大学2年生で体育の時間が終わってから運動したことがないの。あなたに初老の女の身体状況がわかる? ここで死んだ人いない?」と聞いたら、爽やかおにいさんは、爽やかな笑顔のまま、「死んだ人は1人もいません。今村さんの前に来ていた方は、71歳ですよ。大丈夫です。さあ、今村さん、今日も頑張りましょう」と言うではないか。

私はなんだか騙されたような気になりながら、また更衣室で着替え、マシンに乗った。途中、「はい、今村さん、がんばって。もっと、もっと、もっと。100まで力出しましょう」て言われ、100まで力を出したら、「はい、あと3上げて」と言われて、頑張ったら、涙が出てきてしまった。「はい。今村さん、泣かないで。がんばって、がんばって」

ヨロヨロになって、更衣室から出てきたら、カウンターにインストラクターの人が5人くらいいて、全員で満面の笑みを浮かべ、「お疲れさまでしたー。またお待ちしています」と声を揃えて言うので、私は、「はい。また来ると思います」と答えた。

フラフラとよろめきながら、エレベーターに乗り、振り向くと、爽やかおにいさんが、「今村さん、また頑張りましょう」と言って、お辞儀をしてくれるので、「はい。また頑張ると思います」と答えてドアが閉まった。

もう何がなんだかわからないけれど、いつも頭の中だけで、暗いことを考えているより、爽やかおにいさんに騙されながら、頭が真っ白になる方がよっぽど精神衛生上いいと思った。そんなわけで、私はまたジムに行くと思います。

関連書籍

今村三菜『お嬢さんはつらいよ!』

のほほんと成長してきたお嬢さんを奈落の底に突き落とした「ブス」の一言。上京し、ブスを克服した後も、地震かと思うほどの勢いで貧乏揺すりをする上司、知らぬ間に胸毛を生やす弟、整形手術を勧める母などなど、妙な人々の勝手気ままな言動に翻弄される毎日。変で愛しい人たちに囲まれ、涙と笑いの仁義なきお嬢さんのタタカイは今日も続く!

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さすらいの自由が丘

激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。

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今村三菜 エッセイスト

1966年静岡市生まれ。エッセイスト。仏文学者・詩人でもある祖父・平野威馬雄を筆頭に、平野レミ、和田誠など芸術方面にたずさわる親戚多数。著書に『お嬢さんはつらいよ!』『結婚はつらいよ!』(ともに幻冬舎)がある。

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