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ぼくは、平熱のまま熱狂したい

2019.12.02 更新 ツイート

“何者か”になりたい夜を抱きしめて宮崎智之

日常生活を平熱のまま見つめ、言語化することを得意とする宮崎智之さん。なにげない日々のなかには静かな熱狂が埋まっているのです。

 

亡くなった父は少し変わり者で、時々、妙な名言を吐く人だった。父が遺してくれた言葉の中で心に刻まれたものはたくさんあるが、いまだことあるごとに思い出す一言がある。

高校生の時、思春期をむかえたぼくは毎朝、鏡の前で一生懸命、髪をツンツンにセットしていた。当時はまだワックスより、ジェルが主流。短めにカットした髪を、これでもかというくらいツンツンにし、少しでもカッコよく見えるよう躍起になっていた。

そんな息子を見て、父は思うところがあったのだろう。鏡を前にしたぼくの後ろをうろうろしていた父は一言、「自分が人に注目されていると思った時は、十中八九、社会の窓が開いている時だ」と訓示したのであった。なるほど、だいたい当たっている。

 

さすがに30代後半になった今はそんな自意識はないが、むしろ最近のほうが社会の窓が開いていることが多いため、むやみやたらに注目を集めないように気をつけたい。

でも、まったく自意識がないかと言うと、それはそれでなにかを誤魔化している気がする。正直ではない気がする。SNSが生活に組み込まれた現在では、誰もが「見られる客体」になり得る。写真だって簡単に加工できるし、言葉、特に「文字」は嘘をつくのに一番便利なツールのため、文字を使って発信しているあらゆる表現に嘘や虚栄、過剰な自意識が少しも混じっていない、なんてことを断言できる人はいないのではないか。

そうした状況が、ぼくを「何者か」にドライブさせる。いや、ぼくだけではない。今の時代は誰もが「何者か」になりたくて仕方ない思いを抱いているように見える。しかし、「何者か」とは、いったい何者なのだろう。後世に残る芸術作品をものにした人を指すのか、偉大な起業家で富を築いた人を指すのか、それともツイッターで何十万フォロワーを獲得した人気者を指すのか。人によって定義はまちまちだが、誰もが頭の中に追い求める「何者か」がいて、その「何者か」に常に急かされながら生きている。少なくとも、ぼくにはそういった感覚がある。

と思っていたところ、「何者か」がむくむくと頭の中に立ち上がり、人々を悩ませるようになったのは、考えて見れば当たり前だが、なにも最近だけの現象ではないことがわかった。それは、ふと思い立って二葉亭四迷を読み直したことがきっかけだった。

二葉亭四迷と言えば、小説『浮雲』によって、言文一致体の嚆矢となった人物である。この事実は、誰もが学校で習うことであり、日本の文学史史上、最も重要な人物の一人として記憶されている。しかし、意外にも二葉亭四迷は『浮雲』の出来について自信が持てず、どこか自分の文筆活動に欺瞞を感じ続けていた人物だった。事実、二葉亭四迷は、その後、翻訳業や教育などに従事し、『浮雲』以降、自作を発表するまで20年もかかっている。

ペンネームの由来となった「くたばってしまえ!」という言葉は文学者になりたいと言った二葉亭四迷に父親が叫んだものとされることもあるが、これは正しくなく、二葉亭自身が二葉亭自身に放った怒号である。詐欺まがいの文章を書く自分への苦悶の叫び。

そんな二葉亭四迷が生涯で残した小説作品は、たったの三つだけだった。新聞社のロシア特派員としてペテルブルクに赴任した帰路、洋上で没した直前に書かれた『平凡』という作品が最後となった。文学史で「何者か」になったはずの二葉亭四迷が最後に書いた作品が『平凡』というタイトルだったことは、この作家の悲痛な人生を物語っている。

『平凡』という作品のあらすじをまとめるのは、とても難しい。それでも無理やりにまとめるならば、昔はあるサークルでちょっと名の知れた文士だった男が、自身の人生や、文学的な態度、動機に欺瞞を感じ、欲をなくして「どうか倅(せがれ)が中学校を卒業するまで首尾よく役所を勤めていたい」という「平凡」な境地に至るまでの物語である。

物語のラスト、文学修行と称してほとんど気まぐれな戯れとしか思えない色恋沙汰に入れあげ、自身の進学費用をまかなったがために貧困に窮する実家への仕送りを滞らせた挙句、「父危篤」の報を無下にして臨終に立ち会えなかった主人公はこう語る。

つくづく考えて見ると、夢なような一生だった。わたしは元来実感の人で、終始実感で心をいじめていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すらよくわからぬ男だ。それだのに早くから文学に陥って終始空想の中に漬かっていたから、人間がふやけて、だらしがなくなって、まじめになれなかったのだ。ややまじめになれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のおかげで、すなわち亡父の賜物だと思う。

「何者か」を目指すことに、どこか虚しさと焦燥感を覚えるのは、この「実感」を疎かにしているという罪悪感があるのではないかと、ふと思う。もちろん、「何者か」になる自分に対して「実感」を覚え、空想と経験と生活のバランスをとりながら、生きている人もいるだろう。けれど、誰もがそうなれるほど、人間は強い生き物なのだろうか。ついつい頭の中の実態のない「ふやけたもの」に絡め取られて思考が空転してしまい、自分の元来の性質すら掴み取れない人がほとんどではないか。

ぼくは、自由が好きだ。だから、誰もが自由に生きられる世の中になってほしいなあと思っている。自由でいたい以上、他人の自由も尊重しなければいけない。当然、自由でいるためには、ある種の「強さ」が必要になる。ところが残念ながら、ぼくはとことん「弱い」のだ。だから『平凡』の主人公が抱いた自分に対する猜疑の念がよくわかる。

昭和の時代に活躍した保守系の論客に、福田恆存という人がいる。主張によっては、それはどうなんだと疑問に思うものもある一方、劇作家でもあった福田が『人間・この劇的なるもの』で書いた下記の一節を読み返すたびに、ぐぬぬ……となってしまう。

また、ひとはよく自由について語る。そこでもひとびとはまちがっている。私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起こっているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲していない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する――ほしいのは、そういう実感だ。

引用文をタイピングして、またぐぬぬ……となる。自由を最大の価値と思ってこれまで生きてきたが、生きてきた「実感」として、福田のこの主張は、なかなか論破できない。

自分が誰かや社会にとってかけがえのない存在であり、自分がいなくなると困った事態が生じるという実感がなくては、人は生きていけないのではないか。その実感さえあれば、自分を粗末に扱ったり、自分が社会に存在できなくなるような滅茶苦茶なことを、他人に行なったりしないのではないか。自由も、ふと油断すると「ふやけたもの」として、机上の空論になってしまう恐れがある。「何者か」を目指すのもいいけど、まずはその実感を得られなければ生きていけない弱い存在が人間なのではないか。

そう考えてみると、「何者か」という言葉の持つ所在のなさ、というか心許なさの正体がぼんやりと見えてくる。つまり、「何者か」なんて役は、どこにも存在しないのだ。とても「ふやけた」言葉である。少なくとも、「何者か」になる前にはその役は存在するはずがなく、役のない役者が舞台に立つことほど不安な状態はない。人生はままならない。だからたとえ自由を制限することになったとしても、なんらかの役を与えられなければ何者にもなれず、宙ぶらりんのまま存在するほかないのだ。常に強く、正しく生きることがどうしてもできないぼくには無理である。

そんな自分に、「くたばってしまえ!」と言いたくなる時もある。でも、くたばってしまうのは、やっぱり嫌だ。なんとか、楽しい人生を送りたいものである。どうしたものか。

少しだけ光明が見えてきたのは、友人たちと定期的にキャンプをするようになってからである。日光も外気も苦手なぼくが、なぜキャンプにハマったのか自分でもまったくわからなかったが、今年になって、東畑開人さんの『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』という本を読み、その理由がおぼろげながらに整理できた気がする。

東畑さんによると、なんらかの変化を目指すという目的があるセラピーと違い、ケアは基本的に変化のないサザエさん的な日常を繰り返すものだという。線的な時間と、円環的な時間という違いでも説明され、前者では「する」ことを、後者では「いる」ことを求められる。言い換えるならば、「do」と「be」とではその性質や流れる時間の感覚が異なるということである。

この本を読んで、なるほどと思ったのは、おそらくぼくの人生は目的達成的なdoばかりであり、無目的なbeであれる場面が極端に少ないのではないかということだ。

つまり、ぼくがキャンプに惹かれるのは、キャンプがbeの場だからである。もちろん、doとbeはパッキとわけられるものでもないし、beならではの辛さもある(そのへんのことについては、ぜひ『居るのはつらいよ』を読んでいただきたい)。実際にキャンプではテントやタープを張ったり、食材を仕入れたり、調理したりといったdoがたくさん存在する。「役割」が与えられる。しかし、そういった絶妙なdoの後に、壮大なbeが待っているのだ。暗くなったらまともに動けないし、コンビニなんて気の利いたものもない。そして何より、携帯の電波が通じないことも多いからなおbeになる。

最終的にはただ「いる」だけの状態になる。毎回、ほとんど同じメンバーなので、「去年のキャンプは雨が降ったよね」「誰々が寝坊して大変だったよね」といった内輪ネタで盛り上がるか、まったく無目的な怖い話などをするしかない。円環的に時間が流れていて、成長する必要もない。ただ、beになるためだけに集まる場がキャンプなのだ。

そして、繰り返すが適度に「役割」も与えられる。ちなみに、ぼくの主な役割は「火の番人」である。友人たちから言わせると、ぼくには火を起こしたり、維持したりする天賦の才があるらしい。暗闇の中、火に照らされた青白いぼくの顔は神々しくもあるそうだ。なんだか馬鹿みたいな話ではあるが、その瞬間、ぼくは確実に「何者か」になっている。
 

ここまで、二葉亭四迷だとか福田恆存だとか、つながらなそうな話をだらだらと書いてきたが、なんとキャンプ、それも「火の番人」ですべてをつなげようとしている自分が我ながらに怖ろしい。だけど、あながち冗談で片付けられる話ではないような気がしている。

つまり「何者か」というのは本来、beの話だったのにもかかわらず、どこまでも目的達成的で、存在そのものを顧みない「実感」に乏しいものになっているがゆえに、焦燥感、空虚感にさいなまれるdo的な時間感覚に追われてしまうことになっているのではないか、ということだ。そのねじれが、ぼくをより焦らせ、より困惑させる。

いわゆる「あがり」という状態がない今の時代は、常に成長し変化するdoが求められる。無目的に集まったり、なにかをやったりする場や時間を設けることが難しく、beがままならない時代だとも言える。だから、そこにいるだけで無条件に「何者か」になれる場や時間を確保することが大切なのではないか。それは後世にも残らないし、偉大でもないし、強くもない。「平凡」なままでも、自分の存在に確かな「実感」が得られる避難所だ。

それでも正直なところ、偉大なる「何者か」になりたいという思いは、まったくゼロにはならない。「何者か」として世に認められたいという思いが、どうしても頭をもたげてしまう。その業は、もしかしたら一生つきまとい、ぼくを悩ませ続けるのかもしれない。

しかし、たとえ「平凡」であっても、「何者か」になれるということだけは、忘れないでおきたいと思う。今のところ、「我こそが火の番人である」と、神々しく言い放つ「弱い何者か」がぼくなのだ。

(宮崎智之 @miyazakid

    
※   引用、参考文献
『平凡 ―他六篇』(二葉亭四迷、岩波文庫)
『日本近代文学入門』(堀啓子、中公新書)
『二葉亭四迷伝』(中村光夫、講談社文芸文庫)
『人間・この劇的なるもの』 (福田恆存、中公文庫)
『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(東畑開人、シリーズ ケアをひらく)

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宮崎智之

フリーライター。1982年生まれ。東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。日常生活の違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。
Twitter: @miyazakid

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