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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.11.26 更新 ツイート

第17回

マンガ誌における「男女の壁」を超える試みは、作家側の挑戦だけで終わった中川右介

少年マンガと少女マンガの垣根を超える雑誌「DuO」

竹宮惠子と光瀬龍の『アンドロメダ・ストーリーズ』が連載されていた「マンガ少年」は、1981年5月号で休刊となる。部数の落ち込みが原因である。手塚治虫の『火の鳥』はまたも未完となった。

しかし版元の朝日ソノラマは、4か月後に後継誌として「月刊マンガDuO」を9月号で創刊した。

 

「DuO」は「2人組」のことで、「少年誌でも少女誌でもない」という意味が込められていた。創刊号には「少年マンガと少女マンガの垣根をこえて、ニューセンス・コミックマガジン」と謳われている。

創刊号の執筆陣は、竹宮惠子、楳図かずお、山田ミネコ、樹村みのり、柴田昌弘、新田たつお、石坂啓、高橋葉介、木村直巳、速星七生、オムライスらで、男女のバランスが取れている。

これに先がけて、東京三世社から「少年/少女 SFマンガ競作大全集」という不定期刊行物が、1978年11月25日を発行日として出ている。最初の号は流通上は「漫画スーパーギャンブル」の11月増刊号として出て、「少年/少女」ではなく「少女SFマンガ競作大全集」で、手塚治虫、竹宮惠子、永井豪、飛鳥幸子、岡田史子、石森章太郎、山田ミネコ、桑田次郎、諸星大二郎、川本コオ、西谷祥子、水野英子、吾妻ひでおが、かつて描いた短編が収録された。

79年7月25日発行の「2」から「少年/少女」となる。

同時期、SF専門誌「奇想天外」も、同じコンセプトの「SF漫画大全集」を「別冊奇想天外」として出しており、SFマンガにおいては、作家の男女の区別は関係なくなっていた。

しかし、あくまで、「SFマンガ」の世界での話だ。

朝日ソノラマの「DuO」はSF色が強いが、そうではないマンガも載っていた。そして「少年マンガと少女マンガの垣根を超える」ことを明確に意識し、それをコンセプトとして創刊された。

だが、これも月刊として出せたのは1982年3月号までで、5月号からは隔月刊の「DuO」となり、女性マンガ家率が高くなっていく。結局、「DuO」も85年3月号で休刊となった。竹宮と光瀬の『アンドロメダ・ストーリーズ』は1982年11月号まで連載された。
 

結局、「DuO」が謳った「少年マンガと少女マンガの垣根をこえて」は、実現したのだろうか。垣根そのものがなくなったのだろうか。

SFマンガ、ファンタジーマンガというジャンル内では、作者の性別も読者の性別も、意味を持たなくなっていたのは、間違いない。

だが一般のマンガでは、むしろ、男女の壁は強固なものになったとも言える。

1970年代後半の、里中、竹宮、萩尾たちの少年誌・青年誌への進出は、「試み」として終わり、定着することはなかった。

少年読者は女性マンガ家の作品を好まなかった――と、この少ない例で決めつけはいけないが、編集部を揺るがし、「これからは女性に描いてもらおう」という気運になるほどの反響はなかったのである。

さらに女性マンガ家にしても、無理して少年誌に描く意味がなくなっていく。新しい少女マンガ誌が次々と創刊され、大人の女性のための雑誌も登場していた。

 

少女マンガが市民権を得る

1977年11月発行の、石子順著『少女マンガ漫画1号館』には、少女マンガ誌が20誌以上あるのに、「これまで、なぜか少女マンガについて書かれた本は一冊もありませんでした。」とあり、この本がその最初だとしている。

同書で紹介されるのは、萩尾望都、里中満智子の2人と、手塚治虫、石森章太郎ら男性マンガ家だけだ。この本はガイドブックのようなもので、「少女マンガを論じた本」となると、1979年4月発行の橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』まで待たねばならない。

名著。橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(河出文庫)

橋本のこの本で「論じられる」のは、倉多江美、萩尾望都、大矢ちき、山岸凉子、江口寿史、鴨川つばめ、陸奥A子、土田よしこ、吾妻ひでお、大島弓子である。

「少女マンガが市民権を得た」というのは、この1980年前後からだった。

さらに「少女マンガのほうが自由に描け、作家性のある作品が多い」という雰囲気にもなっていく。

女性マンガ家が男女の壁を越えて少年誌・青年誌に描くのではなく、男性読者が少女マンガを読むという越境が珍しくなくなっていく。

橋本に続いて、男性文化人たちは、時代の先端を分かっているふりをする必要から少女マンガを語り始め、そのなかから「24年組」などのキーワードも確立されていった。

橋本が『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を書く10年前の1969年、評論家の草森紳一は、『石森章太郎選集 第2巻 青い月の夜』(虫プロ商事)の解説に、こう書いていた。
 

女性のまんが家の作品に、致命傷ともいうべき点があるとすれば、それは女性であるという有利な条件である。構想力や想像力が女性に欠けているせいもあるが、結局は女であるため、ものにベッタリしてしまい、女が、少女が、かえって見えなくなるのである。


これは石森章太郎を褒めるための文章なので、割り引く必要はあるが、いまなら「炎上」しかねない文章だ。草森は、男が少女マンガを描いていた不自然さを正当化するため、歌舞伎の女形まで持ち出して、女優が演じる女よりも女形のほうが女を演じることができるという論で、石森は名女形だとして、作品ごとに解説していく。

ともあれ、「構想力や想像力が女性に欠けている」などと、1969年になってもまだ書いていた評論家がいることに、驚かなければならない。

この1969年前後は、ちょうど、竹宮惠子や萩尾望都が世に出たころだ。草森はまだ2人が秘めていた構想力と想像力を知らない。

この2人の登場によって、少女マンガが劇的に変わり、少年誌・少女誌の壁に亀裂が入ったのは、間違いないだろう。

そして、少女マンガが、質的・量的に、つまり文学的にもビジネス的にも、少年マンガに匹敵するようになったことで、皮肉にも、女性マンガ家は、少女誌に留まることで、充分に作家性を発揮でき、ビジネスとしても成り立ち、アシスタントを雇えるようになった。

であれば、何も少年誌・青年誌に描く必要はないのだ。

 

※毎週火曜更新

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

いまや世界を夢中にさせているマンガの世界。その発祥をたどると「オトコ・マンガ」と「オンナ・マンガ」に別れ、男女の壁が当然のように存在する。日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。この交じり合わない男女像が、今の男女不理解に影響を与えている……!? マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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