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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.11.12 更新 ツイート

第15回

『地球(テラ)へ…』と『百億の昼と千億の夜』前史中川右介

前回記したように、女性マンガ家の少年誌への進出は、1974年、里中満智子が「少年マガジン」の『野球狂の詩』で水島新司と共作したのに始まる。里中はさらに「少年マガジン」に75年12月(76年1月4日号)から76年8月まで『さすらい麦子』を連載した。

竹宮惠子、「少年サンデー」増刊号に

その間の1975年7月、竹宮惠子も少年誌にデビューしている。「少年サンデー」が毎月出していた増刊号の8月号だ。

 

当時、「サンデー増刊号」は毎号ひとりのマンガ家を特集し、その作品を載せるだけでなく、そのマンガ家の伝記マンガを『漫画狂の詩』と題して競作させていた。たとえば「手塚治虫伝」を永島慎二に、「藤子不二雄伝」を石森章太郎にと、対象となるマンガ家と交流のあるマンガ家に描かせていた。

そのシリーズのなかで、竹宮は「楳図かずお伝」を描いた。しかし、この時点で竹宮は楳図とは3月にパーティーで挨拶した程度の交流しかない。だが、パーティーでその様子を見ていた編集者が、竹宮と楳図が親しいと勘違いして依頼してきた――と、作中で竹宮は推測している。

ともかく、この『漫画狂の詩 楳図かずお伝』が、竹宮の少年誌デビューとなる。いまで言う「エッセイ・マンガ」に近いもので、竹宮のストーリーテラーとしての才能が発揮されたものではない。

掲載誌も「少年サンデー」といっても増刊号であり、競作のメンバーに選ばれたに過ぎない。それでも作中での竹宮は「「少年サンデー」から依頼が来たと喜んでいるが、その後、依頼がきた様子もない。

竹宮惠子の少年誌への本格的な登場は、1976年12月発売の「マンガ少年」77年1月号からの『地球(テラ)へ……』となる。

竹宮惠子『地球(テラ)へ… 』(1) 中公文庫―コミック版

『地球(テラ)へ……』はアニメ映画化もされ、竹宮の代表作となるが、「少女コミック」では76年2月から『風と木の詩』も連載しており、代表作2作が同時進行していたことになる。『変奏曲』シリーズもこの時期に描かれた作品だ。

萩尾望都、「ビッグコミックオリジナル」に登場

一方、萩尾望都は、少年誌よりも先に青年誌にデビューした。

「ビッグコミックオリジナル」1977年2月5日号の『影のない森』、3月20日号の『十年目の毬絵』の2作の短編だ。

どちらも「大人の男女」の物語である。『影のない森』はホラーファンタジーっぽいが、男とその別れた妻の話、『十年目の毬絵』は大学時代に友人だった男性2人と女性ひとりの物語だ。

里中はギャグマンガ、竹宮はエッセイ・マンガという、いわば変化球で少年誌に登場したのに対し、萩尾はストレートで勝負でき、描きたいものを描いたと言えるだろう。

萩尾望都は『ポーの一族』の連作と並行して、1975年に「別冊少女コミック」9月号から11月号に『11人いる!』を短期連載した。これは本格的なSFマンガとして、手塚治虫や小松左京からの高い評価を得た。

『萩尾望都スペースワンダー 11人いる! 復刻版』(小学館)コミックス単行本

そして、1976年に『ポーの一族』と『11人いる!』の2作で第21回(1975年度)小学館漫画賞を受賞する。

そういう実績もあったので、小学館の「ビッグコミックオリジナル」編集部は、萩尾に好きな題材で青年マンガを描かせたのだろう。

しかし、その後、同誌には描いていない。

萩尾、竹宮のSFマンガ

萩尾望都と竹宮惠子は、ともに少年誌に本格的に登場し、長編を連載するにあたり、SFを選んだ。2人の、そこに至るSF作品歴を簡単に振り返る。

まず、2人はともに手塚治虫や石森章太郎のSFマンガを読んで育っている。

手塚は日本にまだ本格的なSF小説がない時代からSFマンガを描いており、日本SFの創始者のひとりでもある。それに続くのが石森章太郎だった。

萩尾と竹宮だけでなく、この世代の女性マンガ家たちは、SFファンが多い。彼女たちは、自分もSFを描きたいのだが、少女誌の編集者は「少女雑誌ではSFは受けない」と決めつけていた。

たしかに、それまでの少年マンガにおけるSFの大半は、「戦う物語」だ。女の子が好むわけがないと、男性編集者が思い込むのも無理はない。

さらに「女のマンガ家はメカが描けないから、SFは描けない」とも決めつけていた。たしかに、女性マンガ家たちは、普通の自動車や飛行機を描くのにも苦労していた時期があった。

そういう偏見を乗り越えて、萩尾望都や竹宮惠子は、まず少女誌でSFらしきものを描いてきた。

萩尾望都は最初期から、SFを描いている。

1970年に「COM」に手塚治虫の穴埋めで載った『ポーチで少女が子犬と』にしても、ラストのドンデン返しでSFになる。

次が、『精霊狩り』で、「別冊少女コミック」1971年7月号に掲載された。これはSFではあるのだが、ミュージカル調のコミカルな作品だ。

その半年後の「別冊少女コミック」1972年1月号に掲載された短編『あそび玉』が、最初の本格SFである。はるかな未来、人間が銀河7万の惑星で暮らしている世界で、超能力のある少年の物語である。

この2か月後の3月号に『ポーの一族』の第1作『すきとおった銀の髪』が載るので、SF短編のほうが先だった。

その後もファンタジーやコミカルなSFを描いていくが、本格SFとして登場したのが75年の『11人いる!』だった。

竹宮惠子も、1970年の連載『アストロ ツイン』は未来から来た少女が主人公で、「フレッシュSFコメディー」と謳われていたように、最初期からSFを描いていた。だが、SFといっても、コミカルなものが大半だった。ロボットや未来から来た少年が出てくる作品もある。

このような作品群で、読者をSFに慣らした上で、竹宮が描いた最初のシリアスなSFが、「別冊少女コミック」1975年3月号の『ジルベスターの星から』だ。

そして同誌9月号から萩尾の『11人いる!』が載る。

このように、1975年には、2人とも本格SFを描くようになる。というよりも、描きたいものを描けるポジションを得るようになり、彼女たちはSFを描き始めたのだ。

萩尾は『11人いる!』の登場人物のその後を描いた『東の地平 西の永遠』を「別冊少女コミック」1976年12月号から77年2月号まで連載した。

さらに萩尾望都は、アメリカのSF作家レイ・ブラッドベリの短編小説のマンガ化も始めた。最初はSFではなくファンタジー的なものだが、1977年に「週刊マーガレット」2月20日号に『霧笛』『みずうみ』の2編を、「Bradbury傑作選」として描いた。このシリーズは翌年さらに6編描かれる。

 

※毎週火曜更新

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

いまや世界を夢中にさせているマンガの世界。その発祥をたどると「オトコ・マンガ」と「オンナ・マンガ」に別れ、男女の壁が当然のように存在する。日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。この交じり合わない男女像が、今の男女不理解に影響を与えている……!? マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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