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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.11.07 更新 ツイート

第14回

『風と木の詩』登場と「マンガ少年」創刊中川右介

『風と木の詩』登場

1974年、竹宮惠子は壁にぶつかっていた。

萩尾望都は、すでに『ポーの一族』と『トーマの心臓』を描いている。竹宮も美少年たちの物語を描きたいのに、描かせてもらえない。

竹宮は、新しく担当になった編集者から、「自分が描きたいものを描くには、雑誌で人気No.1になればいい。人気No.1のマンガ家になれば、何でも描ける」と教えられた。

そこで絶対にヒットさせようとして、1974年9月から「週刊少女コミック」で古代エジプトを舞台にした歴史ロマン『ファラオの墓』を始める。

竹宮、萩尾の2人が「週刊少女コミック」に「同時に連載する」のはこれが初めてだった。

萩尾は12月発売の号で『トーマの心臓』を完結させると、『ポーの一族』に戻り、「別冊少女コミック」で1975年1月号から再開し、1976年6月号まで、毎号ではないにしろ、継続して掲載した。フラワーコミックスの単行本も76年9月に第5巻が発行され、完結した。

永遠の命を持つ少年が主人公なので、描き続けようと思えばできただろうが、終えたのだ。しかし、40年後の2016年に、連載が再開する。

竹宮惠子の『ファラオの墓』は、1976年2月までの71回にわたる長期連載となり、人気投票で一位にはなれなかったが、最終回の一回前には二位となった。『ファラオの墓』はフラワーコミックス版では全8巻となった。

連載が佳境に入った頃、竹宮は編集部から、描きたいものを描いてくれと言われた。読者がついている。何を描いても大丈夫だと判断されたのだ。

こうして、1976年2月から、「週刊少女コミック」で、竹宮の新連載が始まった。

『風と木の詩』である。

 

手塚治虫の復活と、竹宮惠子の少年誌デビュー

1960年代末から、手塚治虫は大ヒット作が出なくなり、73年の虫プロ倒産で「手塚は終わった」と思われていた。

だが、この倒産騒動の渦中に、手塚治虫は「週刊少年チャンピオン」に『ブラック・ジャック』の連載を始め、じわじわとヒットしていく。

続いて確執のあった講談社の「週刊少年マガジン」と和解し、『三つ目がとおる』を始めると、これもヒットした。

さらに朝日ソノラマから『鉄腕アトム』がコミックスとして刊行されると、ベストセラーになり、講談社は1977年から全300巻の「手塚治虫漫画全集」を刊行していく。

この手塚ルネサンスの一環として、1976年、朝日ソノラマは月刊のマンガ雑誌「マンガ少年」を9月号で創刊した。

目玉は、「COM」に連載していた『火の鳥』の続編である。未完だった「第八部 望郷編」を、その続きを描くのではなく、新しい構想のもとに描いていく。

もともと『火の鳥』は、1947年から55年まで刊行されていた月刊誌「漫画少年」に連載され、未完になった作品である。手塚は「漫画少年」に50年から執筆者として加わり、『ジャングル大帝』を連載した。その次の連載が『火の鳥』だった。

「漫画少年」は新人の発掘に熱心で、読者が投稿した作品を選評を付けて載せていた。この雑誌から、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫らが巣立ったのである。しかし、1955年に版元の学童社が倒産し、「漫画少年」も終刊した。その精神を引き継いだのが「COM」だった。

「漫画少年」「COM」を引き継ぐのが、新雑誌「マンガ少年」だった。単に『火の鳥』が載っただけでなく、すでに各少年マンガ週刊誌が新人賞を設けていたが、同誌も新人の発掘に熱心に取り組んでいく。

「マンガ少年」は誌名に「少年」とあるように、中学生・高校生男子を読者層として想定していた。この少年誌に、1977年1月号から、竹宮惠子は連載することになった。『地球へ……』である。

かくして竹宮惠子は、その代表作となる『風と木の詩』と『地球へ……』を同時並行して連載するのだ。天才は多作であり、傑作は集中して生まれるというが、このマンガ家も例外ではない。

そして、萩尾望都もその半年後に少年誌へ進出する。「少年チャンピオン」で光瀬龍のSF小説『百億の昼と千億の夜』をマンガ化するのだ。

だが、この2人の前に、少年誌に連載を持つ女性マンガ家がいた。

 

里中満智子、「少年マガジン」へ

マンガの男女分化は、掲載される雑誌が少年向け・少女向けに分化していたことで、生じた。

読者は男女に分化していたが、初期の少女マンガの大半が男性マンガ家によって描かれていたように、描き手のほうは、男女に分化していたわけではない。

やがて、男性向けマンガは男性が、女性向けマンガは女性が描くのが当たり前となり、描き手もほぼ男女に分化した。

そのなかで、1970年代半ば、いまとなっては「例外」となるくらい小さな出来事となってしまったが、女性マンガ家の少年誌への進出が試みられた。

先陣を切ったのは、里中満智子である。1964年に高校2年生・16歳で講談社新人漫画賞を受賞してデビューした天才少女だ。1974年には『あした輝く』『姫が行く!』の2作で講談社出版文化賞を受賞した。この時点で26歳なので世間一般では若手だが、デビューして10年目だし、少女マンガの世界ではすでにベテランである。

少女マンガは、読者である小学生から高校生までの女の子の感性と合致しないと、ヒットしない。しかし編集者は「おじさん」ばかりで、女の子の感性など分からない。男性編集者たちは前例主義で描かせていたが、やがて、「オンナのことは分からないから、オンナに任せる」ようになった。

さらに、読者と年齢が近い若いマンガ家のほうが、「いまの女の子の気持ち」がわかるはずだとも気づき、新人の発掘に熱心になる。

里中たち20代半ばのマンガ家は、追われる立場になっていた。

男性マンガ家たちは、少年誌でデビューした後、何年か過ぎたら、青年誌へ移行できた。

だが、ベテランになった女性マンガ家の受け皿となるべき、大人の女性のためのマンガ雑誌は、まだ整備されていない。

そこで、何人かの女性マンガ家は少年誌への進出を試みる。発行部数からも、歴史の長さからも、少年誌のほうが少女誌よりは格上だったので、「出世」のイメージがある。これまで少女誌には描けなかったテーマ、題材で描けるかもしれない。

こうして、講談社系のマンガ家だった里中は、講談社の看板雑誌である「少年マガジン」に登場した。

といっても、単独で執筆するのではなく、水島新司が連載していた『野球狂の詩』シリーズで合作するのだ。1974年に掲載された『ウォッス10番』『ガッツ10番』『スラッガー10番』の「10番3部作」である。主人公の野球選手をはじめ男性キャラクターは水島、その恋人をはじめ女性キャラクターは里中が描いた。

 

「マンガの男女の壁」を打破する試み

『野球狂の詩』の「10番3部作」は評判がよかったので、里中は「少年マガジン」に単独で描くことになった。それが『さすらい麦子』で、1975年12月発売の「少年マガジン」76年1月4日号から、8月1日号まで29回にわたり連載された。

麦子という中学生の女の子が主人公だが、少年誌を意識してか、母はストリッパーで、麦子も毎回のように上半身だけだがヌードになる。お色気というよりはドタバタ色の強いコメディーだ。

主人公の麦子は、元気でしっかり者の女の子で、周囲の男は大人も中学生も子供もダメなヤツか、だらしないヤツばかり。少年読者には、感情移入が難しいマンガだった。そのためか、29回で終わったが、すぐにKCコミックスから全2巻として刊行された。

女性の里中ファンのなかにはコミックスになってから読んだ人もいただろうが、ストリッパーの娘という設定に、ついていけたかどうか。里中作品のなかでは、めったに語られることのない作品である。

1976年当時の「少年マガジン」は、梶原一騎・ながやす巧『愛と誠』、赤塚不二夫『天才バカボン』、手塚治虫『三つ目がとおる』、ちばてつや『おれは鉄平』、梶原一騎・影丸譲也『空手バカ一代』、矢口高雄『釣りキチ三平』、永井豪『イヤハヤ南友』、ジョージ秋山『デロリマン』、つのだじろう『うしろの百太郎』、石森章太郎『鉄面探偵ゲン』などが連載されている。

このオトコ臭い作品群のなかに投じられるのだから、差別化するために「元気な女の子が主人公のコメディー」となったのだろう。しかし、『愛と誠』に対抗する、里中作品で言えば『あした輝く』の純愛大河ドラマ路線のほうが良かったのではないか――というのは後付の論である。

ともあれ、里中による、「女性マンガ家の少年誌進出」は、ひとつの試みにはなった。

その次に少年誌に挑んだのが、竹宮惠子と萩尾望都だった。

『さすらい麦子』の連載が1976年7月発売の号で終了し、12月発売の「マンガ少年」で『地球へ……』が始まり、77年8月発売の号から「少年チャンピオン」で『百億の昼と千億の夜』が始まるのだ。

いったん確立された「マンガの男女の壁」は、1960年代末に「COM」によって崩壊しかけたが、結局はそのままだったが、76年から78年にかけて、壁の「崩壊」には至らなくても、乗り越えようとする女性マンガ家たちがいたのである。

では、竹宮・萩尾による二度目の「男女の壁」打破の試みはどうなるのか。

 

 

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

いまや世界を夢中にさせているマンガの世界。その発祥をたどると「オトコ・マンガ」と「オンナ・マンガ」に別れ、男女の壁が当然のように存在する。日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。この交じり合わない男女像が、今の男女不理解に影響を与えている……!? マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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