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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.10.29 更新 ツイート

第13回

新書判コミックスで変わる、マンガの読み方中川右介

『トーマの心臓』登場

萩尾望都は「週刊少女コミック」に1974年4月から『トーマの心臓』の連載を始めた。

ドイツのギムナジウムでの美少年たちの物語だ。

だが連載第1回の号での読者の人気投票では最下位となった。いきなり、トーマという少年が謎の死を遂げ、そこにそのトーマとよく似た少年が転校してきて…… という、複雑なストーリーなので、最初だけ読んだのでは、よくわからない。最下位も当然だった。

編集部からは打ち切りを要請されたが、萩尾は「せめて1か月、様子を見て下さい」と頼んだ。

 

そうこうしていると、5月に、小学館の新書判コミックス「フラワーコミックス」レーベルで、『ポーの一族』第1巻が発売され、3万部の初版が3日で売り切れた。

当時としては空前のベストセラーだった。何十万部も売れるものは、テレビアニメになるような人気作だけだったのだ。

『ポーの一族』が評判を呼んだのは、コミックスとして出てからだった。「別冊少女コミック」に載っただけでは、男女を問わず大人の読者には届かない。マンガファンの少年も、存在も知らなかっただろう。

編集部は、『ポーの一族』の連載に切り替えようとしたが、『トーマの心臓』はあと少しで終わるからと言って引き延ばしているうちに、こちらも人気が出てきて、12月まで33回にわたる連載となった。

1974年5月に萩尾望都の『ポーの一族』の第1巻が出ると、10月には竹宮惠子の『空がすき!』もフラワーコミックスから刊行された。

 

『空がすき!』は「週刊少女コミック」1971年3月から5月にかけて連載され、好評だったのか、72年8月から10月にかけて「第2部」が連載されたが、コミックスとして出るまで2年かかったことになる。

全2巻で、第1巻の巻末には『落葉の記』という描き下ろしの短編が収録されている。ジルベール、カール、パスカルなど、『風と木の詩』のキャラクターが登場し、さらに2ページ目には「風と木の詩」というネームが、ポツンと置かれている。大長編の構想があるのに描く機会がないため、試験的に描いてみたのだろう。『風と木の詩』の連載開始は76年2月である。

萩尾にとっても、竹宮にとっても、これが初めての「本」だった。

この頃ようやく、雑誌に連載されたマンガが、ほぼ自動的にコミックスとして刊行されるようになるのだ。

コミックスの誕生

雑誌とコミックスが連動するのは1970年前後で、それまでは、マンガというのは、ごく一部を除けば、雑誌に載って、それで終わりだった。

「新書判コミックス」を最初に出したのは、講談社でも小学館でもなく、コダマプレスという、いまはない出版社の「ダイヤモンドコミックス」で、1966年に発刊された。同社はマンガ雑誌は出していないので、手塚治虫、白土三平、石森章太郎、赤塚不二夫などの過去に出た作品をコミックスにしていった。

秋田書店の「サンデーコミックス」も、1966年に発刊が始まった。「少年サンデー」とは直接の関係はなく、さまざまな雑誌に載ったものがこのレーベルから出ていたが、「少年サンデー」連載のものが多い。

「サンデーコミックス」の最初のベストセラーが「少年キング」に連載され、人気がなく打ち切られた、石森章太郎の『サイボーグ009』だった。細切れで読む雑誌ではストーリーが複雑で人気がなかったが、本にまとまると、その複雑なストーリーが見事な伏線となっているので面白さが理解された。

小学館は、1966年に「ゴールデンコミックス」を発刊していたが、同社の「少年サンデー」とは連動していなかった。白土三平の貸本マンガ時代の名作『忍者武芸帳 影丸伝』を出し、ベストセラーとなり、続いて「ガロ」に連載していた『カムイ伝』も出す。

朝日ソノラマも「サンコミックス」を66年に創刊した。同社も当時はマンガ雑誌はなかった。

そして、68年に虫プロ商事も「虫コミックス」を発刊する。手塚治虫、石森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、寺田ヒロオ、つのだじろうといったトキワ荘グループを中心に、「名作」が刊行されていく。

このように、最初期の新書判コミックスは、秋田書店の「サンデーコミックス」を除けば、マンガ雑誌を出していない出版社が出していたのだ。その「サンデーコミックス」も同社が出していた「冒険王」などとは連動していない。

雑誌とコミックスの連動

雑誌を母体としたコミックスの発刊は講談社が先行した。1967年に「講談社コミックス」が発刊される。略称「KC」である。

KCは、「少年マガジン」「少女フレンド」連載のマンガをほ単行本として出すために生まれたものだ。同じレーベルだが、当時は「マガジン」作品の整理番号は001から始まり、「フレンド」作品は501からと区別されていた。やがて、「講談社コミックス」(KC)のなかで、雑誌ごとにレーベルが細分化されていく。

後発の「少年キング」「少年ジャンプ」「少年チャンピオン」は、雑誌創刊から間もなくして連動したコミックスを発刊しているが、当初は人気作品のみしかコミックスにはならない。

最初に少年週刊誌として「少年サンデー」を創刊した小学館だが、コミックスでは完全に出遅れていた。「少年サンデーコミックス」の発刊は1974年6月である。前述のように、それまで「少年サンデー」連載作品は、他社、とくに秋田書店の「サンデーコミックス」から出ることが多かったのだ。

一方、少女マンガでは、後発の小学館は68年に「少女コミック」を創刊すると、その連載作品の受け皿として、74年に「フラワーコミックス」を創刊した。雑誌名に「コミック」を使ってしまったので、「コミックコミックス」とするわけにもいかず、「フラワーコミックス」とし、「少女コミック」だけでなく、その後に同社が出す雑誌の作品も収録していき、逆転して、「月刊フラワーズ」が生まれ、「フラワー=小学館」となる。

集英社も1967年に「マーガレットコミックス」を発刊し、同社の少女マンガのレーベルとしていく。

マンガの読み方の変化

雑誌連載→コミックスというビジネスモデルが確立し、雑誌の原稿料だけでなく、コミックスの印税収入もあてにできることで、マンガ家たちはアシスタントを雇えるようになる。それでもすべての作品が自動的にコミックスになるわけではなく、当初は一部の人気作品に限られていた。

やがて、コミックス刊行を前提として、雑誌連載が決まるようになっていく。雑誌はどれもみな男女別である。

したがって、マンガは最初に発表される段階で、男女別になってしまう。

だが、コミックスは、「少年マンガを読みたいけれど少年雑誌は手に取りにくい少女」、同じように「少女マンガを読みたいけれど少女雑誌は手に取りにくい少年」にとって、ありがたいものだった。

さらに、雑誌連載時は人気があるのかないのかわからない作品でも、コミックスとして出すと爆発的な売れ行きを示すマンガも出てくる。前述の『サイボーグ009』はそのひとつであり、少女マンガでは、萩尾望都の『ポーの一族』がそうした読まれ方をする。

マンガは読み捨てではなく、何度も繰り返して読むものになった。再読に耐えられるものが名作となる。

 

※毎週火曜更新

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

いまや世界を夢中にさせているマンガの世界。その発祥をたどると「オトコ・マンガ」と「オンナ・マンガ」に別れ、男女の壁が当然のように存在する。日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。この交じり合わない男女像が、今の男女不理解に影響を与えている……!? マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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