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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.10.22 更新 ツイート

第12回

『ポーの一族』『ベルサイユのばら』――新しい少女マンガが同時多発中川右介

「COM」が終刊となり、前後して学生運動も衰退し、若者たちの前衛と実験と叛乱の時代は終わった。

この世代を対象として生まれた「青年マンガ」はビジネスとして成功していたが、新しさ、過激さといった、とんがったものはなくなり、丸くなっていく。

そんななか、マンガに異変が起きつつあった。

大人も、青年も少年も知らないところで、それは起きていた。

『ポーの一族』登場

1972年、「週刊少女コミック」では竹宮惠子が『空が好き!』というロマンチック・コメディーでありながら、男の子が主人公という画期的な試みをしていた。

そして、「別冊少女コミック」1972年3月号に、萩尾望都の16ページの『すきとおった銀の髪』が載った。

ヨーロッパのどこかの町が舞台で、14歳の少年が主人公で彼の視点で物語は進む。町のはずれに、いつの間にか美しい少女が暮らすようになっており、名前はメリーベルという。彼女にはエドガーという14歳の兄がいる。少年はメリーベルと親しくなるが、ある日、彼女は引っ越してしまう。それから30年が過ぎて、少年は立派な紳士となっていたが、ある日、メリーベルそっくりの少女に出会う……。

この時点では、16ページの短編に過ぎない。格別大きな反響があったわけでもないようだ。

萩尾は、4月号には『ドアの中のわたしのむすこ』、5月号には『妖精の子もり』、6月号には『6月の声』と、それぞれ独立した短編を描き、一方、「週刊少女コミック」にも、『ごめんあそばせ!』『3月ウサギが集団で』『ママレードちゃん』などの短編を、月に一回のペースで描いていた。

そして、「別冊少女コミック」7月号に24ページの『ポーの村』が載る。青年が主人公で、メリーベルとエドガーに偶然出会う。そして二人が「ポーの一族」、バンパネラだと知る、という物語だ。

 

「別冊少女コミック」8月号には『グレンスミスの日記』が載った。この作品にもエドガーが出てきて、メリーベルという妹がいたと語る。

ここにいたり、編集部の山本はようやく、萩尾望都がある世界観のもとに短編を連作していると気づいた。

萩尾望都は、最初の『すきとおった銀の髪』を描く時点で、『ポーの一族』の構想を練っていた。しかし、何百ページにもなりそうな物語を、いきなり連載したいと言っても通りそうもない。それまで連載はしたことがないのだ。

そこで、独立した短編に見せかけて、バラバラに描いていたのだ。

少女雑誌なので、少女が主人公でなければならない。そのため、この最初の3作では、エドガーが出るシーンは少なく、メリーベルが中心になって物語は進む。竹宮の『サンルームにて』にも、主人公のひとりの妹が出てくるが、それと同じである。

これも作戦だった。最初から少年であるエドガーを主人公にしたいと言っても、通らなかっただろう。謎めいた少女メリーベルの物語と擬装して、『ポーの一族』は始まったのだ。

『ベルサイユのばら』登場

小学館の「少女コミック」編集部の山本は、萩尾望都に、ポーの一族の物語を1972年9月号から連載するように言った。こうして「別冊少女コミック」9月号から12月号まで、『ポーの一族』が連載される。

竹宮惠子は1972年8月から、『空がすき!』の第二部を、「週刊少女コミック」に10回にわたり連載していた。

山岸凉子はすでに集英社の「りぼん」1971年10月号から長編バレエマンガ『アラベスク』の連載を始めていた。

集英社の「週刊マーガレット」では、1972年5月から池田理代子の『ベルサイユのばら』の連載が始まっていた。

池田理代子は1947年12月生まれで、山岸と同年、萩尾、竹宮とは学年で2つ上になる。しかし、彼女は「花の24年組」としては語られない。

池田は1966年に筑波大学の前身である東京教育大学の文学部哲学科に入学した。父親からは最初の1年しか学費は出さないと言われていた。入学するとすぐに学生運動にのめり込んだので、家を出て、学費と生活費を稼ぐために工場で働いたりウェイトレスのアルバイトをしたりしていた。

やがてマンガを描いてみようと思いたち、集英社や講談社に持ち込むが採用されず、貸本マンガを紹介してもらって仕事を得た。貸本マンガ出身のマンガ家として最後の世代となる。

貸本マンガを何冊か描いていると、講談社の「週刊少女フレンド」から声がかかり、1967年、大学2年でデビューした。

学生運動にのめり込んだことからわかるように、池田は社会問題への関心が強く、学園ものや恋愛ものを描く一方で、原爆症、貧困問題を題材にしたマンガも描いていた。部落差別問題を扱ったものも描いたがボツになったというから、かなりの社会派である。

やがて社会派と恋愛ものとが融合する。フランス革命を背景にしたメロドラマを構想するのだ。だが編集者は「歴史ドラマなんか、女が読むはずがない」と差別的に決めつけた。それでもねばり、『ベルサイユのばら』は始まったのだ。

講談社の「少女フレンド」では1972年10月から、里中満智子の『あした輝く』の連載が始まった。1964年に16歳で「少女フレンド新人賞」を受賞してデビューした天才少女は、その後もラブコメで一時代を築いていたが、戦争末期の満州に暮らしていた少女が、戦後の混乱期を生き抜いていく大河ロマンを描き始めたのだ。

女性マンガ家たちの才能が全開していた。

大泉サロンの解散

少女マンガの世界に大きなうねりが生じていた1972年秋、竹宮、萩尾、山岸、そして増山の四人は、45日にわたる欧州旅行へ出かけた。

20代前半の女性としては、彼女たちは収入があったので可能だった。OLではないので、長期休暇も自分で調整すれば取れる。彼女たちの初めての海外旅行だった。

この1972年秋以前にも彼女たちはヨーロッパを舞台にしたマンガを描いているが、それはみな写真や映画、絵画を参考にしていた。ヨーロッパの空気を吸ってみたいという欲求が高まっていたのだ。

そして帰国して間もなく、竹宮は大泉サロンを出ると、萩尾に告げる。

2年ほどで、大泉サロンは解散した。

二人が喧嘩をしたわけでもなさそうだ。竹宮は『少年の名はジルベール』に当時を振り返っているが、萩尾は、この時期については「覚えていない」と詳しく語ろうとしていない。

二人の仕事を追うと、帰国してから、竹宮は「週刊少女コミック」1973年3月から、『ウェディング・ライセンス―結婚許可証―』の連載を20回にわたり続け、それが終わると、『ロンド・カプリチオーソ―氷の旋律―』を10月から翌年4月まで20回と連載、「別冊少女コミック」には短編を描いている。順調のように見える。

しかし、竹宮が本当に描きたいのは、『風と木の詩』だった。それなのに、少年と少年の愛の物語に、編集部は乗ってこない。

竹宮の少年愛はだめなのに、萩尾望都は『ポーの一族』で、いよいよ美少年たちの物語を展開させていた。

1973年1月号からは『メリーベルと銀のばら』が3月号まで、4月号から7月号には『小鳥の巣』と、『ポーの一族』を構成する作品が連続して描かれているのだ。

それをそばで見ている竹宮は、どう思っていただろう。

女性コミック誌市場の拡大

1973年12月、小学館の子会社である集英社は、さらにその子会社として白泉社を創立した。白泉社は74年に「花とゆめ」を、76年に「LaLa」を創刊する。

一方、講談社は1975年に「少女フレンド」を卒業した層に向けて「mimi」を創刊した。

秋田書店は、1974年に「プリンセス」を創刊し、少女マンガに本格的に参入した。さらに78年には少女マンガ専門誌「ひとみ」も創刊する。かつて月刊誌全盛時代の1958年に少女総合雑誌として「ひとみ」を創刊したが長く続かず、61年に休刊していた。その誌名を復活させたのだ。

「少女フレンド」「週刊マーガレット」「少女コミック」「セブンティーン」という週刊誌が競う一方、少女雑誌は月刊誌も健在で、週刊誌がメインとなる少年雑誌とは別の展開をしていく。

いわゆる「レディースコミック」が本格的に登場するのは、講談社が1979年に創刊した「Be in LOVE」で、後を追って、小学館が81年に「ビッグコミックフォアレディ」を創刊した。

レディースコミックは、性描写が売り物となり、男性向けの青年コミックより、いわゆる成人マンガの女性版的な発展をしていき、「少女マンガ」とは異質なものになっていく。

 

※毎週火曜更新

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

いまや世界を夢中にさせているマンガの世界。その発祥をたどると「オトコ・マンガ」と「オンナ・マンガ」に別れ、男女の壁が当然のように存在する。日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。この交じり合わない男女像が、今の男女不理解に影響を与えている……!? マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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