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オスマン帝国英傑列伝

2019.12.02 更新 ツイート

イェニチェリ軍団の廃止【マフムト二世(3)】小笠原弘幸

およそ600年という史上まれに見る長期間、繁栄を誇ったイスラムの盟主「オスマン帝国」。前代未聞の大帝国を築いたのはどんな人物たちだったのか。
ベストセラー『オスマン帝国』(中公新書)の著者小笠原弘幸氏がオスマン帝国の傑物10人を考察する新連載。
今回は帝国の危機を救った「大王」マフムト二世を取り上げます。

「ムハンマド常勝軍」と名付けた新しい軍団を組織

機が熟したのは、即位から実に18年が経過した、1826年である。
この年、マフムト二世は新式軍団の創設を宣言、イェニチェリ軍団から人員を引き抜いて軍団を組織した。マフムトの深謀遠慮が功を奏し、このころイェニチェリ軍団の有力な地位は、マフムトの支持者が占めていたのだった。
この動きに対し、イェニチェリ軍団の守旧派は暴発し、反乱を起こす。おそらくマフムトはこの反乱を予期していたのであろう、周到な殲滅作戦によって、わずか一日で反乱は鎮圧される。14世紀半ばの創設以来、オスマン帝国軍の屋台骨となり続けたイェニチェリ軍団は、こうして廃止された。
マフムトは、あらたに「ムハンマド常勝軍」と名付けられた近代的な軍団を設立し、指揮系統も刷新して統一的な命令のもとに帝国の全軍を再編成した。

ムハンマド常勝軍のエルトゥールル騎兵連隊
(アブデュルハミト二世時代のイタリア人宮廷画家ファウスト・ゾナーロ画、1901年)

守旧派の暴力装置であったイェニチェリ軍団が廃止されると、マフムトの改革をさえぎる勢力は、もはや存在しなかった。マフムトは、矢継ぎ早に国家のあらゆる面での改革を断行する。


まず、中央行政を再編して省庁を創設し、文教面でも軍事学校をはじめとした近代的な学校制度を拡充した。ヨーロッパの主要各国には大使館が設置され(これに先んじてセリム三世が設置していたが、彼の廃位にともない閉鎖されていた)、留学生も派遣された――洋画家オスマン・ハムディの父もそのひとりである。あらたに設立された翻訳局は、ヨーロッパの情報を収集すると同時に、外交に習熟した有為の人材を育てた。
郵便局、検疫所、そして新聞など、さまざまな組織や制度がオスマン帝国に登場したのも、この時代である。

宗教改革も実施し、急速な西洋化を推し進める

マフムト二世の改革は、宗教面にもおよんだ。
とくに、長老府を設立し、オスマン帝国において最高の宗教的権威を持っていたイスラム長老(シェイヒュルイスラム)をその長に据えたことは重要であった。イスラム長老は、かつてスルタン廃位にお墨付きを与えるほどの影響力を持っていたが、これ以降は国家機構の一役職にすぎない立場となったのである。


服装面でも、伝統的なターバンが廃止され(ウラマーのみ着用を許された)、代わって機能的なフェスをかぶるように定められた。西洋風のジャケットとズボンを着る軍人や官僚は、フェス以外は、ヨーロッパ各国の人々と変わらぬ姿であったといえよう。
西洋の芸術も、マフムトの改革に積極的に利用された。イタリアの音楽家ジュゼッペ・ドニゼッティが招聘(しょうへい)され「マフムト行進曲」を作曲すると、この曲はマフムト治世における実質的な国歌の位置を得ることになる。また、西洋の画家たちによってマフムトの肖像画がいくつも描かれ、政府のさまざまな施設に飾られた。
マフムトの肖像が描かれたメダルもつくられ、功績のあった家臣に下賜されている。

イタリアの音楽家ジュゼッペ・ドニゼッティ

伝統にとらわれることなく、例を見ない急速な西洋化を進めたマフムト二世は、のちに「異教徒の帝王(ガーヴル・パーディシャー)」とあだ名され、守旧派による批判の対象ともなった。


ただしマフムトは、イスラム的な価値観を改革の正当化に用いることにも余念がなかった。マフムトは、神秘主義教団であるメヴレヴィー教団(いわゆる旋舞教団)やナクシュバンディー教団とつながりを持ち、彼らのネットワークを改革の実践に生かした。また。マフムトの改革を支持し、改革を正当化する論陣を張ったウラマーもいた。マフムトは、「宗教の革新者(ムジャッディド)」――イスラム教を刷新するため世紀の変わり目に登場する人物――とも呼ばれたのである。


マフムトの近代化改革は、単純に「伝統vs近代」あるいは「守旧派vs改革派」という図式で説明できるものではなく、両者を巧みに融合させつつ進められたものだったといえよう。
 

ハレムには17人ともいわれる寵姫

ハレムの女性たち(オスマン・ハムディ画、19世紀末)

マフムト二世には、もうひとつ重要な任務があった――世継ぎの男子をもうけることである。
セリム三世とムスタファ四世が処刑され、両名には子がいなかったことから、当時、マフムト二世がオスマン王家唯一の男子であった。これは、オスマン帝国の歴史がはじまって以来、17世紀半ばのスルタンであるイブラヒム(位1640-1648年)の時代にのみ生じた事態であった。すなわち、マフムト二世がもし夭折(ようせつ)すれば、王家が断絶するという危機的な状況にあったのである。


こうした窮地を乗り越えるためであろう、マフムトはハレムに17人ともいわれる寵姫をかかえた。その結果、男女あわせて36人もの子をなしたが、多くは幼少時に亡くなっている。1823年に王子アブデュルメジト(一世、位1839-1861年)が生まれ、無事に成長するまで、実に15年ものあいだ、王家断絶の危機は続いたのである。
アブデュルメジトのほかに、成人し王位継承者となった男子は、アブデュルアズィズ(位1861-1876年)だけであった。アブデュルメジトの母はベズミハールと呼ばれる女性である。ユダヤ系との説もあるが、実際には、この時期の妃の例にもれず、グルジア系かチェルケス系であった。アブデュルアズィズの母はペルテヴニヤルという名で、出身は不明である。両者ともマフムトよりも長く生き、寄進を通じて建築などの事業を行っている。

イスタンブルのアクサライ地区に建てられたペルテヴニヤル・モスク
(写真: user:Avniyazici; modified by Gothika)

マフムトの時代には、オスマン宮廷におけるトプカプ宮殿の位置づけも変わりつつあった。そもそもマフムトは、トプカプ宮殿を好まず、ベシクタシュの自邸か、異母姉エスマーの館に滞在することが多かった。戦時には、イスタンブル郊外のエユプにある兵舎で2年間、過ごしたこともある。
マフムトの活動範囲は、宮殿どころか、帝都イスタンブルすら超えていた。彼は、国の状況を視察するために、はじめて国土の巡幸を行ったスルタンでもあった。5回にわたる巡幸の多くは、帝国のヨーロッパ側の領土で行われている。ドナウ川沿岸のルセやスィリストレを訪れたのは、北方から迫るロシアを意識したものであったろう(実際、この両市には近代的な要塞が築かれ、南下するロシア軍相手に成果を上げている)。

ドルマバフチェ宮殿

マフムト二世を継いだ息子アブデュルメジトの時代には、トプカプ宮殿に代わって、西洋風のドルマバフチェ宮殿が建てられ、宮廷の機能は完全にそちらに移ることになる。鳥籠制度も彼の時代に廃止され、このころのオスマン王家の王子や王女は、西洋諸国の王侯貴族と同じような暮らしを送るようになった。
 

<~もっと知りたい方へ~ 読書案内>

Coşkun Yılmaz (ed.), II. Mahmud: Istanbul in the Process of Being Rebuilt, Istanbul, 2010.

有名なスルタンにもかかわらず、マフムト二世の本格的な伝記は著されていません。これは、大きく体制が変わった時代であるため、この時期の史料の位置づけや読解が難しいという事情によるものと思われます。そのようななかで本書は、錚々(そうそう)たる研究者が論考を寄せた最新の論集です。

 

新井政美『トルコ近現代史――イスラム国家から国民国家へ』みすず書房、2001年 

マフムト二世を含むオスマン帝国の近代史を学ぶ際、なによりもまず参照すべき著作。著者は小説家としても活躍しており、魅力的な文体でオスマン帝国とトルコ共和国の歴史が語られます。

 

(以下はフィクションです)

 

ジェイソン・グッドウィン、和爾桃子(訳)『イスタンブールの群狼』ハヤカワ・ミステリ文庫、2008年
ジェイソン・グッドウィン、和爾桃子(訳)『イスタンブールの毒蛇』ハヤカワ・ミステリ文庫、2009年

マフムト二世の時代を舞台に、宮廷の宦官(かんがん)ヤシムを主人公にした歴史ミステリ。アメリカで数々の賞を受賞した名作ですが、残念ながら現在は品切れ中(古本で購入できます)。原書では、さらなる続刊も出ているようです。

小笠原弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』

オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築くまでに発展し、イスラムの盟主として君臨した帝国は、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明期から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘、そして滅亡へと至る600年を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。

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小笠原弘幸

1974年北海道北見市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明学講座准教授。専門は、オスマン帝国史およびトルコ共和国史。著書に『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容――古典期オスマン帝国の系譜伝承をめぐって』(刀水書房、2014年)、『オスマン帝国――繁栄と衰亡の六〇〇年史』(中公新書、2018年)。編著に『トルコ共和国 国民の創成とその変容――アタテュルクとエルドアンのはざまで』(九州大学出版会、2019年)。
 

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