1. Home
  2. 生き方
  3. ぼくは、平熱のまま熱狂したい
  4. 不快で仕方ないけど、大切なことを教えてく...

ぼくは、平熱のまま熱狂したい

2019.10.02 更新 ツイート

不快で仕方ないけど、大切なことを教えてくれた作品宮崎智之

日常生活を平熱のまま見つめ、言語化することを得意とする宮崎智之さん。なにげない日々のなかには静かな熱狂が埋まっているのです。

父方の祖父は、たいそうな大酒飲みだった。教員を退職してからは赤玉ポートワインを朝から飲み、まだ未成年のぼくに勧めようとして、両親から怒られていた。そんな祖父が80代後半と、おそらく親族の男性のなかでは一番長生きしたのだから、人生はわからない。亡くなる前日も寒いなか自転車をこぎ、スーパーまでお酒を買いに行っていたらしい。

祖父の日課は赤玉ポートワインを飲みながら、朝からロシア語の詩を暗唱することだった。誰もロシア語をわからなかったので、なんの詩だったのか、本当に発音が正しかったのか、今となっては確かめようがない。それが終わると、短波ラジオをつけて酔っ払いながら株の取引をしていた。身長が180センチもあるのに体重が50キロ台で、肌は真っ白。外に出るときは大きなサングラスをかけていた。この異様な風体の祖父に畏怖の念を抱いていたが、ぼくを見て「ワシの生き写しじゃ」と言われるたびに、子どもながらに不安を覚えたものだ。

祖父はまた、読書家でもあった。書斎には古い本がたくさん置いてあった。ぼくが大学生の頃だったか、次第に入退院を繰り返すようになった祖父に、「今まで読んだなかで、一番すごかった作品はなに?」と聞いてみたことがある。すると祖父は、「カラマーゾフの兄弟」と答え、「でも、ロシア文学は暗くなるから読んでは駄目だ」と続けた。

しかし、残念ながら、すでにそのときには、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』をぼくは読んでいた。祖父は若い頃、地方紙かなにかに小説を投稿していたという。何度落選しても送ってくる執念にまいったのだろう、担当者から電話がかかってきて、「君の小説は暗すぎていけない」と助言されたらしい。ちなみに、祖父の名は陽太郎である。

 

ぼくが衝撃を受けた小説に、同じくロシア文学の『イワン・イリッチの死』がある。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などの代表作を残した文豪・トルストイの作品だ。ぼくは、この小説を読んで、「人生って、なんて最低なんだ」と強い絶望が心に刻まれた。

イワン・イリッチは、いわゆる英雄的な人物ではない。最終的には中央裁判所判事まで昇りつめたものの、どこにでもいる一官史である。父親も同じく官吏であり、その次男だったイワン・イリッチは、一家中での秀才として育った。かといって堅物というわけでもなく、社交家でもあって、若い頃には情欲にも虚栄にも没頭したが、基本的には「気持ちいい生活」と「職業上の規範」を人生に求めた平凡な人物に過ぎない。

題名が示すとおり、この物語でイワン・イリッチは死ぬ。その死に方がなんとも衝撃的、というかまったくと言っていいほど衝撃的な部分がなくて、ぼくは衝撃を受けたのである。

イワン・イリッチは、ある時期から家庭上のトラブル、主に妻との不和と、職業上の権力争いの問題に悩まされるようになる。彼が人生に求めていたものが、脅かされはじめたのだ。妻との言い争いは絶えず、妻は赴任先についての不満などを夫にぶつけた。なんとか職業上の問題を解決して晴れて栄転が決まってからは、妻との仲も新婚当時のような親愛を取り戻し、イワン・イリッチは後から引っ越してくる家族を残して転任先の住居に移る。その住居は、夫婦が理想としていた生活を送るのに、ぴったりと符合するものだった。

イワン・イリッチは、家族をよろこばせるため、住居をより快適なものにしようと駆け回る。居間や書斎、応接室、子どもの勉強部屋を理想のものとするべく、掘り出し物の家具を見つけてきて、きれいに配置した。テーブルを置き換えたり、窓掛の上に置く蛇腹を選ぶのに苦慮したり、細部までこだわった。壁紙職人を呼び、壁紙も張り替えた。

しかし、その職人の仕事がどうも気に食わない。自分の思うような貼り方ではないのだ。家族が引っ越してくる前に、理想の住居に整えたいと常に夢想していたイワン・イリッチは、自らハシゴを昇って職人に壁紙の貼り方を教えた。そのとき、ふと足を踏み外し、ほんのちょっとだけ窓の取っ手に横腹を打ちつけたのである。このささいな事故が原因で、イワン・イリッチは、長い間、原因不明の病と猛烈な痛みに苦しむことになり、死んだのだった。

ただ、これだけの物語である。イワン・イリッチの人生とは、なんと無意味なものだったのだろうか。ぼくは、その無意味さに衝撃を受け、読んだあとに不快な気持ちになった。

病が進むにつれ、イワン・イリッチは次第に気難しい人物になっていく。妻を憎み、医者を憎み、自分が作り上げた理想の部屋を乱す娘とその友人たちを憎んだ。そのうち周囲の人々の関心は、激しい痛みに苦しみ続けるイワン・イリッチの存在から、いつ自分が解放されるのか、イワン・イリッチが死んだあと、後任のポストに誰が就くのかに移っていく。イワン・イリッチは、イワン・イリッチ個人としてではなく、「病人」の枠にはめられ、人々から接されていくようになる。彼自身もそのことに敏感に気づいて死を悟る。イワン・イリッチは、自分の人生のどこに瑕疵(かし)があったのか、なぜ自分が死ななければならないのか、理不尽な痛みに苦しまされながら問い続ける。

そして、苦しみの末、臨終の瞬間に見出したのは、「もう死はおしまいだ」「もう死はなくなったのだ」という安らぎだった。

ぼくが、『イワン・イリッチの死』を読んだ理由は、世界的な文豪の作品に触れようといった崇高な動機からなどではなく、ただ単にちょっと頭がよくなりたい(というか、頭がよく人から見られたい)という不純なものだった。頭をよくするなら、岩波文庫の海外文学だろうと勇んで書店に入ったものの、分厚い作品を読むのは面倒くさい。その点、『イワン・イリッチの死』は、たった102ページで終わる作品だから読みやすそう。

そんな気軽な思いで手に取った本が、まさか人生で最も記憶に残る作品の一つになるとは。文学とは、恐ろしいものである。陽太郎じいさんの助言を、もっと早く聞いておけばよかった。
 

こんなことを思い出した。中学生のときだっただろうか、インフルエンザの高熱によって脱水症状を起こし、救急搬送されたことがある。その時期はインフルエンザが猛威をふるっていたこともあったのだろう、搬送を受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、やっと決まった搬送先の病院は、次々と運ばれてくる患者の対応で混乱していた。

ぼくはベッドに寝かされて応急処置を受けていた。意識がまだ朦朧としている。そんななか、横のベッドに男性が運ばれてきた。カーテンで遮られているので詳しくはわからないけど、おそらく3、40代。聞こえてくる話から判断するに、どうやら交通事故にあったらしい。男性は、痛みで呻き声をあげて、「家族に連絡を」と必死に訴えている。

先に言っておくが、そこにいた医療従事者が悪いわけではない。きっと、男性が考えていたより、症状は軽いものだったのだろう。「救急車で運ばれる」という多くの人にとっては非日常的な状況も、医療従事者からしてみると、日常的に慣れた風景である。

ぼくは、生死をかけた男性の訴えと、冷静かつ事務的に答える医療従事者の対応とのギャップに、少なからずショックを受けた。人生の虚しさを、そこから感じてしまったのだ。

ぼくが、『イワン・イリッチの死』から学んだのは主に、

・    自分の心や体の痛みは人にはわからないし、人の痛みも自分にはわからない
・    人は、映画や漫画で描かれているような劇的な最期を迎えたりはしない

という二点である。

そういう意味では、人生は本当に無意味なものなのかもしれない。『イワン・イリッチの死』は、イワン・イリッチの死が伝わって葬式が行われるシーンから始まり、そこがまた虚無感をより強く覚える文豪の凄まじい筆致なのだが、イワン・イリッチの学生時代からの親友は、葬式が終わった後に、葬式の場に居合わせた友人から誘われていたカードゲームの会場に向かう(その友人は、お祈りの時間が始まる前に、早々と式を後にしていた)

そこにあるのは、「死んだのはおれではなくてあの男だ」という素朴な安堵である。ぼくには、彼らのその思いを責めたり、否定したりすることはできない。誰だって、そうなのではないか。そういった身も蓋もない現実をトルストイは書き、今の時代も読み継がれている。

ロシア文学は暗くなるから読んでは駄目だ−−。それは孫を思って心の底から出た助言だったのだろう。でも、ぼくは『イワン・イリッチの死』を読んでよかったと、今では思っている。この原稿を書くために、もう一度読み直したけど、やっぱり不快な気持ちがふつふつを湧いてきた。しかし、不快なものを排除し、心地よいものばかりを受け入れる人生に、快/不快だけで作品の価値を判断する人生に、どんな意味があるのだろうか、という疑問もある。なぜなら、現実の世界はそのように都合よくはできていないからだ。

現実はあけすけで、偶然に左右され、ときには不快な側面が眼前に現れる。なるべくなら楽しいだけの人生を歩みたいとは思うけど、そんなふうに世界や人間はできていない。イワン・イリッチは気持ちのいい、快適な人生を追い求めた末に、そのことに気がついた。ぼくは、『イワン・イリッチの死』を読むことで、そのことに思いを馳せることができた。

芸術作品に効能を求めるべきかどうかは迷うけれども、不快によって得られるものも確かにある。そして、ときにそれが快適なものより、深い洞察を与えることもあるのだ。

(宮崎智之 @miyazakid

※米川正夫訳『イワン・イリッチの死』(岩波文庫、トルストイ)を参考

関連キーワード

関連書籍

宮崎智之『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』

どうにもしっくりこない人がいる。スーツ姿にリュックで出社するあの人、職場でノンアルコールビールを飲むあの人、恋人を「相方」と呼ぶあの人、休日に仕事メールを送ってくるあの人、彼氏じゃないのに〝彼氏面〟するあの人……。古い常識と新しい常識が入り混じる時代の「ふつう」とは? スッキリとタメになる、現代を生き抜くための必読書。

{ この記事をシェアする }

ぼくは、平熱のまま熱狂したい

バックナンバー

宮崎智之

フリーライター。1982年生まれ。東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。日常生活の違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。
Twitter: @miyazakid

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP