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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.09.24 更新 ツイート

第8回

竹宮惠子、「COM」に登場中川右介

1967年(厳密には66年12月)から71年までの「COM」は、読者の3割前後が女性だったと言われ、女性読者比率の高いマンガ雑誌だった。

「COM」の読者の年齢層は中学生から大学生で、少年雑誌・少女雑誌よりは高い。

いわゆる「学生叛乱」「反体制」の時代で、文化・芸術でも前衛、アングラが全盛期を迎えていた。「COM」より先に創刊された「ガロ」は、前衛・アングラの拠点にもなる。

当然、「COM」もそういう時代の空気からは逃れられない。

「COM」1967年1月号から71年12月号。筆者蔵。
 

すでに「マンガの神様」の称号を得ていた手塚治虫の『火の鳥』が毎号のように巻頭に載っているが、それ以外は前衛的な作品も多い。

その代表が石森章太郎(石ノ森章太郎)の『ジュン』でストーリーのないマンガという前代未聞の作品である。石森は手塚直系だが、この作品においては、師である手塚を抜いた。

手塚、石森と並ぶ、「COM」の柱が永島慎二の『青春残酷物語』で、永島は「ガロ」にも描いているが、「COM」の主要マンガ家でもあった。

岡田史子の「訳のわからないマンガ」の新しさ

「COM」には「ぐら・こん」という読者の広場であり、投稿作品の発表と批評のページがあるのだが、1967年2月号に岡田史子の『太陽と骸骨のような少年』が掲載された。「COM」の誌面はB5判なのだが、1ページを4分割し、原稿4枚分を1ページに載せるという体裁である。2ページにわたり、7枚の作品とそれへの講評が載り、岡田史子はデビューした。

その講評にはこうある。

〈現代詩のような饒舌を、美しいカットで飾った七枚の原稿をまんがと呼べるかどうかは、多分に疑問だ。

そこにはストーリーもなく、対話もぜんぜんかみあっていない。年少の読者には、気取りと自己満足だけの、訳のわからない作品としか見えないだろう。

しかし、まんがの形式をかりたこの作品は、いままでまんがでは扱ええなかったテーマ――人生・希望など――に正面から挑戦している。〉

訳がわからないかもしれないが、これが新しいマンガなのだという解説があって初めて、読者はこの作品を受け入れる。

3月号では5ページが新人のために割かれ、5人の作品が数枚ずつ、5人が扉のみ、載った。10人のうち女性は2人。

4月号からは「月例新人入選作」1作がフルページで掲載されるようになる。入選作の他、佳作4作、「もうひとふんばり」が4作選ばれ、数枚ずつ掲載され、「もっと勉強を」20作はタイトルと作者名のみが載った。佳作以下は号によって作品数は変動する。

6月号では岡田史子は佳作で、もうひとり女性の名もある。「もっと勉強を」は13人中5人が女性だ。

講談社や集英社の雑誌は新人賞を設け、新人発掘に熱心で、賞金も出るし、すぐにデビューできるシステムができていた。マンガ家になるなら、そのほうが早い。それなのに、「COM」に応募、投稿する者がたくさんいた。

竹宮惠子デビュー

7月号の佳作として竹宮惠子(当時は「恵子」)『ここのつの友情』が選ばれ、原稿3枚分が掲載された。23枚の作品とある。1971年に60枚版に改稿され、「週刊少女コミック」に掲載される。

竹宮惠子は1950年2月に徳島県徳島市に生まれた。学年では1949年度、すなわち昭和24年度となる。いわゆる「花の24年組」の中心となるマンガ家だ。幼少期からマンガを描いており、中学生になり、1965年に石森章太郎『マンガ家入門』と『龍神沼』を読んで、本格的にマンガにのめりこんだ。徳島県立城東高等学校に入学した。

1967年7月号は6月に発売となるが、このとき、17歳、高校2年生。

同7号の「ぐら・こん」の同人誌紹介欄に、竹宮が参加していた「宝島」が紹介されている。それによると、メンバーは13人で、男6、女7。発足から1年半というから、66年初めに発足したのだろう。発行は「漫画党」、代表者として「小山田つとむ」とある。小山田はこの時点で、夏休みなどに石森章太郎のアシスタントをしていた。

「宝島」は〈伝説の回覧誌『墨汁一滴』の流れをくむ意欲的な回覧誌〉とある。「回覧誌」というのは、当時はコピーなどなかったので、複製できないため、肉筆原稿を集めて綴じて一冊の雑誌のようにして、それを会員が郵便で回覧していたのだ。

「墨汁一滴」は石森章太郎が高校時代に作っていた回覧誌で、2号から赤塚不二夫も参加したことで知られる。マンガ史上、最も完成度が高く、最も成功した同人回覧誌である。

その「宝島」が「COM」編集部に届き、紹介されたのだ。竹宮の『ナイーダ』は〈ストーリー構成にも説得力があり、ぐいぐい引きつけ読ませる。絵も太いタッチでうまい。近いうち一本立ちできるものを持っている。〉と紹介されている。

『ナイーダ』と前後して描かれたはずの『ここのつの友情』は、9歳の、日本に住む、混血児ジョージが主人公で、彼と日本人の少年とが出会い、友情を深めていく物語だ。

講評には〈人みしりをしていたジョージが、じょじょに日本の生活の中にとけこんでいく過程があざやかに描かれている。涙をかきながらもじめつかないで、ユーモアをいれながら進めているのもよい。〉とあり、『ナイーダ』よりも「できのいい作品」とも書かれている。

少女マンガは女の子が主人公のものが大半だ。その憧れの人、ボーイフレンドとして男子も登場するが、すべて女の子の視点から描かれる。だが、竹宮惠子は、少女マンガよりも少年マンガを好んで読んでいたことから、女の子よりも男の子を描くほうが好きであり得意だった。『ここのつの友情』は「17歳の少女が描いたマンガ」という意味では「少女マンガ」だが、「少年と少年の友情の物語」なので、「少年マンガ」でもある。つまり、そういうジャンル分けに、意味がない。

「女流」が載るマンガ雑誌

12月号では「新人まんが家競作集」という企画があった。月例の新人賞などで優秀な成績だった15名に、「木枯」をテーマとした作品を描かせて、そのなかの4名の作品が掲載されたのだが、その4作は、岡田史子『天国の花』、白石晶子『きょうだい』、竹宮惠子『弟』、福田活子『木枯』と女性の作品ばかりになったので、「女流新人まんが家競作集」と特集タイトルが変更になった。全員が「木枯」をテーマというかモチーフにした8ページの作品を描いている。

現在では「女流」という言葉はポリティカル・コレクトネス(PC)にひっかかるし、優秀作がすべて女性の作品になったからと、あえて「女流」とすることそのものが問題になりそうだが、当時としては「COM」の女性比率の高さを示すものだった。

少女雑誌以外のマンガ雑誌で、これだけの数の女性マンガ家の作品が載るのは、「COM」の先進性を示していたのだ。

竹宮は前回の『ここのつの友情』は23枚の原稿のうちの3枚が、かなり縮小されて載っただけだったが、『弟』は8ページがちゃんとした形で掲載されたので、これが実質的なデビューとなる。

その前の9月号では、青柳裕介が入選し、『いきぬき』が掲載された。後の『土佐の一本釣り』の作者だ。また、あだち充の『虫と少年』が佳作になっている。あだちは、11月号では「もうひとふんばり」に後退するが、以後も投稿している。

10月号は応募総数が182点で、岡田史子『ポーブレト』が佳作となった。

1968年1月号からは「児童まんが」と「青春・実験まんが」の二つのコースに分かれる。男女ではなく、読者対象の年齢で分類するのだ。青春・実験まんがコースで、岡田史子『ガラス玉』が入選し、もりたじゅん『雪の夜』が佳作となった。

2月号では、児童まんがコースで、山岸凉子『水の中の空』が佳作となった。

山岸は1947年9月生まれなので、竹宮の三歳上、学年では二つ上になる。北海道の生まれで、バレエを習っていたが、中学で止めた。北海道札幌旭丘高等学校(現・札幌市立札幌旭丘高校)へ入学し、1964年、高校2年の年に、同学年の里中満智子(1948年1月生まれ)が第1回講談社新人漫画賞を受賞してデビューしたのに驚愕し、自分もマンガ家になろうと決意した。

この後、オーディション番組『スター誕生!』で中学2年生の森昌子が優勝してデビューしたのをテレビで見て、自分と同じ学年の子だと驚き、自分もなれるかもしれないと思ったのが、山口百恵なので、「同年のデビュー」に刺激されて世に出る人はいるものなのだ。もちろん、「自分もなれる」と思った数万人のなかのひとりしか、現実にはなれないが。

1966年春に山岸は高校を卒業し、北海道女子短大美術科に入学した。在学中から講談社の「少女フレンド」や集英社の「別冊マーガレット」の新人賞に応募していたが、佳作までしかいけない。

そういう時代に描いたのが『水の中の空』で、一説には講談社の編集者に見せたところ、うちには向かないと「COM」に送り、佳作となったという。同題の作品が「りぼん」1970年10月号に掲載されるが、まったく別のものだ。

山岸は1968年春に短大を卒業すると、北海道地下資源調査所に就職し、上京のための資金を貯めながらマンガを描いていた。

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

いまや世界を夢中にさせているマンガの世界。その発祥をたどると「オトコ・マンガ」と「オンナ・マンガ」に別れ、男女の壁が当然のように存在する。日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。この交じり合わない男女像が、今の男女不理解に影響を与えている……!? マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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