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オスマン帝国英傑列伝

2019.10.28 更新 ツイート

スルタンの肖像画はこのようにして描かれた【伝説の絵師レヴニー(3)】小笠原弘幸

およそ600年という史上まれに見る長期間、繁栄を誇ったイスラムの盟主「オスマン帝国」。前代未聞の大帝国を築いたのはどんな人物たちだったのか。
ベストセラー『オスマン帝国』(中公新書)の著者小笠原弘幸氏がオスマン帝国の傑物10人を考察する新連載。
今回は天才絵師レヴニーを取り上げます。

レヴニーの作品の3つの特徴

伝存しているレヴニーの作品は、三点ある。

ひとつは、レヴニーの画歴のうちでは初期の作品にあたる『絵入り大系譜書』である。ムスタファ二世の治世末期、おそらく1700年過ぎから作成され、完成したのは1703年のアフメト三世の即位以降である。

 

オスマン帝国には、オスマン王家のスルタンたちの系譜をつくる伝統があったが、16世紀後半より、これにスルタンたちの肖像画を付したものが作成されるようになった。帝国の公式詩人が作成にかかわった巨大かつ豪華な作品もあるが、比較的コンパクトな作品も多数残されている。こうした小品の絵入り系譜書は、外国への贈り物として珍重されたほか(ヨーロッパの古い図書館に所蔵されているのを、しばしば見かける)、17世紀以降は帝国の市井の人々によっても購入・愛好された。レヴニーによって作成された『絵入り大系譜書』は、こうした系譜書の伝統を受け継いだものである。

始祖オスマン一世(位1299頃-1326年)からアフメト三世まで、歴代スルタンたち23名の容貌を、立体的な技法を用いつつ鮮やかに描き出した『絵入り大系譜書』は、このあとの時代に描かれたスルタン肖像画の模範となった。

レヴニー作『人物画帳』の一枚、「若い踊り子」(出典:And, Miniature)

ふたつめは、42名のさまざまな肖像画が集められたアルバムである。ここでは仮に『人物画帳』と呼ぶことにしよう。1710年から1720年ごろにかけて少しずつ書き溜められていったこの作品は、「若人王オスマン二世」(位1618-1622年)の肖像からはじまり、小姓や鷹匠(たかじょう)などの宮廷に仕える人々や、踊り子や音楽家など市井の人々のみならず、イラン人やヨーロッパ人など、外国人の肖像画も含んでいる。このうち「若い踊り子」や「眠る若い女」は、しばしば彼の代表作として取り上げられる名作である。このアルバムに文章は付けられていないが、なんらかのストーリーが存在し、読者は演劇を見るかのようにこの画帳をめくっていたのではないか、と推測する研究者もいる。

レヴニー画『祝祭の書』の一枚(出典:And, Miniature)
ナッカーシュ・オスマン画『祝祭の書』の一枚(出典:And, Miniature)。レヴニーの画と比較されたい

そして、彼の画業の集大成ともいえる作品が、本稿冒頭でも紹介した『祝祭の書』である。1720年の割礼の大祭を取り上げたこの作品のため、ウラマー(イスラム知識人)にして高名な文人であるヴェフビーが筆をとり、1727年ごろに文章を完成させた。画を担当するレヴニーが、その挿絵をいつ完成させたかに定説はない。一説には1730年、あるいは彼が死去する直前の1732年であるといわれている。

 ヴェフビーとレヴニーのあいだで、相互の連携はあまりなかったらしい。というのも、文章と絵がかみあっていない箇所が見受けられるし、ヴェフビーは文中で彼自身に何度か言及しているものの、レヴニーについては一切触れていないからである。ふたりの俊才の仲はあまりよくなかったのかもしれない。ともあれレヴニーは、この作品のために137枚におよぶ細密画を描いた。

伝統を引き継ぎつつ、新しい技法も取り入れた

さて、以上のレヴニーの絵に共通した特徴は、まず、「レヴニー(色)」という筆名にふさわしい、その色彩である。イスラム世界の伝統的な細密画は、コントラストの強い色使いを特徴とする。絢爛豪華な模様と色彩は、作品によっては、万華鏡のようなめくるめくイメージを鑑賞者に与える。画材として金箔が使われることもあった。こうした煌(きら)びやかな細密画にたいして、レヴニーの描く絵は、その色遣いは鮮やかでありつつも、透明感がある。パステル調の画面は、つぎに指摘する「動きのあるタッチ」を阻害せず、無理のない調和を実現させているのである。

 

ふたつめの特徴は、登場人物が躍動的かつ、生き生きと描かれていることである。1582年の祝祭について当時の名絵師ナッカーシュ・オスマンが描いた『祝祭の書』と、レヴニーが描いた『祝祭の書』を見比べると、その違いは明白である。ナッカーシュ・オスマンの画はやはり佳作といえるものであるが、レヴニーと比較すると、登場人物の動きは硬く、背景も書き割りのように見える。一方、レヴニーの筆は、軽業師の所作やバランス感覚をみごとに描き出している。

ほかにも、レヴニーの『人物画帳』には、手に花を持ち香りを嗅ぐなど伝統的なポーズをとったり、動きの大きい大胆なポーズをとる人物がいる。いずれの人物たちについても、そのスタイルや重心の置き方に不自然さや硬さはない。

 

すなわちレヴニーは、これまでのオスマン帝国における細密画の伝統を受け継ぎつつも、新しい技法を取り入れたのである。ただし、彼が細密画に新たな境地を切り開き得たのは、彼ひとりの才能に帰するべきではない。さきに見た、18世紀初頭という新しい時代を迎えたオスマン帝国の人々が、彼のような画風を望んだということが、理由としてまず挙げられよう。そしてなにより、この時期にイスタンブルを訪れていたふたりの西洋人の影響があった。

<~もっと知りたい方へ~ 読書案内>

Gül İrepoğlu, Levni: Painting, Poetry, Colour, Istanbul: Kültür ve TurizmBakanlığı Yayınları, 1999.

レヴニーについてのまとまった英語の研究書です。レヴニーの生涯や作品についての詳細な解説を含んでいます。

 

桝屋友子『イスラームの写本絵画』名古屋大学出版会、2014年

イスラム世界の絵画について、日本語ではまずこの研究書が挙げられます。残念ながらオスマン帝国についてはほとんど触れられていませんが、イランにおける絵画の特徴や発展について、全体像と専門的な知識を得ることができます。

 

ジョナサン・ブルーム、シーラ・ブレア、桝屋友子(訳)『イスラーム美術(岩波 世界の美術)』岩波書店、2001年

絵画以外も含んだイスラム美術全般については、この本がもっとも有益でしょう。カラー図版も多く、比較的コンパクトながらも信頼のおける記述が魅力的です。

 

(以下はフィクションです)

オルハン・パムク、宮下遼(訳)『わたしの名は赤』(上・下)、ハヤカワepi文庫、2012年

トルコ初のノーベル賞作家、オルハン・パムクの代表作。16世紀オスマン帝国の絵師たちをめぐる歴史小説です。本作には、旧訳(和久井路子(訳)、藤原書店、2004年)と新訳があります。上記の書誌情報は新訳のもの。旧訳では著者の日本語版序文が、新訳ではオスマン文学を専門とする訳者による解説が、それぞれ収録されています。

 

(以下は番外編です)

アムステルダム国立美術館のウェブサイトでは、ヴァンムールについての解説と絵を鑑賞することができます。

東京都文京区駒込にある博物館・図書館の東洋文庫では、東洋文庫アカデミアとよばれるセミナーを開催しています。なんとここでは、自分で細密画を描くという、得難い経験ができる講座があります。

小笠原弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』

オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築くまでに発展し、イスラムの盟主として君臨した帝国は、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明期から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘、そして滅亡へと至る600年を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。

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小笠原弘幸

1974年北海道北見市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明学講座准教授。専門は、オスマン帝国史およびトルコ共和国史。著書に『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容――古典期オスマン帝国の系譜伝承をめぐって』(刀水書房、2014年)、『オスマン帝国――繁栄と衰亡の六〇〇年史』(中公新書、2018年)。編著に『トルコ共和国 国民の創成とその変容――アタテュルクとエルドアンのはざまで』(九州大学出版会、2019年)。
 

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