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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.09.03 更新 ツイート

第6回

週刊誌時代へ――「少年サンデー」「少年マガジン」「少女フレンド」「マーガレット」中川右介

日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考――。第6回は、少年誌、少女誌に別れて発展していた雑誌に、ストーリーマンガが掲載されるようになり、ビジネスとして発展していった高度経済成長期頃の話。

*   *   *

(写真:iStock.com/Natalia Perlik)

水野英子が「少女クラブ」でデビューしたのは1955年。竹宮惠子や萩尾望都を中心とする「花の24年組」が登場するのは60年代後半なので、約10年の歳月が流れている。

その間の歴史を記す必要がある。

水野英子がデビューし、最初に連載の仕事を得たのは、講談社の「少女クラブ」(1922年創刊)だった。戦前からある歴史のある雑誌だ。

 

当時は月刊誌の全盛期で、マンガも載せている少女雑誌としては、光文社の「少女」(1949年創刊)、集英社の「少女ブック」(1951年創刊)などがあった。それぞれの版元は、「少年クラブ」「少年」「少年ブック」と対になる雑誌も出していた。

1954年12月、講談社は「少年クラブ」の弟雑誌として「ぼくら」、「少女クラブ」の妹雑誌として「なかよし」を創刊した(1955年1月号が創刊号)。

対抗して、集英社は1955年夏、「少女ブック」の妹雑誌として「りぼん」を創刊した(8月号)。どの雑誌も、マンガを誌面のなかで重要なものとして位置づけていた。

雑誌が増え、マンガの総ページが増えていけば、それを描くマンガ家がより多く必要となる。

水野英子がデビューしたのは、少女雑誌のマーケットが拡大していく時期だった。水野だけでなく何人もの女性マンガ家がデビューした。水野と同時期にデビューし活躍していたのが、わたなべまさこ、牧美也子らである。

貸本マンガの時代

水野は「漫画少年」に投稿したのが手塚治虫の目に留まり、それがきっかけでデビューしたが、わたなべと牧は貸本マンガ出身である。

いまでは完全になくなってしまったが、1960年前後には、全国に約3万店の貸本屋があった。

本や雑誌は読んでしまえばいつまでも持っている必要もない。日本全体が貧しい時代だったので、本や雑誌を買えるのは経済的に余裕のある家に限られていた。そこで、貸本屋というビジネスが成り立ったのだ。漫画喫茶の先祖と言えなくもない。

貸本屋は、新刊書店で売っている本も仕入れて貸していたが、貸本屋専門の本を作る出版社が現れる。

貸本屋のお客さんは、小学生・中学生、若年労働者だった。好まれるのはマンガだったので、1950年代から60年代半ばにかけて、「貸本マンガ」という独自のジャンルが生まれたのだ。一冊120ページ前後の単行本である。

これらの単行本は、表紙などには「少女向き」「少年向き」とは書かれていないが、絵とタイトルを見れば、少女向きか少年向きかは一目瞭然だった。

赤塚不二夫は、大手出版社の雑誌にはなかなか描かせてもらえなかったので、デビュー当時は、この貸本向けマンガを描いていた。しかも、出版社が「女の子が泣ける話」を描けと言うので、そんなものは描きたくなかったが、生活のために少女マンガを描いていたのだ。

すでに手塚治虫の『リボンの騎士』があったが、少女向き貸本マンガは、日本の貧しいかわいそうな女の子の話が多かった。当時の10代の女性は、戦中に生まれた世代なので、等身大のヒロインとなると、こういう話になる。あと、怪談もの、いまでいうホラーもあった。

貸本マンガには少年向きのもあり、探偵もの、戦争もの、スポーツものなど、主人公が「闘う」ものが大半だった。

貸本専門の出版社は社長と数人の社員しかいない零細企業がほとんどで、自転車操業をしていたので、新人が売り込みに来ると、割と簡単に採用された。数が欲しかったのだ。

講談社や集英社にコネも伝手もない新人は、貸本マンガでデビューした。前述のように赤塚不二夫もそうだし、ちばてつや、さいとう・たかをといった、後の巨匠たちも、このルートでマンガ家になる。

そして女性マンガ家も、わたなべまさこ、牧美也子などが貸本マンガでデビューし、大手出版社の月刊誌へ出世していく。

「少年サンデー」「少年マガジン」創刊

1959年4月、小学館の「週刊少年サンデー」と講談社の「週刊少年マガジン」が同時に創刊された(以下、「週刊」は略す)。

両誌とも、いまのようにほぼ全ページがマンガではなく、4分の1から3分の1がマンガで、あとは読み物やグラビアのページだった。

「少年サンデー」は小学館が初めて出すマンガ雑誌だった。

小学館は「小学1年生」から「小学6年生」までの学年別学習雑誌を経営の基盤としていたので、娯楽雑誌は子会社の集英社に任せていた。しかし、学年誌の牙城に講談社が乗り出してきたこと、中学生向けの学年別学習雑誌での学研と旺文社との三つ巴の闘いで苦戦していたことなどから、小学館は、初の少年週刊誌の創刊に踏み切ったのだ。

以後、これをきっかけに小学館はマンガ出版を拡大し、やがては学年別学習雑誌でもマンガのページが増えていく。

小学館の「小学1年生」から「小学6年生」までと、旺文社の「中1時代」から「螢雪時代」、学研の「中1コース」から「高3コース」までの学年別学習雑誌は、男女別ではない雑誌として創刊され、そのまま続いていた。

これらの雑誌にもマンガは載っていたが、そう多くはないし、読者が一学年に限られることから、『ドラえもん』など低学年向けのもの以外、大ヒット作は少ない。

学習誌に載っているマンガも、基本的には、男子向き、女子向きと分かれていて、男女両方が読むという前提のものは少ない。

マンガ史において、この学年別学習雑誌掲載作品はコミックス化されたものが少ないこともあり、忘れられている。

「少女フレンド」「マーガレット」創刊

「少年マガジン」が軌道に乗ると、講談社は歴史ある「少女クラブ」を1962年12月号(11月発売)で休刊にして、12月に63年1月号として「週刊少女フレンド」を創刊した。少女雑誌は月刊の「なかよし」と週刊の「少女フレンド」の2誌となる。

「少女フレンド」の成功を見て、1963年4月、集英社は「少女ブック」を休刊にして「週刊マーガレット」を創刊した。

「マーガレット」創刊時は、日本出版史に残る宣伝方式が展開された。なんと、創刊号56万部を無料配布したのだ。希望者は書店に申し込み、書店を通して配布した。「来週号は、当店で買ってね」という戦術である。これが当たり、「マーガレット」は少女たちの間でまたたく間に知られる。

1963年12月には季刊「別冊マーガレット」も創刊される(64年1月号が創刊号)。

対抗して講談社も、65年4月号を創刊号にして「別冊少女フレンド」を創刊した。

小学館は、集英社とのバッティングを避けるためもあり、少女雑誌部門にも出遅れていたが、1968年4月、月刊の「少女コミック」を創刊(5月号が創刊号)し、69年8月から月2回刊にし、70年4月から週刊にする。

これで少女週刊誌として「少女フレンド」「マーガレット」「少女コミック」の3誌が競うようになった。

一方、少年誌でも、「サンデー」「マガジン」に4年遅れて、1963年7月に少年画報社から「週刊少年キング」が創刊されていた。やがて68年に「少年ジャンプ」、69年に「少年チャンピオン」が創刊されて、5誌体制となる。

高度経済成長の波に乗って、サラリーマン家庭も豊かになると、貸本屋を利用する人も減っていき、その数も減る。貸本屋向けのマンガを出していた出版社は、うまく新刊書店用の版元に乗り換えたところもあるが、多くは倒産した。マンガ家の多くも廃業したが、なかには、大手出版社の月刊誌、週刊誌に描けるようになった者もいる。

こうして、マンガ発表の主要舞台は少年週刊誌、少女週刊誌となった。

1960年代なかばには、女性マンガ家も多くなっていたので、手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、ちばてつやらは、少年誌の仕事が大半となり、描き手も男女別になった。

もちろん、この後も少女雑誌に描く男性マンガ家はいるが、数は少ない。少年雑誌に描く女性マンガ家はもっと少ない。

月刊誌から週刊誌へと替わっても、マンガを載せる雑誌は、男女別のままだった。

これまで見てきたように、雑誌そのものが、少年誌、少女誌に分離して発展し、その雑誌に連載することでストーリーマンガは発展し、ビジネスとして成立した。その結果、マンガも男女別になってしまったのだ。

だが、それに対抗する雑誌もあった。実質5年間しか続かなかった幻の雑誌「COM」である。

 

※毎週火曜更新

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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