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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

2019.08.27 更新 ツイート

第5回

手塚チルドレンの紅一点、水野英子中川右介

第1回「マンガには『オトコ・マンガ』と『オンナ・マンガ』がある」はこちら

(写真:iStock.com/Головина Ксения Александровна)

手塚マンガを読んで感銘し、自分も描きたいと思い、実際に描いてみて、雑誌に投稿して、マンガ家になったのが、二人の藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子 不二雄Ⓐ)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫たちだが、少年だけでなく、少女のなかにも、手塚マンガに影響を受け、自分も描いて、投稿したものがいた。いまでいう、手塚チルドレンだ。

そのひとりが、水野英子(1939~)だった。

 

水野は山口県に住んでいた。手塚治虫がマンガ家志望者のために描いた実用的マンガ入門書を読んで感動し、「少女クラブ」の『リボンの騎士』を愛読していた。中学時代、当時、マンガ少年たちが盛んに投稿していた「漫画少年」に投稿し、佳作にまで残るが、入選することはなかった。

女の子なのに「漫画少年」に投稿したのは、少女雑誌ではマンガの公募をしていなかったからだ。女の子がマンガを描くなど、当時はありえなかった。

「漫画少年」で投稿を審査していたのが、手塚治虫だった。手塚は、なにか感じるものがあったらしく、水野の応募原稿を持ち帰り、保管していた。

水野はそんなことは何も知らず、中学を卒業すると、いつかマンガ家にとの夢は夢として、地元の工場に就職する。まだ高校に全員が進学する時代ではなかった。1955年のことだ。

ところが、その採用通知が届いた日に、「少女クラブ」編集部から手紙が届いた。手塚の仕事場で水野の原稿を見せてもらった編集者・丸山昭が、「そのうち仕事を頼みたい」と連絡してきたのだ。

しかし、すぐにマンガ家になれるわけではないので、水野は予定どおり、就職した。

その後、丸山は一枚もののイラストを水野に依頼し、やがて4コママンガ、1ページか2ページの生活ユーモアマンガと、仕事は大きくなっていく。

やがて、水野は別冊付録も描くようになった。工場での仕事はハードだったので、両立が難しくなり、ついにやめてしまう。

「少女クラブ」の丸山は水野を育成していく。最初は原作付きだったが、連載もさせるようになる。

当時、丸山が担当していた新人が、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)だった。石ノ森は「漫画少年」では毎月のように入選している、天才高校生として有名だった。高校を出ると上京し、そのときから「少女クラブ」に毎号のように描いていた。

その石ノ森が作った同人誌のメンバーのひとりが赤塚不二夫である。2人は、かつて手塚治虫が暮らし、その後は藤子不二雄の2人が住んでいた豊島区のアパート、トキワ荘に住むようになっていた。ここには他にもスポーツマンガで知られる寺田ヒロオ、後にアニメ制作者となる鈴木伸一らも暮らしていた。

「少女クラブ」の丸山は、石ノ森と赤塚と水野3人で合作させようと考え、水野を上京させてトキワ荘に住まわせた。

こうして、水野英子はトキワ荘の紅一点となり、手塚と、その直系である石ノ森や藤子不二雄の2人、赤塚たちとの親交を深め、影響も受ける。

石ノ森はすでにコマ割りの冒険を始めており、手塚よりも大胆な試みをしていた。

さらに、合作したマンガでは、主人公の男女が最後に死んでしまう物語で、あえてラストシーンで2人が死ぬ場面を描かず、ハゲタカが飛んでいる絵を描くことで「死」を暗示させた。

 

女性マンガ家による恋愛マンガの始まり

1950年代末、手塚治虫によって創始されたストーリーマンガは、手塚チルドレンとも言うべき、石ノ森章太郎によってさらに進化し、コマ割りと絵における革新がなされ、暗喩という文学的表現を導入していた。

水野は、手塚がそれほど得意ではなかった「男女の恋愛」をマンガに本格的に導入した。

「女性による少女マンガ」の始まりだ。

水野は、テーマ、題材、ストーリーでの少女マンガの基礎を築き、さらに、登場人物の描写においても、髪型や衣裳など、男性ではよく分からない部分を緻密化し、さらに、読者である小学生・中学生女子が移入しやすい感情表現の技法も編み出していった。

男性マンガ家たちが描く「女の子」は、しょせんは男の妄想か、借り物である。女の子の日常も感情も分からないから、彼らが描けるものは、ファンタジーかホラーかミステリーになる。

女性マンガ家がいなかったのと、少年誌にはまだマンガのページが少なく、新人が入り込めなかったので、手塚や石ノ森たちは少女雑誌にも描いていた。

しかし、女性マンガ家が登場し、なおかつ、少年誌でマンガのページが増えたこと、さらに、1959年に「少年サンデー」と「少年マガジン」が創刊され、マンガのマーケットが急成長していったことで、男性マンガ家は無理して少女雑誌に描く必要がなくなっていく。

その後も、少女雑誌に描く男性マンガ家は現れるが、例外的存在である。

「少女雑誌のマンガも男性マンガ家が描く」時代は、終わるのだ。

マンガの男女の分離が確定した。

 

しかし、だからといって、「少年マンガを読む少女」がいなくなったわけではなかった。

手塚治虫と石ノ森章太郎の少年マンガを愛読していた少女たちのなかから、マンガ家を目指すものが現れる。萩尾望都と竹宮惠子である。

 

※毎週火曜更新

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オトコ・マンガ/オンナ・マンガの世界

いまや世界を夢中にさせているマンガの世界。その発祥をたどると「オトコ・マンガ」と「オンナ・マンガ」に別れ、男女の壁が当然のように存在する。日本の女性は「オトコ・マンガ」をほぼ読まず、男性は「オンナ・マンガ」を読まずに大人になった。この交じり合わない男女像が、今の男女不理解に影響を与えている……!? マンガ独特の歴史をたどりながら日本社会を語る画期的論考。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『サブカル勃興史』(角川新書)、『1968年』(朝日新書)などがある。

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