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オスマン帝国英傑列伝

2019.09.09 更新 ツイート

ドラマ「オスマン帝国外伝」続編の主人公に【偉大な母后キョセム(3)】小笠原弘幸

およそ600年という史上まれに見る長期間、繁栄を誇ったイスラムの盟主「オスマン帝国」。前代未聞の大帝国を築いたのはどんな人物たちだったのか。
ベストセラー『オスマン帝国』(中公新書)の著者小笠原弘幸氏がオスマン帝国の傑物10人を考察する新連載。
今回は、オスマン帝国史上、女性として最長にして最大の権力を有したといわれる、偉大な母后キョセム。大ヒットドラマ「オスマン帝国外伝」続編の主人公としても今注目の存在です

ライバル、トゥルハン妃との暗闘――キョセムの孫・メフメト四世の時代

メフメト四世の母、トゥルハン(写真:Wikimedia Commonsより)

 

イブラヒムに代わっては、キョセムの孫メフメトが、メフメト四世として即位した。即位時のムラト四世よりも若い、まだ6歳の幼子であった。

本来ならば、母后の座を失ったキョセムは、トプカプ宮殿のハレムを退去して旧宮殿に住まわねばならない。しかし、スルタンは幼く、メフメト四世の母トゥルハンも21歳の若さであった。そのためキョセムは、新スルタンの後見人としてトプカプ宮殿にとどまり続けたのである。

 

イブラヒムの廃位と処刑から引き続く混乱のなか、キョセムは子飼いの部下を大宰相に就任させ、宗教的厳格主義を奉じるカドゥザーデ派の人々を重用することで影響力を拡大させる。キョセムは「もっとも偉大な母后」と呼ばれ、「信徒たちの母」という称号を用いた。これは、「信徒たちの長」――全ムスリムの指導者たるカリフが用いる称号であり、当然オスマン帝国のスルタンもこれを名乗った――になぞらえたものである。「当代のファーティマ、現代のアーイシャ」と、預言者ムハンマドの娘や妻に比されることもあった。

 

キョセムの権勢は絶頂にあるかにみえた。しかしこうしたなか、キョセムの専横を嫌う者たちが、トゥルハンの周りに集まりつつあった。ウクライナ出身でクリミア・ハン国の襲撃によって奴隷となった――すなわち、ヒュッレムと同じ出自である――、青い目と白い肌、そして茶色の髪を持つトゥルハンは、キョセムと区別するため、このころ「小母后」と呼ばれていた。

トゥルハン派の台頭に危機感を覚えたキョセムは、メフメト四世を廃し、代わりにメフメト四世の異母弟であるスレイマンを即位させようとたくらんだ。トゥルハンよりも、スレイマンの母のほうがくみしやすいとみたのである。

ハレムで殺害された、唯一の母后

1651年9月2日、キョセムがハレムに協力者を招き入れ、メフメト四世を殺害させようとした直前、キョセムに仕える侍女の裏切りによって、トゥルハン派はこの陰謀を察知した。トゥルハン派は、押っ取り刀で兵を率いてトプカプ宮殿に押し入り、キョセムを捕らえて絞殺したのだった。オスマン王家の貴人を処刑するさいには、血を流さないのが作法であった。このときの凶器は、カーテンの紐だったとも、彼女自身の髪だったともいわれている。

まさに間一髪の差で、キョセムはハレムでの暗闘に敗れたのである。

キョセムは、ハレムで殺害された、オスマン帝国の歴史において唯一の母后となった。彼女が殺された部屋では、トプカプ宮殿のハレムが閉鎖されるまで、とむらいのためか蝋燭(ろうそく)が灯され続けた。「もっとも偉大な母后」と呼ばれた彼女は、死後「弑(しい)された母后」と呼ばれるようになる。

彼女の遺体は、夫であるアフメト一世の傍らに埋葬された。アフメト一世と同年代だとすると、およそ60年の生涯であった。

 

彼女は収賄と売官をつねとし、私腹を肥やしたとして、同時代の歴史家たちに批判されている。しかし、前近代の社会において手数料と賄賂の境目はあいまいであったし、すくなくとも彼女は吝嗇(りんしょく)ではなかった。キョセムは、ほかの王族の女性たちと同様、イスタンブルをはじめとした帝国各地に宗教寄進を行っており、その数は歴代母后のうちでも三本の指に入る。イスタンブルのアジア側、ウスキュダル地区のチニリ・モスクとそれに付随する複合施設は、彼女の寄進による施設の代表例である。

お忍びで牢獄を訪れ、債務不履行によって投獄された人々の負債を代わりに支払い、釈放させたという逸話も伝わる。歴史家たちの評価はともかく、彼女が民衆に愛されていたのはまちがいない。

キョセムによって建てられたチニリ・モスク(撮影者:Ymblanter)

 

さて、キョセムを排除してハレムのあるじとなったトゥルハンであるが、彼女はキョセムほど権力欲の強い人間ではなかったようだ。1654年、ヴェネツィアがダーダネルス海峡を封鎖するという国家的危機にあって、トゥルハンは、大宰相キョプリュリュ・メフメト・パシャ(任1654-59年)に全権を与え、事態の収拾を任じた。80歳にならんとするこの老人は、トゥルハンの期待に見事こたえて、内憂外患を取り除いて帝国を安定させることに成功したのだった。彼の息子ファーズル・アフメトも有能であり、父のあとを継いでやはり大宰相を務めた(任1659-76年)。オスマン帝国が最大版図を達成するのは、彼の時代である。

 

最後に、ひとつの疑問に答えておこう。キョセムは、はたして権謀術数に長けた悪女であるがゆえに、あれほどの権勢をふるいえたのだろうか。

おそらく、そういう一面もあったろう。だが、それだけではない。キョセムが活躍した時代は、16世紀後半のハレムの移動にともない、政治の中心たるトプカプ宮殿とスルタンの後宮たるハレムとが隣接し、ハレムの住人が政治に影響力を持ちやすい状況になっていた。すなわちキョセムの権勢は、16世紀後半に起こった帝国の構造変化がなさしめたものだったのである。

しかし、およそ百年後の17世紀後半、大宰相キョプリュリュ・メフメト・パシャが剛腕をふるったころから、政治の中心は、トプカプ宮殿から大宰相府に移っていった。17世紀後半よりハレムの女性が政治の表舞台に登場しなくなるのは、こうした国政の転換を背景としている。

いずれにせよ、ハレムが国政に力を持ちえた時代は、キョセムの死をもって終わったのである。

『オスマン帝国外伝』の続編の主人公に

 

『壮麗なる世紀――キョセム妃』の予告編

 

同時代からヨーロッパでその名をとどろかせ、さまざまな戯曲の題材となったヒュッレムと異なり、キョセムはほとんど創作の対象となっていない。肖像画にしても、ヒュッレムについてはいくつも伝存しているにもかかわらず、キョセムについては本稿冒頭で紹介した作品が数すくない例である。

20世紀に入ると、歴史家アフメト・レフィクが『女人の天下』と題した一般向けの歴史書を、そして歴史作家レシャト・エクレム・コチが小説『キョセム・スルタン』を著している。キョセムを中心としたハレムの女性たちが活躍した時代を、豊かな筆致で取り上げたこれらの作品は、現在に至るまでよく読み継がれている。とはいえ、17世紀のオスマン帝国が、スレイマン一世らが活躍した前世紀にくらべて華やかさに欠けるためであろう、やはり大衆的な人気を獲得することはなかった。

しかし、最近のトルコ共和国では、学問的あるいは一般向けをとわず、キョセムを取り扱った伝記や小説が多数、著されている。その契機となったのは、2015年から16年にかけて放送されたテレビドラマ『壮麗なる世紀――キョセム妃』であることに異論はあるまい。スレイマン一世の愛妃ヒュッレムを主人公とした大ヒット作『壮麗なる世紀』(邦題:『オスマン帝国外伝』)の続編である本作は、その名のとおりキョセムを主人公とした一代記であり、前作ほどではないが幅広い人気を博した。

「オスマン帝国ブーム」に警鐘を鳴らす声も

ドラマのヒットに象徴されるように、近年のトルコ共和国では、「オスマン帝国ブーム」が久しく続いている。しかし、過剰ともいえるブームが、逆に正しい歴史の理解を妨げるとして、警鐘を鳴らす歴史家もいる。

近代オスマン帝国史研究の第一人者アリ・アクユルドゥズ教授は、2017年に上梓した『ハレムの帝王たる母后――ハレムにおける生活と組織』のなかで、近年さかんに作られているオスマン帝国史を題材とした一般向けの作品について、十分に学問的な検証を経ておらず人々に誤解を広める原因になっている、と指摘する。

オスマン帝国史は一般に保守派の人々に好まれる題材であるが、彼らは「歴史や歴史上の人物にたいするわずかな批判すら我慢できずに」、オスマン帝国を「頭のなかで創り出した完全無欠の黄金時代、あるいは道徳文学や信仰の分野として描いて」おり、「自身の脳内で創造した空想の歴史の世界で生きている」と、手厳しく批判している。

おそらく同教授の念頭にあるのは、『壮麗なる世紀』のようなエンターテインメント性の強い作品ではなく(ヒュッレムの回でふれたとおり、同作品は、むしろ保守派に嫌われていた)、政治的主張が織り込まれたタイプの歴史創作物であろう。同教授はいわゆるリベラル派というよりは、むしろ伝統派の実証的歴史家であるが、その彼にして苦言を呈さざるを得ない状況が、いまのトルコにはあるようだ。

 

<~もっと知りたい方へ~ 読書案内>

ドラマの影響もあるのか、キョセムについての研究は近年一気に進み、トルコでは良質のキョセムの伝記がいくつも刊行されています。しかし残念ながら、英語や日本語で手ごろな書籍は見当たりません。ハレム全般については、「ヒュッレム」の回で紹介した書籍をご覧ください。

 

Özlem Kumrular, Kösem Sultan: İktidar, Hırs, Entrika, İstanbul: Doğan Kitap, 2015.

トルコ語の書籍を一冊だけ紹介しておきます。『キョセム・スルタン――権力、野心、陰謀』と題された本書は、ヴェネツィアの史料なども十全に利用した、現在もっとも詳細なキョセムの伝記です。

 

井上浩一『ビザンツ皇妃列伝――憧れの都に咲いた花』白水Uブックス、2009年

オスマン帝国ではありませんが、オスマン帝国のある意味で前身といえる、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇妃たちの伝記集です。著書は日本におけるビザンツ帝国史の大家。すくない史料のなかで、帝国の政治・社会や史料の説明などを通じ、皇妃たちが生きた時代を見事に浮かび上がらせています。

 

(※以下はフィクションです)

皆川博子『U(ウー)』文藝春秋、2017年

17世紀初頭、デヴシルメで徴用された少年たちを主人公に、第一次世界大戦の時代と交錯しつつ語られる幻想小説。キョセムは登場しないものの、オスマン二世を中心としたエピソードが語られています。

 

須賀しのぶ『流血女神伝 ――砂の覇王』全9巻、集英社コバルト文庫、2000~2002年

架空の世界を舞台にしたファンタジー大河小説の第二部(お読みになるさいは第一部からどうぞ)。作中で重要な国のひとつエティカヤのハレムは、オスマン帝国をモデルにしているのでしょうか、その闊達な描写からはハレムの雰囲気をよくイメージすることができます。

 

『壮麗なる世紀――キョセム妃』(YouTubeに飛びます)

全世界で大ヒットした『壮麗なる世紀』(邦題:オスマン帝国外伝)の続編。全2シーズン。日本での放映は未定ですが、公式チャンネルで視聴することができます(トルコ語)。

小笠原弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』

オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築くまでに発展し、イスラムの盟主として君臨した帝国は、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明期から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘、そして滅亡へと至る600年を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。

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小笠原弘幸

1974年北海道北見市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明学講座准教授。専門は、オスマン帝国史およびトルコ共和国史。著書に『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容――古典期オスマン帝国の系譜伝承をめぐって』(刀水書房、2014年)、『オスマン帝国――繁栄と衰亡の六〇〇年史』(中公新書、2018年)。編著に『トルコ共和国 国民の創成とその変容――アタテュルクとエルドアンのはざまで』(九州大学出版会、2019年)。
 

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