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オスマン帝国英傑列伝

2019.09.02 更新 ツイート

狂王の母としてハレムに君臨【偉大な母后キョセム(2)】小笠原弘幸

およそ600年という史上まれに見る長期間、繁栄を誇ったイスラムの盟主「オスマン帝国」。前代未聞の大帝国を築いたのはどんな人物たちだったのか。
ベストセラー『オスマン帝国』(中公新書)の著者小笠原弘幸氏がオスマン帝国の傑物10人を考察する新連載。
今回は、オスマン帝国史上、女性として最長にして最大の権力を有したといわれる、偉大な母后キョセム。大ヒットドラマ「オスマン帝国外伝」続編の主人公としても今注目の存在です

女性初・スルタンの「摂政」として国政を取り仕切る

1623年にムラト四世が即位したとき、彼はいまだ11歳であった。それまでのスルタンたちのうち、もっとも若くして玉座についた君主である。

息子の即位によってキョセムは、晴れて、旧宮殿からトプカプ宮殿に返り咲いた。そのキョセムに、さっそく危機が訪れる。スルタンの代替わりのさいには、イェニチェリ軍団に賞与が下賜されるのが慣習であったが、短期間に複数のスルタンの即位が繰り返されたためか、国庫に十分な額の貨幣が残っていなかったのである。期待していたボーナスが与えられぬと知ったイェニチェリ軍団は、不満でいまにも反乱を起こしかねなかった。一触即発の状況下で、キョセムは宮殿にたくわえられた数々の財宝を造幣局に送り、急ぎ貨幣を造らせて下賜金としたのである。

 

機転によって即位早々の危機を乗り切ったキョセムは、幼いムラト四世のナーイブとして国政を取り仕切った。ナーイブとは、もともと代理人の意味であるが、ここでは「摂政」と訳すべきであろう。スルタンのナーイブを公的に名乗った唯一の女性が、彼女であった。

 

武者姿のムラト四世(写真:Wikimedia Commonsより)

 

彼女の摂政としての役割は、ほぼ十年間続く。1632年、20歳になっていたムラト四世は、騒擾(そうじょう)を起こした常備騎兵軍団をイェニチェリ軍団の支持を得て鎮圧すると、これを機として母の影響から脱して親政を開始した。

オスマン帝国歴代スルタンの肖像は、ターバンや長衣(カフタン)を被った姿で描かれるのをつねとする。そのなかにあって、ひとり、鎧兜の武者姿で描かれる人物が、ムラト四世である。この姿は、遠征後に、慣例をやぶって甲冑(かっちゅう)をまとい凱旋したという史実にもとづいている。軍事的才能に溢れたムラト四世は、二度の東方遠征を敢行した。バグダードを確保し、エレヴァン(現在のアルメニアの首都。ただし、ムラト四世没後に奪回される)を獲得した彼は、「東方の王」あるいは「当代のアレクサンドロス」と称賛された。

ムラト四世の武勇と技量については、さまざまな逸話が伝わっている。ムラトは、東方への進軍中、溺れた部下を助けに馬を駆って川に入り、部下の襟首をつかんで陸に放り投げて助けたという。また、オーストリアの大使が十枚の盾を贈り物として献上したさい、ムラトは旗指物でそれらを貫き通し、送り返したとも伝えられる。

ただし、幼いころのムラト四世は病弱であった。成人してからも、勇猛なエピソードの裏で、しばしば病に倒れている。そのためであろうか、キョセムは、息子の不摂生に苦言し健康を案じる書簡を送っている。忠告を聞かない息子にいらだちを見せているのは、どこにでも見られる母子のやりとりのようで微笑ましい。

宗教職の最高位・イスラム長老を処刑

ムラト四世が親政を開始したのちも、キョセムは国政から完全に排除されたわけではなく、ムラト四世の遠征中は、キョセムがイスタンブルで代理を務めていた。

ムラト四世とキョセムが、ふだんから綿密に連絡を取り合っていたことは、1634年に起こった事件からうかがい知ることができる。ブルサに行幸したムラト四世が、途中のイズニクで無礼を働いたイスラム法官を処刑しようとした。これを聞き知ったイスラム長老は、キョセムにとりなしを頼んだが、キョセムは、すぐにイスラム長老の介入について息子に警告した。それを受けてムラト四世は、イスタンブルに戻るとイスラム長老を処刑したのである。宗教職の最高位であるイスラム長老の処刑は、オスマン帝国においてはじめての事件であった。

 

ムラト四世は、民衆にたいしても厳しい態度を取ったことで知られる。

風紀の乱れが反乱の原因だと考えた彼は、当時のイスタンブルで流行していたコーヒーハウスを公序良俗に反するとして閉鎖させ、酒や煙草も厳しく取り締まった。変装して部下とともにイスタンブルの市街をパトロールし、違反者を手打ちにしたという逸話も伝わる。こうしたムラト四世の政策には、このころ台頭していたカドゥザーデ派と呼ばれる宗教集団――いわゆる原理主義的な主張で知られる――が影響を与えていた。

ただし彼自身は、飲酒をたしなみ、断食月に断食をすることもなかった。現在でも有名なボズジャ島産ワインを、勅令によってスルタン専用にしたという、酒飲みとしてはうらやましくなるようなエピソードもある。個人としての生活は、宗教的な厳格主義とは無縁であったようだ。

 

ムラト四世は、自らの支配にとって不安材料と見なしたのであろう。親政を開始してのち、機会をとらえて弟スレイマン、バヤズィト、そしてカースムを処刑している。このうち、スレイマンとカースムはキョセムの腹であった。実子の処刑にキョセムがなにを思ったか、史料は伝えていない。

ムラト四世は、マキャベリ『君主論』のトルコ語訳に親しんでいたという。彼の君主としての容赦ない苛烈なふるまいには、マキャベリの影響があるのかもしれない。

トプカプ宮殿内のあずまや、レヴァン・キオスク。エレヴァン征服を記念してムラト四世が建設した
(撮影者:İlhami DİNÇ)

 

ムラト四世は、1640年、まだ30歳前という若さで、病に倒れて死去した。長年、東方を戦場としていたムラト四世が、満を持して西方へと向かわんとしていた矢先であった。このときヨーロッパは三十年戦争のさなかであり、もしムラト四世の西方遠征が実現していれば、その後の西洋史は大きく変わっていたに違いない。

 

ムラト四世はすくなくとも4名の息子をもうけたが、みな夭折(ようせつ)していた。ムラトは、ハレムの女性たちと交わるのを好まず、ムーサーという小姓を寵愛していたという――それゆえか、治世後半には、世継ぎをつくろうともしなかったようだ。

死の床でムラト四世は、弟イブラヒムの処刑を配下に命じている。イブラヒムは、当時、ムラト以外で唯一生存していたオスマン王家の男子であった。すなわち、イブラヒムの処刑は、オスマン王家の断絶を意味する。ムラト四世は、クリミア・ハン国の王子、もしくはムスタファという側近が玉座を継ぐことを望んでいたらしい。死の間際に錯乱したのであろうか、あるいはイブラヒムに王位を担う能力がないと考えてのことだったのだろうか。

イブラヒム処刑の命令は、しかし、キョセムによって防がれた。キョセムはハレムの地下室にイブラヒムを匿い、ムラトが送り込んだ処刑人の目から隠したのである。オスマン王家がその後も長く――王家としてでなければ現在まで――存続しえたのは、彼女の功績だといえよう。

膨大な浪費・様々な奇行…「狂王」と呼ばれたイブラヒム

「狂王」イブラヒム(写真:Wikimedia Commonsより)

 

こうしてムラト四世は、いまわの際の「ご乱心」ののち死去し、24歳のイブラヒムが玉座を継いだ。イブラヒムは、20世紀初頭の歴史家によって「狂王」と渾名されたスルタンである。高価な黒貂(くろてん)の毛皮を愛好して膨大な浪費をし、実の息子をプールに投げ込むなどさまざまな奇行で知られる彼は、17世紀におけるオスマン帝国の「衰退」をもっともよく象徴するスルタンだといえる。「イブラヒム」の名を継ぐスルタンがこのあと現れなかったのは、彼の不人気ゆえだったとも。

たしかに、彼が玉座でつねに落ち着きのないたたずまいを見せていたことは、同時代の年代記作家が伝えるところである。ただしその程度は、ムスタファ一世や、のちのムラト五世(位1876年)に比べるとよほど軽いものであったと考えられる。本当にスルタンの重責に耐えられぬほどの状況であれば、ムスタファ一世やムラト五世がそうであったように、廃されたはずである。8年間におよぶ彼の治世前半は比較的安定しており、クレタ島をめぐるヴェネツィアとの戦いさえなければ、おそらくはもっと長く続いていただろう。

 

イブラヒムは当初、女性に興味がないようであったが、これは王朝の存続にとって大問題であった。即位後、キョセムをはじめ、高官たちがつぎつぎと女奴隷をハレムに献上すると、イブラヒムはまたたくまに複数の王子をなした。こうしてオスマン王家断絶の危機は、ひとまず回避された。ある研究者は、イブラヒムのハレムにはすくなくとも15人もの寵姫がいたと推定している。

にぎわうハレムに君臨していたのは、やはりキョセムであった。キョセムは、イブラヒムの寵愛を受けて増長していたシェケルパーレという妃を、殴打させハレムから追放している。

イブラヒムは、こうした母の介入を疎ましく思っていたのかもしれない。あるとき彼は、キョセムをロドス島に移住させる命令を下す。実質的な流刑である。結局、ロドスへの移住は実現しなかったが、代わりにキョセムは、トプカプ宮殿から遠く離れたイェシルキョイ(イスタンブルの西部)に、一時的に住まうことになった。

イブラヒムは、治世末期にはヒュマーシャーという妃を愛し、正式に結婚してもいる。結婚後の彼は、他の妃には目もくれなかったという。

キョセムとイブラヒムのあいだの亀裂は、徐々に広がっていったようだ。キョセムは、息子に殺されるのではないかという疑いすら抱いていた。

 

イブラヒムの治世後半は、クレタ島をめぐるヴェネツィアとの戦いなどを機に、社会不安とスルタンへの不満が高まっていた。1648年、臨時税を徴収しようとした大宰相に反発したイェニチェリ軍団長たちが、イスラム長老を巻き込んで蜂起した。イブラヒムは大宰相を罷免することで事態の鎮静化を図ったものの、事態はエスカレートし、反乱者たちはイブラヒムの廃位を要求するに至る。キョセムは、当初は廃位に反対したが、最終的に要求を受け入れた。イブラヒムは廃位されたのち、処刑された。

 

<~もっと知りたい方へ~ 読書案内>

ドラマの影響もあるのか、キョセムについての研究は近年一気に進み、トルコでは良質のキョセムの伝記がいくつも刊行されています。しかし残念ながら、英語や日本語で手ごろな書籍は見当たりません。ハレム全般については、「ヒュッレム」の回で紹介した書籍をご覧ください。

 

Özlem Kumrular, Kösem Sultan: İktidar, Hırs, Entrika, İstanbul: Doğan Kitap, 2015.

トルコ語の書籍を一冊だけ紹介しておきます。『キョセム・スルタン――権力、野心、陰謀』と題された本書は、ヴェネツィアの史料なども十全に利用した、現在もっとも詳細なキョセムの伝記です。

 

井上浩一『ビザンツ皇妃列伝――憧れの都に咲いた花』白水Uブックス、2009年

オスマン帝国ではありませんが、オスマン帝国のある意味で前身といえる、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇妃たちの伝記集です。著書は日本におけるビザンツ帝国史の大家。すくない史料のなかで、帝国の政治・社会や史料の説明などを通じ、皇妃たちが生きた時代を見事に浮かび上がらせています。

 

(※以下はフィクションです)

皆川博子『U(ウー)』文藝春秋、2017年

17世紀初頭、デヴシルメで徴用された少年たちを主人公に、第一次世界大戦の時代と交錯しつつ語られる幻想小説。キョセムは登場しないものの、オスマン二世を中心としたエピソードが語られています。

 

須賀しのぶ『流血女神伝 ――砂の覇王』全9巻、集英社コバルト文庫、2000~2002年

架空の世界を舞台にしたファンタジー大河小説の第二部(お読みになるさいは第一部からどうぞ)。作中で重要な国のひとつエティカヤのハレムは、オスマン帝国をモデルにしているのでしょうか、その闊達な描写からはハレムの雰囲気をよくイメージすることができます。

 

『壮麗なる世紀――キョセム妃』(YouTubeに飛びます)

全世界で大ヒットした『壮麗なる世紀』(邦題:オスマン帝国外伝)の続編。全2シーズン。日本での放映は未定ですが、公式チャンネルで視聴することができます(トルコ語)。

小笠原弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』

オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築くまでに発展し、イスラムの盟主として君臨した帝国は、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明期から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘、そして滅亡へと至る600年を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。

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小笠原弘幸

1974年北海道北見市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明学講座准教授。専門は、オスマン帝国史およびトルコ共和国史。著書に『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容――古典期オスマン帝国の系譜伝承をめぐって』(刀水書房、2014年)、『オスマン帝国――繁栄と衰亡の六〇〇年史』(中公新書、2018年)。編著に『トルコ共和国 国民の創成とその変容――アタテュルクとエルドアンのはざまで』(九州大学出版会、2019年)。
 

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