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オスマン帝国英傑列伝

2019.07.22 更新 ツイート

西太后やマリー・アントワネットと並ぶ悪女に描かれた理由【魔性の女ヒュッレム(3)】小笠原弘幸

およそ600年という史上まれに見る長期間、繁栄を誇ったイスラムの盟主「オスマン帝国」。前代未聞の大帝国を築いたのはどんな人物たちだったのか。

ベストセラー『オスマン帝国』(中公新書)の著者小笠原弘幸氏がオスマン帝国の傑物10人を考察する新連載。今回は女奴隷から王妃まで上り詰めた、帝国史上最も有名な悪女ヒュッレムです。

トプカプ宮殿に所蔵されるヒュッレムの肖像画(18世紀作成)(写真:Wikipediaより)

*   *   *

ひとり勝ちのヒュッレムの唯一の悩みとは

順風満帆のヒュッレムにとって、唯一の懸念が、マヒデヴランの子たるムスタファ王子の存在であった。
 

ヒュッレムの三人の息子のうち、年長でもっとも才気に満ちていたメフメトは、1543年に病で亡くなっていた。スレイマンはこれを嘆き、ミマール・スィナンにシェフザーデ(王子)・モスクを建てさせている。残るヒュッレムのふたりの息子、セリムとバヤズィトの才覚は、ムスタファに遠く及ばなかった。


いまや壮年に達したムスタファは、王位継承者としての期待を一身に集めていた。同時代のあるヴェネツィア人は、彼について「たぐいまれなる才能を持ち、武勇に優れ、イェニチェリ軍団に支持されている」と評す。すでに老境に入ったスレイマンに代わって、若く精強なムスタファを王に望む声が、人々のあいだであがっていた。
 

王子ムスタファの処刑(セイイド・ロクマン著『技の書』1585年)(写真:Wikipediaより)

スレイマンの脳裏には、父セリム一世が蜂起し、祖父バヤズィト二世を廃位させて即位した前例が浮かんでいたことだろう。徐々に増していた継承をめぐる緊張は、1554年に頂点に達した。
この年に行われたイラン遠征への行軍中、スレイマンは、当時アマスヤの太守を務めていたムスタファを自陣に呼び寄せた。ムスタファの側近は、この召喚を訝しみとどまるよう進言したが、ムスタファは聞き容れずに父王のもとにはせ参じ、そこで処刑されたのである。
 

ムスタファの息子や側近たちも、時を置いて処刑されている。こうして、スレイマンは自ら弑逆(しいぎゃく)の芽を摘んだのであった。その背後に、ヒュッレムの策謀があるという噂も、もちろんある。
スレイマンとヒュッレムにとって誤算だったのは、病弱であった末子ジハンギルが、腹違いの兄の処刑に衝撃を受けて亡くなったことである。この王子の死を両親はいたく悲しみ、イスタンブルの新市街の丘に、小さいが美しいモスクを、やはりミマール・スィナンに建てさせている。
 

残されたのは、セリムとバヤズィト、ふたりの王子であった。このうち、より有能であったといわれるバヤズィトは、混乱を起こして王位を継ぐ機会をうかがうべく、王子ムスタファの名を騙る「偽ムスタファの乱」を使嗾(しそう)したものの、この反乱はあえなく鎮圧される。バヤズィトは父王によって処罰されるところであったが、ヒュッレムのとりなしによってこれを免れた。
 

ふたりの実子の争いは、ヒュッレムにとって最後の悩みであった。
ヒュッレムは、どのような未来を描いていたのだろうか。同時代の記録によると、ヒュッレムやミフリマーは、バヤズィトを支援していたらしいが、一方でスレイマンはセリムを後継者と考えていたようだ。
 

ここにいたって、つねに意見をともにしていたスレイマンとヒュッレムの懸隔は、開いたのであろうか。
しかし彼女は、その結末を見ることはなかった。
ヒュッレムが、どのような病にかかり、いつから体調を崩していたのかは定かではない。
一説には、マラリアであったともいう。
1558年4月15日、ヒュッレムは亡くなった。ハレムに入ったときを20歳だと仮定すれば、およそ60年の生涯であった。
彼女の亡骸は、スレイマニエ・モスクの中庭に建てられた廟に収められた。のちに、ヒュッレムの廟の傍らにスレイマンの廟も建てられ、参詣者たちを迎え入れている。

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小笠原弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』

オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築くまでに発展し、イスラムの盟主として君臨した帝国は、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明期から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘、そして滅亡へと至る600年を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。

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小笠原弘幸

1974年北海道北見市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明学講座准教授。専門は、オスマン帝国史およびトルコ共和国史。著書に『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容――古典期オスマン帝国の系譜伝承をめぐって』(刀水書房、2014年)、『オスマン帝国――繁栄と衰亡の六〇〇年史』(中公新書、2018年)。編著に『トルコ共和国 国民の創成とその変容――アタテュルクとエルドアンのはざまで』(九州大学出版会、2019年)。
 

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