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オスマン帝国英傑列伝

2019.06.17 更新

コンスタンティノポリス攻略・オスマン「帝国」の誕生【征服王メフメト2世(2)】小笠原弘幸

およそ600年という史上まれに見る長期間、繁栄を誇ったイスラムの盟主「オスマン帝国」。前代未聞の大帝国を築いたのはどんな人物たちだったのか。
ベストセラー『オスマン帝国』(中公新書)の著者小笠原弘幸氏が、トルコ・中東工科大学に渡り、最新研究をもとにオスマン帝国の傑物10人を考察する新連載。1人目は、中世に終止符を打った稀代の征服王・メフメト2世です。

(写真:iStock.com/syolacan​​​​​)

*   *   *

中世への終止符――コンスタンティノポリスの征服

即位間もないメフメトは、これまでのスルタンたちがなしえなかった大事業に着手する――コンスタンティノポリスの攻略である。

かつてビザンチウムと呼ばれたこの都は、4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の名にちなんでコンスタンティノポリスと改名された。ローマをしのぐ都として発展したこの町は、西ローマ帝国が滅亡したのちも、東ローマ帝国、いわゆるビザンツ帝国の帝都として繁栄した。

ビザンツ帝国がその栄華を失い、ボスフォラス海峡の一角のみを支配するに過ぎない一小国となり果てたあとも、コンスタンティノポリスを護る三重の大城壁は、幾多の攻撃を退けてきた。5世紀の皇帝テオドシウス二世の名を持つこの城壁のうち、もっとも巨大な内城壁は厚さ5メートルにして高さ12メートル、96の塔をもち、おそらくはこの時代、世界で最も堅固なものであった。

オスマン帝国も、これまで幾度となくこの都の攻囲を敢行してきたが、いずれも失敗に終わっている。ゆえに、ムラト二世時代より続いて国政を取り仕切っていた大宰相チャンダルル・ハリル・パシャは、コンスタンティノポリスを無理に攻略するよりも、貢納を受け取りこれまでどおりの関係を続けていくことを主張していたのである。しかし、若く大胆なメフメト二世に、この老臣に従う気はなかった。

攻略に先立って、メフメトは入念な準備を行っていた。まず、ボスフォラス海峡に砦を築き、黒海方面からの船の交通をコントロールする。ついで、ハンガリー人の技術者ウルバンに、巨大な大砲を作らせた。この巨砲は、直径60センチ、重さ500キロを超える砲弾を放つことができた。その巨大さのため装填準備に時間がかかり、一日に七回しかその轟音を響かせることはできなかったが、ウルバンが「バビロンの城壁すら打ち破る」と豪語したこの大砲は、まさしく大城壁に対する切り札であった。

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小笠原弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』

オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築くまでに発展し、イスラムの盟主として君臨した帝国は、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明期から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘、そして滅亡へと至る600年を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。

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小笠原弘幸

1974年北海道生まれ.九州大学准教授.2005年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学.東京大学博士(文学).
著書に『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』 (中公新書)など。 

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