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ハイスペック女子のため息

2019.04.19 更新

精子バンクをめぐる、女と男と子どもの言い分山口真由

1. 慶応大学の精子提供事業が危ぶまれているわけ

例えば、精子が欲しい場合、それも夫とか恋人ではなく、見ず知らずの他人から。不穏な話でもなんでもなくて、不妊って女性の側に原因があることもあれば、男性の側にあることだって当然あるのだから。そのときどうしたらいいのだろう? 

(写真:iStock.com/Elen11)

日本の精子ドナーは、慶応大学病院が一手に引き受けてきた。歴史は古い。1948年ころから慶応大学医学部の安藤畫一教授のグループが、学部の男性学生をドナーとする精子提供を実施してきた。慶応大学の医学部ですよ。私大の最高峰ですよ。文句の言いようもない。

ところが、今、この精子提供が危機に瀕している。慶応大学病院が同意書に一文を加えたのだ。2017年6月に、将来的に精子ドナーの個人情報をレシピエントに開示する可能性がありますと明示した。病院としては匿名を守る考えは変わらないと記していたにもかかわらず、11月には新たな精子ドナーを確保できなくなり、翌年8月に新規の依頼の受入れを停止した。そして、いまや事業の継続が危ぶまれてる。精子ドナーっていうのは、そんなに個人情報を開示されたくないものなんですね。

2. 医学部のイケメンは精子ドナーの最有力候補

 

ところで興味深いことに、アメリカの精子提供もそのはじまりは日本とやや似ている。人工授精っていうのは技術としてはしごく単純である。大雑把に言えば、精子を子宮内に押し込めればいい。だから、自然妊娠とほとんど変わらない。それに比べて体外受精というのは、卵子をいったん体の外に出さなきゃいけないから、かなり高度になる。

試験管ベビーなる最初の体外受精が公表されたのは1978年。最初の人工授精の報告はそれより200年前の1770年代。でも、夫以外の精子を使ってやろうという「不届き」な事例が公表されたのは、それより100年くだって1884年。

フィラデルフィアの裕福な夫婦から不妊の相談を受けた医学部の教授は、不妊の原因が夫側にあると知って、夫婦には内緒で医学部のクラスで最も外見がよい男の子の精子を使って妻を妊娠させたんだそう。で、後に罪悪感に耐えられなくなって夫に告げたら、夫は意外なくらい喜んだんだって。それで、知らぬは奥さんばかりで、結局、無事に男の子が生まれたらしい。旦那さんがさぁ、変なプライドとかなくて、年若い奥さんのために素直に喜んでくれる人でよかったよね。ということで、めでたしめでたしどんど晴れなわけです。

3. 選り取り見取りなアメリカの精子バンクを見てみた

医学部の学生は、どうも精子提供をさせられやすいようだ。日本でもアメリカでもそうだったんだから。だって、医学部の教授は、自分の教室の学生なら話が早かったのかもしれない。レシピエントの側からしても医学部のイケメンなら願ったりかなったりだったのかも。

ところで、話を元に戻しますが、そこから発展して、アメリカでは名門大学の学生というのが精子ドナー界のホープとあいなりました。

 

もしね、何回かデートして男の子の機嫌を取って、そこから駆け引きして結婚まで持っていって、さらに君が仕事をセーブしろみたいなプレッシャーをなんとなく流しながら子どもを生んで、で、「子どもにかかりっきりで、僕にかまってくれない」とのたまう旦那を甘やかしつつ、子育ても仕事もして、と。子どもを生むまでの長い長い工程と交渉と戦闘と……。考えただけでちょっと疲れちゃうという、一周回った後の女性がいたら、私は断然アメリカの精子バンクを検索してみることをお勧めする。楽しい。眠れなくなるくらい楽しい。

なんでも選べる。身長、髪の色、目の色。アジア人の血とヨーロッパ人の血の複雑な混合。なんでもあなたの思うまま。ちょっとお金を払えば写真も見せてくれる。5歳くらいの幼いときまでの写真だけど。それより上だと、ほら、今の時代、SNSとかで特定できちゃうから。作文とかも読めてしまう。「家族の中で誰と仲いいですか」みたいな他愛のない文章だけれど。スタッフと話してる会話とかも聞けたりする。

3回デートして、「あぁ、こいつバカそうだなぁ」と思ったとして、「まぁ、でも、私もそれなりの年齢だし、デートを続けて様子を見ますか」という、自分としては妥協をそこに見出したとして。なのに、逆に、相手の方からまったく連絡が来なくなったとかいう。つまり、自分よりも低く見積もっていた相手から、まったく相手にされないあの敗北感。自分の市場価値を思い知らされる瞬間。そういうのを繰り返して、女たちは心をささくれ立たせていくわけじゃない? 私だけ? とにかく、勝手にそういう前提を置くと、子どもが欲しいと思ったら、私は一体どれだけの妥協とどれだけの負傷を繰り返せばいいの、と。心が出血多量になってしまう。

そういうときに、デートの過程とか、結婚までのうだうだをすっ飛ばして、アメリカの女性たちがどれほど簡単に子どもを手に入れるのかと思うと愕然とする。しかも安い。バリューパック800ドルでどうだ!!! クリスティアーノ・ロナウド似なる精子がたったこれだけ。すべてのデートとすべての敗北をすっ飛ばして、この男の叩き売り!!!

 

4. 人工的に“一人の親しか持たない子”を生み出すのは親のエゴ? 

ちょっと力をこめすぎました。私は研究的な興味で検索していただけですの。ほほほ。

しかも、まじめな話、アメリカでも批判はだいぶあったのは確か。日本と違ってシングルマザーが断然多いかの国でも、多くの人は意図せずにシングルマザーとなり、また、血縁上の父親も探そうと思えば探せる。DNA鑑定で明らかになった父に、子どもの扶養義務を負わせられるし、子どもにも「あの人がパパよ」って言える。でも、精子ドナーはそういうわけにはいかない。

以前は、法律でも契約でも、精子ドナーは匿名。どこの誰かは一切明かさない。父として交流したいなんて精子ドナーから決して言い出さない限り、子どもからも彼へのアクセスを一切排除する。だから、自分しか親を持ちえない子を、母が人工的に作り出すことになる。どれだけ経済的に恵まれていても、自分だけで囲いこめる子を勝手に作るなんてエゴだよねという意見は当然出てくる。それを、私が子どもを幸せにするんだからという強い決意を以て説得するのは至難だろう。

 

5. 気軽なバイト感覚で提供される精子

ところで、アメリカでもやはり精子ドナーというのは「匿名」がポイントだった。精子を提供する男の人のタイプって大きく2つ。

1つめは、結婚して、酸いも甘いも噛み分けて、自分たちも不妊の苦労を抱えたりなんかして、妻と相談のうえで人の役に立ちたいとやってきた奇特な人。これが成熟した男性の精子提供パターン。

2つめは、遊び盛りの学生がキャンパスを歩いていたら、なんかキャンペーンやってるじゃないですか。え、時間は取られずお金ががっぽりって。ああ、これ献血、いや違った精子提供か、まいっか、とにかくやっとくか、みたいな気軽なバイト感覚。これが学生の精子提供パターン。

前者の多くは名前を明かしてもよいという。だって、奥さん公認でやってるんだから。後者のほとんどは明かしたくない。学生時代に遊んでたなんてことを隠して、真っ当な結婚をして、家庭思いのパパになった俺、それが突然「ピンポーン、あなたの子どもで~す」なんて突撃を受けたら、20年前の自分を恨むでしょ。

そして、精子バンクビジネスが望む精子ドナーは後者。名門大学のキャンパスでつかまえた、若くて、生殖能力の高い精子ドナー。医学部の学生と同じです。レシピエントから文句の出ようがない。

だからこそ、熟考しない学生グループの精子ドナーにとって、名前を明かさないとの確約が拠り所だったし、逆に、精子バンクにとってもそれが重要だった。名前を明かさなければならないという法律ができたとたんに精子ドナーが減るっていうのは、先の慶応の事例で明らかだし(日本では法律ができてすらいないのだけど)、スウェーデン、イギリス、オーストラリアどこでもみんなそうだったのです。

 

6.「父を知りたい」子どもの熱望 VS. 大人の論理

ところが、子どもには自らのアイデンティティを知る権利があるという抗いがたい正論の下、自分の血縁上の父が誰なのかを知ることができるようにしましょうというのが世界的な風潮である。アメリカの精子バンク業界も、この流れと闘いつづけてはいるけれども、自分の遺伝的な父を知りたいという子どもの願いにもっと配慮しましょうという動きはある。子どものために名前を明かせる精子ドナーをもっと増やそうと。

アメリカは、今のところ、「そうですね、みんな名前明かしたくないですよね。いや、いいですよ、匿名のままで。あ、でも、名前を教えてくれるって人には100ドルくらい余計に払っちゃいますけど、いかが?」という、「なんでもお金で解決する国」の面目躍如たる方針を取っている。

これはよく考えてみると大人対子どもの争いなのである。

シングルでも子どもが欲しいと願う女性、責任は取りたくないけど精子提供してもいいよという若者――これは大人の側の生殖に関する自己決定権になる。生まれてくる子どもが持つであろう、父を知りたいという熱望。大人の決定権がこの熱望を超えてどのくらい許されるのかという問いがそこにある。うん、難しい。答えは出ない。でも、「子どもの幸せ」という抽象的で反論しがたい枠組みの中に入れちゃえば、なんでも我慢しなきゃいけないって結論も、バランスを欠くかもしれない。

とにかく、精子バンクの行く末はここらへんの議論にかかっている。「今後を見守りたい」。国会答弁調にお茶を濁すことで、今日はここらへんで終わらせたい。

 

 

 

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山口真由『東大首席・ハーバード卒NY州弁護士が実践! 誰でもできる〈完全独学〉勉強術』(SBクリエイティブ刊)

桁違いの実績を実現したものこそ、「教科書を7回読む」という著者ならではの方法論。実際、塾に通ったり家庭教師についたりしたことは過去一度もなく、1冊の教科書にこだわり7回読み抜いてきたのです。そのシンプルにして合理的、かつ安上がりな独学法のすべてを惜しみなく公開。

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山口真由

1983年、札幌市生まれ。東京大学法学部3年生時に司法試験、4年生時に国家公務員1種に合格。全科目「優」の成績で2006年に首席で卒業。財務官僚、弁護士を経て、ハーバード大学ロースクールに留学。2017年にニューヨーク州弁護士登録。 『エリートの仕事は「小手先の技術」でできている。』(KADOKAWA/中経出版)、『いいエリート、わるいエリート』(新潮社)、『ハーバードで喝采された日本の強み』(扶桑社)など著書多数。『東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法』(PHP研究所)の文庫版も出版された。 山口真由オフィシャルブログはこちら

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