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死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33

2019.03.12 公開 ツイート

自分を「ダメなやつ」と思っていた男性が死ぬ前に気づいたこと 大津秀一

これまで2000人もの終末期がん患者に寄り添ってきた緩和医療医、大津秀一先生。著書『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』は、実際に先生が体験した患者さんとのエピソードから、本当に幸せな生き方とは何かを教えてくれる一冊です。忙しい日々を送っていると、つい忘れがちなことばかり。死ぬときに後悔しないためにも、少しだけ歩みを止めて、一緒に考えてみませんか? 33のエピソードの中から、いくつかご紹介します。

*   *   *

半世紀、こうして生きてきた

俺ほどどうしようもない人間はいないですよ──五十歳の谷川さんはひとりごちます。彼の病気は高度に進行した大腸がんです。

iStock.com/Sukiyashi

谷川さんは、幼い頃に父親を亡くしています。父親の記憶は思慕の念とともに思い出されるものでは、残念ながらありませんでした。

お酒に酔った際の暴力がひどかったそうです。母親に手をあげることも何度も目撃したといいます。

父親が亡くなり、母親は女手ひとつで谷川さんを育てあげましたが、彼には、なぜ自分の家ばかり貧乏で恵まれていないのだろうかという思いが消えませんでした。

高校を卒業すると、逃げるようにして都会にやって来ました。しかし、何をやっても長続きすることはなかったようです。

実家に連絡をすることはありませんでした。しなかったのか、できなかったのか、谷川さんご自身もわからないといいます。そして、突然、彼のもとに母の訃報が届きました。死に目にも会えませんでした。

ひげをいじりながら、濃い顔立ちにさらに山谷を形作って、彼は話してくれました。

女性とも長続きしなかったですね──いつしか刹那的な生き方に身を委ねるようになっていました。結婚してほしそうな女性は幾人かいたようですが、彼の踏み切らない態度に業を煮やして、皆去って行きました。

彼いわく、三十代まではそこそこ女性からモテていたそうです。

「まあ親父もひどい親だったけど、俺もおふくろにはろくなことをしてあげられなかったから、人から優しくされないのも当たり前だよね」

言ってから豪快に笑いましたが、ちょっとさみしそうな印象がどことなくありました

「世の中にはね、どうしようもないダメな奴がいるんですよ。まあ俺よりもひどいのもたくさんいたけどね。ダメな奴はね、ダメな奴なの。だからそれは先生にも治せないからね、いいの、そのままで。とにかく半世紀もこれで生きてるんだ。仕方ないよ」

やっぱり豪快に、けれどもさみしそうに彼は笑うのでした。

自分では気づいていない何かがある

こんにちは──ある日、谷川さんのもとに来客がありました。

iStock.com/kieferpix

三十代前半くらいの眼鏡をかけた、大きな眼とすっと通って高い鼻筋が印象的な女性です。

皆が色めき立ちます。谷川さんは自分には家族も親類もいないと言っていました。

小一時間後、彼女は帰って行きました。去り際、彼女の横顔に涙の痕があるような、そんな気がしました。

私はさっそく谷川さんの部屋を訪れました。聞けば、インターネット上の人生相談サイトで、彼と彼女は出会ったそうです。

彼女も谷川さんと同様、家庭に恵まれませんでした。そして、最近、男性にもてあそばれて、「死にたい」と投稿しました。谷川さんはメールで何があったのか、どんな気持ちなのか、本人によれば聞きつくしたうえで、「死にたいのは俺も同じだけど、死ぬなよな」と送ったと言います。

私には、彼の魅力が垣間見えたような気がしました。さらに私は今日面会するに至った経緯を聞きました。

「あの子も俺もさ、頼る人は誰もいないから。たださ、なんか湿っぽい話が嫌で、ずっと重いがんだとは伝えていなかった。でもさ、もう正直、俺死んじゃうじゃない? これまでの俺の経験だと、おふくろのときのような、いきなりってのが一番キツイのよ。予告はやっぱりしてもらいたいってのがあるわけよ。だから、とうとう今日は伝えよう、ありがとう、と、さようならってね……」

彼は鼻の下に手を伸ばしました。ひげをいじっているようで、鼻腔から落ちてくる微かな涙液を押し留めているように見受けられました。

つらい話を聞いてあげたとは人助けをしましたね、と私は言いました。谷川さんは「そんな大層なもんじゃない」と否定しましたが、私は譲りませんでした。「死にたいとはもう、彼女は思わないのではないでしょうか」真顔になって谷川さんは強く頷きました。

「そうだよ。俺みたいにダメな奴だって生き抜いたんだ、お前みたいな魅力的な奴だったら、絶対に幸せをつかめる、諦めるなって。俺には言う資格もないのにね……」

「谷川さん、一つ言っていいですか? どこがダメな奴なんですか! 人を支えたのならば、そんな人間がダメな人であるわけはないですよ」

苦笑しながら、彼はじっと私を正面から見ました。

「先生、ありがとな。いい冥土の土産になりそうだ。ダメじゃないって思えることも大切なことかもな。少しでも役に立てたって。そう思えるだけでも、ラッキーかもしれないね。まっ根拠のない思い込みがさ、人生には大切だろ」

二人で声をあげて笑いました。

この後、ちょっとした変化がありました。「俺はダメな奴」という言葉が谷川さんから減ったのです。

正当な評価のもと、彼は皆から好かれながら、その生を閉じました。

多くの人は何かしら、自分では気がついていないだけで、いいところがある

彼の姿を思い出すたびに、私はそんなことを考えます。

大津秀一『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』

縛られていたものを捨てたとき、悲しみや切なさは消え、執着から解放される。『死ぬときに後悔すること25』の著者がたどりついた、本当に幸せな生き方。縛られていたものを手放さざるを得なくなったとき、悲しみや切なさと同時に、過剰な執着や執心から解き放たれて、「自由になった」と感じることはないでしょうか。どこからか、自由を始めてみませんか。

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死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33

これまで2000人もの終末期がん患者に寄り添ってきた緩和医療医、大津秀一先生。著書『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』は、実際に先生が体験した患者さんとのエピソードから、本当に幸せな生き方とは何かを教えてくれる一冊です。忙しい日々を送っていると、つい忘れがちなことばかり。死ぬときに後悔しないためにも、少しだけ歩みを止めて、一緒に考えてみませんか? 33のエピソードの中から、いくつかご紹介します。

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大津秀一 緩和医療医

茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。東京都文京区にある緩和ケア専門の早期緩和ケア大津秀一クリニック院長(https://kanwa.tokyo)。オンライン診療で全国対応中。日本緩和医療学会緩和医療専門医、老年病専門医、日本内科学会総合内科医専門医、日本消化器病学会専門医、がん治療認定医。日本最年少のホスピス(当時)の一人として京都市左京区の日本バプテスト病院ホスピスに勤務したのち、2008年より世田谷区の入院設備のある往診クリニック(在宅療養支援診療所)に勤務。入院・在宅(往診)双方でがん患者・非がん患者を問わない終末期医療を実践。多数の終末期患者の診療に携わる一方、著述・講演活動を通じて緩和医療や死生観の問題等について広く一般に問いかけを続けている。著者に『死ぬときに公開すること25』(新潮文庫)、『死ぬまでに決断しておきたいこと20』(KADOKAWA)、『「いい人生だった」と言える10の習慣』(青春出版社)、『1分でも長生きする健康術』(光文社)などがある。

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