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世界史を動かした脳の病気

2018.06.30 公開 ツイート

1863年、リンカーンはあの有名演説後に片頭痛を起こしていた!? 小長谷正明

 紀元前31年、クレオパトラはなぜ自殺にコブラ毒を選んだのか? 1429年、ジャンヌ・ダルクは神の声を聞いて救国の戦いに参加した。だがその神秘的体験は側頭葉てんかんの仕業ではなかったか?
 世界の歴史を大きく変えたリーダー変節と、その元凶となった脳の病を、脳神経内科専門医の著者が世界の論文や文献をもとに解説した『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』(小長谷正明氏著・幻冬舎新書)。発売即重版となる大反響です。
 今回はその中から、南北戦争に影響を与えた脳の病気を紹介します。リンカーンはあの有名な演説の直後にも発作を起こしていたのです。
 

iStock.com/diane39

リンカーンを襲った未曽有のクライシスと頭痛

 1861年3月4日、アブラハム・リンカーンは52歳で、第16代アメリカ合衆国大統領に就任した。しかし、奴隷制度廃止論者である彼に対する南部諸州の反発は強く、首都ワシントンでは、リンカーン暗殺の噂が流れ、厳戒態勢が布しかれた。

 前年12月に、急先鋒のサウス・カロライナ州が合衆国からの離脱を宣言し、続々とこれにならう州が増えてアメリカ連合(南軍)を結成し、最終的には11州が加わった。新大統領にとってはまさに頭が痛い状況だ。だから、就任演説では南部諸州に向かって、「必ずしも奴隷制を廃止するわけではない、我々は敵同士ではなく友である」と訴えた。

 ところが3月5日、サウス・カロライナ州のチャールストン湾に浮かぶ、島の要塞フォート・サムターの司令官から連絡がきた。要塞に立てこもっている合衆国軍への物資補給が、南軍の軍艦によって断たれたというのだ。新政権スタート翌日に早くも未曽有のクライシスがやってきた。

 ここで引いては、はなから弱虫大統領(チキン・プレジデント)になってしまう。だが、強く出ると戦争になる……。7人の閣僚のうち5人が救援に反対であった。他にも、南軍側による圧迫や封鎖が各地から続々と報告されてきた。まさに頭が締め付けられるほど痛む事態だが、この時点ではリンカーンの身体的な頭痛の記録はない。

 4月4日、フォート・サムターから、「食糧は4月15日までの分しかない」と連絡があった。また、サウス・カロライナ州は強硬論一色となり、分離独立で気勢をあげているとも伝えてきた。ホワイトハウスでの閣議は紛糾したが、リンカーン大統領はフォート・サムター救援の決定を下した。南部諸州のど真ん中にある要塞島への救援は、武力衝突必至であり、内戦開始となる可能性はこの上なく高い。決断せざるを得なかったリンカーン大統領の葛藤は極めて強かったにちがいない。

 自室に戻った後、リンカーン大統領は難題にけりをつけてとりあえずの解放感に浸ろうとした瞬間、ズキンズキンと激しく脈打って割れるような頭痛に襲われた。今までの人生で経験したことのないほどの激しい片頭痛発作を起こし、その夜から次の日まで一日中、ベッドの上でのたうち回っていたと、リンカーン夫人は回想録に書いている。彼女自身も典型的な片頭痛持ちであった。

 4月12日にリンカーンの命を受けた北軍の艦隊がフォート・サムターに近づくと、南軍の艦隊が妨害し、サムターを攻撃しはじめた。その報を受けて、15日、頭痛発作から回復していた大統領は動員令を下した。かくして南北戦争の幕が切って落とされた

あの有名な演説後にも発作が

 1865年春、南北戦争は開戦から4年経ち、激しい戦闘が繰り返されていた。南軍は司令官ロバート・リー将軍の指揮で、個々の戦闘では幾度となく勝利を収めたものの、結局は北軍の物量と大軍に圧倒されていた。

 中でも、1863年7月のペンシルヴェニア州ゲティスバーグの戦いは激戦となり、双方に数多くの死傷者が出たが北軍が勝利し、以降、南軍は劣勢となった。その戦いの慰霊祭でリンカーン大統領が行ったのが、有名な「人民の、人民による、人民のための政治」の演説だ。演説後ワシントンへの帰途で、彼はまた片頭痛発作を起こしている。

 ワシントンに近いヴァージニア戦線の北軍司令官は、42歳の生粋の軍人ユリシーズ・グラントであった。リンカーン大統領に軍事的な能力と戦略眼を買われて、1864年3月に北軍総司令官に抜擢された。それから1年以上もの間、ヴァージニア州でリー将軍麾下(きか)の南軍と渡り合っていた。Butcher(虐殺者)と呼ばれることも意に介さず、自軍に相手以上の損害が次々と出ても、情け容赦なく猛牛のように徹底的に南軍を追い詰めた

グラント将軍の美談の陰に頭痛あり

 1865年4月2日には、南部諸州からなるアメリカ連合の首都リッチモンドをも陥落させ、いよいよ南北戦争の最終局面となった。

 4月8日、グラントはワシントンの西南方、約250キロメートルのヴァージニア州アポマトックスに司令部を置き、南軍司令官のリー将軍に降伏条件を提示し、返事を待っていた。その日、グラントは個人的メモを次のようにしたためた(*1)

私は非常に強い頭痛に襲われていた……。夜通しマスタード入りのお湯で足浴し、手首と首の後ろにマスタードで湿布していた」

 しかし、効果はないまま夜が明けた。そこにリー将軍の使者が「グラント将軍の示した条件について会談したい」と降伏の可能性を示唆する手紙を携えてきた。グラントのメモにはさらにこう書かれている。

「その将校がきた時、私はまだ頭痛に苛まれていた。しかし、手紙の中身を見た瞬間、頭痛は治ってしまった」

 翌9日、両将軍は相まみえることになった。

「リー将軍の感情は、外からは全く窺えなかった。私は、昨日手紙をもらった時は嬉しかったのだが、今日の会見では悲しく、落ち込んだ気分であった。長年にわたって勇敢に渡り合い、人々に大きな災厄をもたらしてきた敵を下したのだから、喜びに満ちたものであるはずなのだが、私の心はそうではなかった」

 北軍の司令官としてのグラントは、情け容赦のないButcherであり、常に“無条件降伏”を要求してきたので、敗軍の将リーは厳しい展開を覚悟していた。ところが、グラントは、「戦いは終わった。反乱軍はまた我々の国民に戻ってきたのだ」と言い、南軍の将兵の身柄を拘束したり捕虜にしたりはせず、小さな農場に帰還するはずの彼らの安全を保証するのみならず、食糧も供給するなどといった寛大な処置をしたのであった。

 憎悪と復讐心に打ち勝った美談である。そして、グラントのこの決断の裏には、頭痛発作直後の精神的変容があった。

芥川龍之介も片頭痛持ちだった

 南北戦争の二人の立役者の頭痛発作は、片頭痛だと考えられている。

 片頭痛は文字通り頭の片側が発作的にズキンズキンと脈打つように痛む頭痛だが、両側が痛むこともある。血管が関係するので脈打つように痛むのだ。

 典型的なケースでは、頭痛の前に前兆、先触れがあり、まずキラキラとした光で縁取りされたジグザグが見えたり、目がかすむ、変な臭いを感じる、稀に頭痛と反対側の手足が一時的にマヒすることすらある。続いて、ズキンズキンと拍動性の強い痛みが頭の片側に起こり、それから持続性の痛みになっていく。芥川龍之介は短編小説『歯車』で、片頭痛発作の前兆のぎらぎら光りながら回る歯車を描写している。

 脳の神経細胞が異常に興奮するためで、セロトニンという神経伝達物質がまず血管を収縮させ、次に拡張させてズキンズキンとした鋭い頭痛を起こすのだ。心身のストレスや生理などが誘因となるが、そのストレスがとれた時にもしばしば起こる。リンカーンは腹を決めて極限までの心理的重圧から解放された直後に片頭痛発作を起こしているし、激戦後のゲティスバーグで衝撃を受けた後にまた起こしている。

 グラント将軍は、からしで湿布したり、足を湯に浸したりしているが、西洋では昔から麦角(ばっかく)という生薬が使われていた。ただし、副作用が多く、量をまちがえると手足の先が焼けるように痛む。現在では、神経の興奮を抑えて発作を抑制したり、血管が拡張しないようにしたりする薬を使って、十分な治療ができるようになっている。

 また、片頭痛発作の直後は気分が変わりやすい。高揚することもあるが、二日酔いのようにヘロヘロになったり、落ち込んで沈み込んでしまったりすることも少なくない。猛将グラントが慈悲深くなったのは、リー将軍との会見が片頭痛発作直後だったからだという医学的見解がある。

脳自体は針を刺しても痛くない

 筆者の専門である脳神経内科の外来診療では、頭痛の患者さんが多い。片頭痛はもちろん、脳炎や脳腫瘍、くも膜下出血のような脳自体の病気でも頭痛は起こるし、風邪や高血圧症、二日酔いなどでも起こる。

 しかし、最も多いのは緊張型頭痛あるいは筋収縮性頭痛という頭痛だ。ジワーッとした頭痛で、軽症であれば頭が重いと感じる程度の人もいる。いつも帽子をかぶっている、鉢巻きをしている、押さえつけられているようだなどとも表現されている。中には、孫悟空の緊箍児(きんこじ)という金属の輪みたいに頭がキリキリと締め付けられるようだと言う人もいる。怪我、首の骨の変形、耳や鼻の炎症、眼精疲労などが原因で、あるいは頭が痛いような心配事で起こる頭痛でもある。

 手足のようには動かせないが、頭にも筋肉がついている。頭は重くて4キログラムほどもあり、体にしっかりと固定するために膜状の筋肉や腱がついている。これらが収縮すると、頭を締め付けるような頭痛が起こるのだ。ストレスや疲れで肩こりが起こるが、同じようなことが頭の周囲の筋肉にも起こっているのかもしれない。筋肉の収縮を和らげる薬や、心のストレスに対して精神安定作用のある薬がよく効くが、心配事が解決すると頭痛が消えることもよくある。

 面白いことに、脳の組織それ自体は痛みを感じない。脳外科の手術では、意識のあるままで脳に針を刺すこともあるが、その時に痛みは感じないのだ。脳腫瘍や脳炎などの脳の病気では、脳の外側を覆っている髄膜という組織が刺激されて痛みを感じる。くも膜下出血でも片頭痛でもそうだ。

 髄膜への刺激は、口の中や頭皮の感覚と同じ三叉神経が脳に伝える。だから、アイスクリーム頭痛は、キンキンに冷えた強い感覚が、髄膜からの神経にも及んで起こるのだ。

 しかし、頭痛を起こす大変な病気は山ほどある。ありふれた症状だが、医者としてはそれを見逃すと医療ミスとなる。一方で、脳の病気を心配している頭痛持ちの人に、神経学的な診察をきちんとし、CTやMRIなどで脳には異常がないと太鼓判を押すと、ケロリと頭痛がなくなることも稀ではない。

その後の歴史の流れ

 南軍降伏直後の4月14日に、ワシントンで観劇中のリンカーンが狙撃され、翌日に死亡し、国民に動揺が走った。

 グラント将軍は悲惨な内戦を終わらせた英雄として期待が集まり、1868年に第18代の大統領に選ばれた。しかし、有能な軍人は必ずしも有能な政治家ではなく、部下の汚職事件に悩まされるなど、大統領としての功績は必ずしも芳しくなかった。

 1872年には、明治維新直後の日本から訪れた岩倉使節団と会見している。2期務めた後、1879年にアメリカ合衆国大統領経験者として初めて日本を訪れ、国賓として明治天皇と会見した。

 あの日の彼の頭痛が、戦後アメリカの混乱を最小限にし、南北融和への道筋につながって大統領に押し上げ、近代日本の歴史にも足跡を残したことになる。

*1─Grant's migraine. Headache 41:925-926, 2001

 

 

関連書籍

小長谷正明『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』

1429年、ジャンヌ・ダルクは神の声を聞き救国の戦いに参加した。だがその神秘的体験は側頭葉てんかんの仕業ではなかったか? 1865年の南北戦争終結時、北軍の冷酷なグラント将軍が南軍に寛大だったのには片頭痛が関係していた? 1934年、平和国家ドイツがわずか2年でナチス体制になり、そのナチスも急失速して1945年、第二次世界大戦に敗れたのはヒンデンブルクの認知症とヒトラーのパーキンソン病のせいだった? 世界の歴史を大きく変えたリーダー変節の元凶となった脳の病を徹底解説。

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世界史を動かした脳の病気

2018年5月刊行『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』の最新情報をお知らせします。

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小長谷正明 医学博士/国立病院機構鈴鹿病院名誉院長

1949年千葉県生まれ。79年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。専攻は神経内科学。現在、国立病院機構鈴鹿病院名誉院長。パーキンソン病やALS、筋ジストロフィーなどの神経難病を診断・治療する。医学博士、脳神経内科専門医、日本認知症学会専門医、日本内科学会認定医。最新刊『世界史を変えたパンデミック』のほか『世界史を動かした脳の病気』『医学探偵の歴史事件簿』『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』『ローマ教皇検死録』『難病にいどむ遺伝子治療』など著書多数。

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