数多くの大手有名企業でマネジャー研修を担当するコーチングのプロ・播摩早苗氏。そんな播摩氏が描く話題のビジネス小説『宿屋再生にゃんこ』では、部下の心に眠る仕事への情熱を引き出す方法が楽しくわかります。ここでは春からの新リーダーに向けて1章・2章を特別無料公開! 毎日連載でお送りします。 

◆STORY◆宿屋再生コンサルタント会社・RSJ本部で働く甲斐永理子。仕事はできるが、再生先の社員の無能さが許せず口論になることも。そんな中、社長から倒産寸前の旅館に支配人として赴任するよう命じられて……。

 

◆5◆

 青島に案内され、館内に入った。秋分の日を過ぎても蒸し暑さが続いていたが、玄関に入るとひんやりとした。

 本館ロビーは天井が高く、太い梁(はり)と柱は黒光りしている。壁の漆喰、天然石張りの床、どれを取っても豪奢で、確かに魅了された。外光を遮ったつくりで、足元のランタンに入っている灯りが、幻想的な非日常を演出している。

 階段を降りた半地下には小ぢんまりとしたバーがあり、張りだしの天井が窓になっていて、周囲の紅葉林を眺められる。

 委託会社が客室の清掃作業に入り、従業員が一息つく時間帯で、本館内はひっそりとしている。まずは、中庭から外通路に出て、別棟の客室を回った。和室の二間続きで、富裕層が好む古めかしいたたずまいだ。押し入れをチェックすると、布団は清潔なカバーでくるまれている。合格点だった。

 続いて向かったアネックスの客室は、和洋室で次の間に和ベッドがあるモダンなつくりだ。

 全室部屋食で、厨房はアネックスの地階にある。その上には広い宴会場があるが、今はほとんど使われることがないと青島から聞いていた。アネックスの一階にはラウンジもあるが、これもほぼ休眠状態だった。

 私は、これから私の指示のもとで働く従業員をアネックスの宴会場に集合させた。

 鳥楓亭の再生は、これまで本部から現場を動かしてきた私のやり方が間違っていなかったことを証明する場なのだ。とにかく従業員には、徹底したコスト管理をもとにしたRSJのオペレーション通りに動いてもらわなければならない。

 すべての従業員を出社させたので、34人が畳敷きの宴会場に整列していた。その表情には不安とかすかな諦めが漂っている。

 瀕死の旅館の従業員はどこも被害者意識の塊だった。せっぱ詰まったオーナーの選択によりRSJの社員が乗り込んでいくと、全員がまるで蹂躙(じゅうりん)されたかのようにビクビクしている。

 だが、彼らにもの柔らかな挨拶は禁忌だ。たとえ憎まれても、油断させず、危機意識を醸成しなければならない。

「今日から支配人を務めます、甲斐永理子です」

 期待はしていなかったが、そこには笑顔もウェルカムの拍手もない。

「この館(やかた)の平均稼働率と月間売り上げ額を知っていますか?」

 私が質問すると、指名されることを恐れて、何人かがうつむいた。たいがいのものは、きょとんとしている。従業員たちはこんな瀬戸際になっても、財務状況に無関心なのだ。

「稼働率25%以下。月間売り上げ平均3400万。普通ならそこから固定費、経費を引いても、単純計算でマイナスにはなりません」

 いきなり数字の話をされて、34人は何が起こるのかという様子で顔を上げた。

「ところが粗利は借金の利息に吸い取られている。分かりますか?」

 こんな衝撃的な話にも、気持ちが揺らいでいないことが、彼らの目から伝わった。支配人の首がすげ替えられ、後釜が小言を言い始めただけだと捉えている。

 宿屋の事業再生を行なって6年、正直、苛立ちをいつも心に抱いていた。金融機関への返済が焦げついて倒産寸前にもかかわらず、従業員は部屋の稼働率が何パーセント以上になれば粗利がプラスになるか、経費をどんぶり勘定で使っていたらどうなるか、簡単な計算すらしようとしないのだ。

 彼らにこのまま傍観者でいられたら、ここは建て直せない。

「とにかく経費を削り、稼働率を最低65%以上に上げていかなければならないんです」

 私は、気を吐いて訓示を述べたが、従業員には響いていないようだった。

「もし、再生の目途が立たなければ、人員削減ということになります」

 スイッチが入ったように一同の表情が変わった。

「ですから、経費削減のプランがあれば、どうぞ進言してください」

 固い空気のなか、隣同士ひそひそと話し始めたが、プランを述べるものはいなかった。

 すると男が、おずおずと手を挙げた。バーテンダーの小澤みつるだと、青島が横から耳打ちし、従業員名簿を差し出した。

 本部の営業部隊は経営改善のための下調べを行なってきたのだ。名簿の備考欄には人物情報が書き込まれている。

「私たちはずっと、経営に口を出すな、と言われてきました」

 小澤はバーに似合いのいわゆるイケメンだった。料理のサービスを行なう料飲(りょういん)部門の所属で、ワインや日本酒の仕入れも行なっていると、青島がつけ足した。

 前支配人は、経営に口を出すなと言ってマネジメントしてきたのだろう。その支配人は、辞表を残して姿を消していた。

「小澤さん、料飲部門は、誰を中心に動いているのですか?」

「誰って……」

「会議は誰が招集するのですか?」

「えっ。会議で何かを話し合ったりすることはないです」

 瀕死の宿屋はどこもそうだった。従業員に、何か手を打とうという気力が残っていないのだ。しかも、経営に口を出すなと言われてきたなかで、生産的な会議が行なわれるはずもない。

 この無関心・無気力の風土は怖いものだ。それが組織を硬直化させていると、皆が何とはなしに気づいているのに、染みついてしまって変えられずにいる。

「あっ、シフトをつくっているのは、設楽(したら)さんです」

 小澤からやっと上司の名が出てきた。

 料飲部門の責任者は設楽弘明だと、青島が言った。目の前のスタッフのうち誰が設楽なのか、私には分からなかった。

「小澤さん、私は経営に口を出すなと言うつもりはありません。皆さんには、まず経営の実情を理解してもらわなければならないんです」

 皆が、嫌悪感をあらわにした。経営状態が厳しいことは分かっていても、その現実を受け入れる勇気がないのだ。私は、それには構わず指示を繰り返した。

「では、経費削減策を料飲、料理、宿泊部門の責任者を中心に話し合ってください。一週間以内に会議をもち、報告を上げてください」

「あの。ちょっといいですか」

 声を出した男は瀧本志信(しのぶ)だと、青島が言った。予約とフロント業務、事務を担当する宿泊部門のマネジャーで、前支配人が去ってから支配人代行をしてきた。30代半ばという年齢の割にどこか不遜で扱い方が分からない、という情報を事前に青島から得ている。確かに腹に一物ありそうな面構えだった。私は脳内の人物ファイルに「要注意」のピンを立て、何を話すのか身構えた。

「われわれが削減策を考えるなんて、できないですよ。だからRSJさんが来たんでしょう。面倒くさいことを言わずに、手っ取り早く教えてください」

 おお、という声が漏れて、全員が同意していることが伝わった。四の五の言わずやり方を教えろと訴えている。

 そんな魔法のような再生策があるのなら、誰も苦労しない。

 改めて、34人の顔を見た。帳簿には映し出されていない厄介な人的資源が、目の前に整列していた。依存という病に罹患しているこの集団の意識をどうやって変えるか、私は何のプランももっていなかった。伊勢谷が「そろそろ経験してもいいでしょう」と支配人を命じた声が耳によみがえる。

「私たち、どうなるんでしょうかね」

 バーテンダーの小澤が呟くように言った。

「小澤さんはバーが残るかどうかだけが心配なんでしょ」

 声を出した女は、和装のユニフォーム姿の仲居だ。

「仲居はいいよね。職場がなくなることはないからさ」

「何言ってんのよ。仲居は一番先にリストラの対象になるのよ」

 小澤と仲居が無秩序に会話をしたのを機に、全体がざわざわとなった。

 各部門で、経費削減プランを出すようにと再度命じてこの会は終了になった。青島が自分の仕事はここまでだというように宴会場から出て行くのを見て、恨みがましい気持ちがふくれあがり、のど元に不快な塊となった。

 


本日はここまで。明日の公開をお楽しみに!
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播摩早苗『ストーリーで学ぶ最強組織づくり 宿屋再生にゃんこ』

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