「この連載、落としちゃダメだ!」漫画家、編集者、アシスタントが奮闘する、痛快で沁みる、お仕事エンタメ『ウチのセンセーは、今日も失踪中』から試し読みをお届けします。

*   *   *

「きみの絵柄は青年誌向きだねえ」
 陽に焼けた彼は、豊泉宏彦の思い描いた編集者とはずいぶんイメージがちがっていた。いい歳のオジサン、たぶん三十代もなかばと思われるが、えらくチャラい。まるでサーファーだ。宏彦にはサーファーの知り合いなんかいないけど。
「そうですか」
 声が裏返ってしまった。しかしそれを恥ずかしいと思う余裕は宏彦にはなかった。編集部にはじめて、原稿を持ち込んできたのだ。
「まだ時間ある? いまメジャーズに電話すんからさ。そっちにこの原稿、持っていきなよ」
 どう答えていいかわからず宏彦は固まったまま、サーファー編集者の動きを目で追っていった。ソファから立ち上がった彼はいちばんちかい机にある電話の受話器をとって、ボタンをいくつか押した。
「シモシモォ、BBの小瀬だけども」
 BBはボーイボーイの略称で、少年漫画誌だ。宏彦が持ち込みにきたのはその雑誌の編集部である。小瀬には原稿を渡す前に、名刺を貰った。
 でもシモシモって。
「イセザキ? いまさ、うちに漫画の持ち込みにきてる子がいんだけどさ。その子の原稿、見てやってくんない? え? うん。うまいんだけどさ」うまい? 「BB向きではないんだよ。メジャーズのほうがよかんべえと思って。ヨロピクゥ」
 電話を切った小瀬は、「このすぐ階下がメジャーズの編集部で、そこにイセザキというのがいるんで、訪ねてみて」とにっこり笑った。信用できる微笑みではなかったが、従うよりほかなかった。
 
 メジャーズの編集部は、BBと変わらぬ広さっぽいが、より雑然としていて狭く思えた。なにより驚いたのは、もうもうと立ちこめる煙草の煙だ。ここにいたら燻製になるんじゃないかと思うほどだ。
 入ってすぐ右のソファに五人の男が陣取り、煙はそこから湧き出ていた。みんな押し黙ったまま、煙草を吸っているのだ。ひとりは電子タバコだった。
 この中のだれかがイセザキさんってこと?
 しかしたしかめようにも、声をかけられなかった。とてもではないが、そんな雰囲気ではないのだ。どうしたものかと考えていたところだ。
「きみ」女性の声がした。「持ち込みの?」
 宏彦は編集部を見回した。あのひとか。窓際に本や雑誌に埋もれた机があった。そのむこうにショートボブの女性が顔をのぞかせていたのである。
「豊泉くん?」
「あ、はい、そうです」
「イセザキです」ショートボブの頭をぺこりと下げる。
 女性だったのか。
「編集長」
「あん?」電子タバコをくわえた男がイセザキのほうをむく。
「かれこれ一時間近く、だれも口きいてませんよ。どっか場所変えたら、気分も変わってアイデアでるんじゃないですか」
「そういや俺、今朝、原稿仕上げたあと、なんにも食ってないなあ」
 編集長のむかいにいる男が言う。宏彦の立つ位置からでは背中しか見えない。でかい背中だ。イセザキの視線は編集長から彼に移っていた。
「そのせいで、いいアイデアでないんでしょう、マエダさん。腹が減っては戦はできぬですよ」
「イセザキの言うのは一理あるな。マエダさん、ひとまず表にでましょうや」
「了解です」
 編集長が言うと、マエダと呼ばれた男は、煙草を揉み消した。他の男達もだ。そして一斉に立ちあがる。だれひとり背広ではない。マエダに至っては色褪せたトレーナーにジャージだった。首まわりは緩み切って、袖はボロボロである。近場のコンビニへいくのも、憚られるような格好だった。
 五人の男達はぞろぞろと歩きだし、宏彦の脇を通り過ぎていく。彼らと目をあわせないよう、顔を伏せる。すると肩をぽんと叩かれ、宏彦はびくりと身体を震わせてしまった。
「持ち込み?」
 マエダだった。宏彦は身長が百七十センチちょっとだが、五センチは高いだろう。胸板も厚い。漫画家というより、格闘家のようだ。
「は、はい。あ、あの、もしかして『ヤンキーエスパー』の前田公平さんですか」
「『エスパーヤンキー』ね」と編集長が訂正する。
「す、すみません」宏彦は慌てて詫びる。
「いや、いいんだ」前田は笑った。「自分でも間違えるし。はは。読んでくれてるんだ」
「は、はい」読んでいたのは中学の頃で、それも単行本四、五巻までにすぎない。つい先日、地元の本屋さんに足を運んだ際、最新刊第二十何巻だかがあって、まだ連載していたのかと驚いたくらいだ。
「頑張って」
「あ、ありがとうございます」
 思わず礼を言う。前田はにやりと笑い、編集部をあとにした。
「原稿、見せて」
 女性の声が間近で聞こえる。いつの間にかイセザキがごく間近まで辿り着いていたのだ。ベージュの長袖シャツにジーンズというラフないでたちの彼女は、ソファに座り、スマートフォンをテーブルに置き、催促するように右手を差しだしてきた。どの指も細くて長い。宏彦はこの一ヶ月、心血注いで描いた三十枚の原稿が入った封書をその手に渡す。
「立ってないで座ったらどう?」
「あ、はい」
 前田が座っていた場所に腰をおろす。まだ温かみが残っていて気持ちが悪い。目の前にあるアーモンドの形をした脚の短いテーブルには、スチール製の灰皿がいくつも無造作に置いてあった。どれも吸い殻が山となっている。他にも飲みかけの缶コーヒーや、空っぽの紙コップ、パーティ開けをしたポテトチップの袋、茶渋がこってりついたマグカップ、落花生の殻、皮を剥いて半分だけ食べたバナナなんてものまであった。
 そんなゴミ屑に囲まれ、水着の女の子が宏彦の緊張を解すかのごとく、にっこり笑っていた。写真である。メジャーズの表紙なのだ。そこには『極美バスト降臨 悶絶純情グラビアアイドル上山仲子サイン入りチェキプレゼント』と書いてあった。『極美』はゴクビと読むのか、それともキョクビなのか。どっちでもいいか。
「うちの最新号」
 イセザキが言った。俯いたまま、宏彦の原稿からは目を離さずにである。その目つきは読むというより鑑定しているかのようだった。
 三十代っぽいがどうだろう。オバサンとは言い難い年齢だが、オネエサンにしては薹が立っている。このくらいの歳の女性は宏彦の身近にいなかった。母親は五十過ぎだし、妹は十四歳だ。バイト先のガソリンスタンドは、オジサンばっかりである。小中高と通っていた学校の先生の中にいたかもしれないが、はっきり思いだせなかった。
 化粧っ気はほぼない。目鼻立ちがはっきりしていて、唇が薄い。細面で顎が尖っている。美人といっていい顔立ちだ。難を言えば鼻が少し上をむいている。似ている女優が幾人か頭に浮かぶ。
 ジーンズはところどころ穴が開いていた。右足の膝のがいちばん大きくて、そこから見える白い肌が妙に生々しくも艶めかしく、気づかぬうちに目がいってしまう。
「読んでていいよ」イセザキの声に、宏彦は咎められたわけでもないのに、慌てて視線をそらした。「まだしばらく時間かかる」
「あ、はい」
 宏彦はメジャーズを手に取り、表紙をめくった。いちばん最初のページもやはり上山仲子で、さらに際どい水着姿で肢体を晒していた。今度は笑っていない。物憂げな表情で、こちらを見つめている。
 いかん、いかん。
 自分の部屋ならばゴクビだかキョクビだかのバストをじっくり吟味するが、いまはそうはいかない。さらに数ページ、上山仲子のグラビアはつづいたが、興味がないとばかりに捲っていく。
 巻頭カラーは『エスパーヤンキー』だ。『極悪非道ゾンビ編』と副題が付いている。昔と比べ、いやにマッチョになった主人公が、若くて半裸のゾンビ集団と死闘を繰り広げていた。彼女達はみなバストが九十センチ以上はあった。つぎに読んだのは野球漫画だ。選手全員がおんなだった。しかも全員、バストが九十以上。三番目に読んだのは、サラリーマンものだった。カメラのメーカーが舞台らしく、製品のカメラの性能をたしかめるために、なぜか街にでて、道ゆく女性をナンパしてスタジオに誘いこみ、裸にして撮っていた。被写体になる女性はみんなバストが九十以上。
 四番目に読んだのは、得意な料理で事件を解決に導く刑事が主人公だった。整形したうえに身分を偽り、東北の田舎町に住む保険金殺人を犯したバスト九十はある女性の指紋を取らんがため、彼女がときどき足を運ぶラーメン屋で、主人公の刑事が料理人を装い張りこむという、あり得ない設定だ。しかし、バスト九十の女性以外は地味ながらもリアルな描写で、読み応えはあった。ただし致命的な欠陥のせいで、残り二頁でがっかりしてしまった。保険金殺人の女の注文で、刑事は自慢の腕を振るい、肉汁たっぷりで、絶妙な焼き加減の餃子をつくる。これがめちゃくちゃマズそうなのだ。とても餃子に見えない。まるでナメクジみたいだったのだ。
 メジャーズの編集部は、しんと静まり返っていた。同じフロアのべつの編集部には何人かいたが、それぞれ仕事をしており、ひとの声はまるでしない。聞こえてくるのはパソコンのキーボードを叩く音だけだった。
「この原稿、うちの新人賞にだす気ある?」(つづく)

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電子書籍オリジナル・スピンオフ短篇『兄のカノジョが言うことには』(山本幸久)同時刊行!

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山本幸久『ウチのセンセーは、今日も失踪中』

富山から東京の出版社に漫画の持ち込みに行った宏彦は、失踪癖のある大御所漫画家のアシスタントになるハメに。クセのある仲間や編集者とセンセーの連載を落とさないよう必死に頑張る宏彦。実は、陸上の有望選手だったが、高三の秋のある事件で進学を諦め、病弱な妹の言葉で漫画家を目指すことになったのだ。カッコ悪くも沁みる、痛快エンタメ。

山本幸久『兄のカノジョが言うことには』

兄の宏彦が酔っ払って「警察沙汰」を起こした(未成年なのに)。
陸上の有望選手で、大学への推薦も決まっていたのに、なぜ?
美和はどうしても信じられない。
父と兄は険悪になり、家の中の雰囲気は最悪だった。
そんなある日、兄のカノジョの栗原さんに呼び出され「あたしが悪いの」と美和は謝られる。
栗原さんは全然関係ないのに、どうして?
よくわからないけど、お兄ちゃんには元気になって希望をもってほしい。
得意だった漫画を描いて、新人賞に応募したらいいんじゃないのかな―-美和はコミック雑誌を見て、閃いた。
幻冬舎文庫キャラクターノベル『ウチのセンセーは、今日も失踪中』スピンオフ短篇。