三木谷浩史さんは日本経済に影響を与えるような実業家になった後も、子供の頃と同じように、問題児でありつづけ、様々な騒動(?)を巻き起こしていますね。

 なかでも僕が印象的だったのが経団連からの脱退とそれに呼応するように新経連を起ち上げたことですね。


 自分の意思に忠実にいられたからこその、そして自分の哲学を曲げることを嫌ったからこその経団連脱退でした。

 また「新経連」というネーミングも絶妙ですよ。この略称を聞いた側としては、「経団連は古く、新経連は新しい」と考えるはずです。実際、僕がそうでしたから。

 でも実際は、「新産業(IT関係など)による経済の連盟」という意味らしいですが、これは三木谷さんの確信犯的なネーミングでしょう(笑)。この名称ひとつにも、三木谷さんの問題児ぶりが発揮されていると思いますね。

――山川氏が語る箇所を『問題児 三木谷浩史の育ち方』から一部を抜粋して公開します!

経団連脱退、そして新経済連盟設立へ (『問題児 三木谷浩史の育ち方』3章 実業家が世の中を変えていく より)

 楽天は2011年に経団連を脱退した。当時の経団連の米倉弘昌会長と三木谷浩史の間で、エネルギー政策などをめぐって意見が衝突したのがきっかけだと言われている。

 この時に三木谷は、

「(経団連が)電力業界を保護しようとする態度がゆるせない」とコメントした。

 ちなみにソフトバンクの孫正義は、

「給食か弁当の選択の自由を提供していないとすれば大問題」と言っている。

 三木谷浩史は2012年、新経済連盟を発足させた。会員企業には楽天のほかサイバーエージェント、フューチャーアーキテクト、ライフネット生命保険などのインターネット関連の新興企業を中心に約780社が名を連ねる。

 2012年9月、経団連の米倉弘昌会長が緊急記者会見し、「2030年代に原発ゼロを目指す」との政府方針について、当時の野田佳彦首相に電話で直接「承服しかねる」と反対の意向を伝えたことを明らかにした。

 米倉会長は首相に対し、

「原発ゼロでは電気料金の高騰や電力供給不安、さらに企業活動の低迷や産業空洞化を招き、政府が先に決定した日本再生戦略に逆行する」と指摘。

「原子力の平和利用で協定を結ぶ米国との関係に深刻な影響をもたらす」との懸念も伝達した。

 政府が原発稼働ゼロを盛り込んだ文書自体の閣議決定を見送ったことも、経済3団体(経団連、日本商工会議所、経済同友会)からの圧力があったからだと言われている。

 一方、新経済連盟を立ち上げた楽天の三木谷浩史代表理事は、経済3団体が原発ゼロ反対会見をしたことについてコメントを求められ、

「新経済連盟は脱原発です」と表明した。

 新経済連盟では、「イノベーション」「アントレプレナーシップ」「グローバリゼーション」という3つのキーワードを掲げている。

 楽天はイノベーターであり、今も新しいものを作っていくアントレプレナー集団なのである。だから本来であれば、競合というより協力しあって新しい仕組みを作っていくべきである、というのが三木谷の基本的な考え方だ。新経済連盟も、こうした思想の延長線上にある。

 経済団体という既存企業の象徴のような存在ですらもう変革が必要な時代なのだ、と三木谷は僕たちに示したのだ。

 ところで、「新経済連盟」のベースになったのは「eビジネス推進連合会」である。医薬品のネット販売が2009年6月1日省令改正で規制されることになった。厚労省が改正薬事法の関係省令を公布し、「インターネット販売は、対面での情報提供が不要な第3類医薬品に限って認め、漢方薬や生薬などを含む大半の一般薬のネット販売は禁止」されることになったのである。

 厚労省にこれを押し通されてしまったことで、三木谷は楽天一社でのロビーイング活動に限界を感じたのだろう。

 年が明けた2010年2月に一般社団法人である「eビジネス推進連合会」を立ち上げ、ヤフーの当時の井上雅博社長、サイバーエージェントの藤田晋社長が役員に就任した。

 翌年、東日本大震災と東京電力の原発事故があり、この年の4月頃に経団連を辞めるとツイッターでつぶやいた。

 経団連の「電力業界を守ろうとする姿勢が許せない」ということが大きかったようだ。ただ電力業界だけではなく、経団連は大きなメーカーが主体の団体であり、そういう中でいろいろな提言をしても意味がないんじゃないかという判断も三木谷にはあった。

 楽天の関係者の中には、

「もうちょっと経団連の方と話をして、その辺りの体質を改善するという方法を探ってもいいのではないか」

 という意見もあり、先方も、

「まずちょっと話をさせてくれ。やっぱり辞めるというのは望ましくない。楽天に行って話がしたい」

 と三木谷を何とか説得し慰留しようと動き出していた。楽天スタッフが日程調整もしたが、そんな中、三木谷浩史本人がツイッターで「そろそろ経団連を脱退しようかと思いますが、皆さんどう思いますか?」とツイートしてしまったのである。さらにその理由を問うフォロワーに「電力業界を保護しようとする態度がゆるせない」と回答したわけだ。2011年5月27日のことだった。

 渉外室長の関聡司が言う。

「三木谷が『俺、ツイッターで言うよ』と言っていたので、もうちょっと考えたほうがよろしいんじゃないでしょうかと説得してたんですけどね。ポロッと言っちゃったんで、もうしょうがないやということで(笑)。ただ、別に経団連と喧嘩したとか、そういうことではないんですよね」

 2012年2月の『日経ビジネスオンライン』のインタビューで、この時のことを三木谷浩史はこんなふうに語っている。

 〈僕が日本経団連を辞めたきっかけね。もともとなぜ経団連に入ったのかを振り返る必要があります。奥田碩元会長(トヨタ自動車元会長)に誘われたのが直接のきっかけでした。当時は小泉純一郎政権下。経団連は改革の旗手を担う組織でした。ただ、その後、会長が奥田さんから御手洗さん(御手洗冨士夫・キヤノン会長)に代わり、それからまた米倉さん(米倉弘昌・住友化学会長)になるにつれ、どんどん風向きが怪しくなっていった。

 辞めようと思った直接的なきっかけは、やはり震災後です。経団連は(電力の)発送電分離の話が出たときには早々に反対し、原子力発電所については早々と賛成であると表明した。「多分経団連ってそういうために作られたんだな」とその時、分かりました。

 経団連が言っていることがあたかも経済界の統一見解のように言う。だから僕は「そんなことないよ」と世の中にはっきり言いたかった。違う意見だってあるんだよ、ということですね。

 ツイッターで退会をほのめかしたのは確信犯。全く入っている意味もないしね、正直言って。経団連は日本企業の護送船団方式を擁護し、これが世の中の共通認識だとカムフラージュするために作られた団体なんですね、そもそもが。そこはたぶん経済同友会とは違うんだと思うんですよ。

 僕はあまり深く考えていなかったんですけど、今回の一連のことがあっていろいろよく考えてみると、ああ、そういう構造なんだな、これはと。要するに政官財の構造の一角。いや、中核なんですね。

 経団連を辞める時には仁義を切りました。諸先輩方の元に一人ひとり全部回りました。すると、みんな口を揃えて「その通り」だとか「いいね」と言う。けど辞めたのは結局僕1人。呆れましたよ、結局本当に反対したのは1人だけかと。まぁ、そんなものですよね。よほど強烈な人を会長に持ってきて、方向性を明確にしなければ今の経団連は変われないでしょうね〉(『日経ビジネスオンライン』2012年2月20日)

 経団連を辞めた三木谷は「eビジネス推進連合会」を活性化させようと決意。1年くらいかけて、いろいろな議論をした結果、2012年6月1日に「新経済連盟」という名前に名称変更をしたのだった。

 活動の範囲も「eビジネス」という狭い範囲だけではなく広げていこうということになった。「新経連」という略称を聞いた世間の人々はおそらく、「経団連は古く、新経連は新しい」という印象を持つのではないだろうか。

 しかし実際には「新経済連盟」という名称は「新しい経済連盟」という意味ではなく、「新産業による経済の連盟」という意味なのである。もっともこれも猛将の血を引く三木谷浩史の確信犯的なネーミングなのかもしれない。

 実際に記者会見の際、三木谷はこんな冗談を言っている。

「『経団連』の『新』じゃないからね。『新経済の連盟』だから」と。

 発足当初は「新経団連」と間違えて発言する記者も多かった。それはもちろん誤解なのだが、誤解されるだろうと思いつつ、わざとそういう名前にしたのかもしれない。

 関聡司が言う。

「新産業という定義がまったくあいまいなんですけれども、新産業全般について、イノベーションとか、起業アントレプレナーとか、グローバリゼーションとか、そういったことを推進していくような活動をする団体にしようと。サイバーエージェントの藤田社長と相談したりしてました」

「新経済連盟」の代表理事に楽天の三木谷、その他理事にサイバーエージェントの藤田晋社長の他、フューチャーアーキテクトの金丸恭文社長、GMOインターネットの熊谷正寿社長、ライフネット生命の岩瀬大輔社長が就任した。会員数780社でのスタートであった。

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この続きは書籍『問題児 三木谷浩史の育ち方』でお楽しみください。

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山川健一『問題児 三木谷浩史の育ち方』

日本の未来と希望がここにある。

平均以下の成績。有名私立中学退学。熱中したのはテニスだけ。教師を悩ませ、手をわずらわせ続けた子供時代。
だがその少年は、日本を代表する実業家になった。

少年は両親からどのような教育を受けてきたのか?
前を向き続ける、くじけない心はいかに育まれたのか?
そして、いま何を考え、どのように動いているのか?

本人、両親、そして関係者への取材を経て、初めて綴られる素顔。