思想家・吉本隆明氏の家に集う猫と人の、しなやかでしたたかな交流を綴った『それでも猫はでかけていく』より、試し読みをお届けします。

 猫のミステリーとして知られる行動のひとつに、「猫の集会」があります。
 確かに夜中1ヶ所に10匹ほどが、押し黙って集まっている様子は、不気味に見えることでしょう。互いの無事を確認しているんだとか、テレパシーで情報交換しているんだとか、人間どもは勝手な理屈をつけます。でも、実はアレ、なーんにもやってないんです。いや、むしろ日頃常にピリピリと神経を尖らせて生きているノラなどにとっては、得がたい無為の時間なのです。

「集会」ができるメカニズムはこうです。
 まず親子や兄弟など、比較的仲の良い2、3匹がベースとなります。そこへ顔見知りの猫が通りかかると、「おっ」という感じで立ち止まり、距離をおいて座ります。この時その猫が、まったくのヨソ者だったり、いじめっ子のチンピラだったり、また逆に仲が良すぎたりしても集会には発展しないようです。

 こうして飼い猫、ノラ猫関係なく、顔見知り同士が、つかず離れずの距離をおいて増えていきます。

 もうひとつ集会が成立する条件として、 ボスの参加も不可欠と思われます。いわゆる猫のボスは、犬の場合のリーダーとは違って、猫集団を統率する訳ではありません。ケンカは強いが女・子供には優しい、すべての猫に一目おかれる〝猫望〟の厚い去勢していない雄が、地域のボスです。ボスが加わることにより、抑制がきくのでその後は、チンピラ猫やヨソ者も遠まきに集会の外郭に加わることができるのです。

 かくして、路上に車の下に塀の上、半径数メートル内に等間隔で散らばった、10匹余の「集会」の完成です。
 私は時折このボスの役割を担うという栄誉に与ることがあります。
 風の心地好い夜、猫たちの集団の中に座り、寝転ぶ者、毛づくろいをする者、足下の虫にじゃれる者と、思い思いに過ごします。

 お寺の大きな樹が「ザワッ」と鳴ると、皆一斉にその方向を見ます。「なんだ風か」「あ! 車が来た……曲がって行った」「どこかの家の食器の音」「ガアッと一声夜の烏」。耳だけが生きていて、頭はカラッポ。いつの間にか完全に猫たちとシンクロしている自分に気付きます。瞑想に近い無我の境地です。

 ニューエイジ風に言うならば、集合意識に身をゆだねることにより、尖った神経や意識を解放できる……。「集会」は、猫たちにとって貴重なリラックスタイムなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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ハルノ宵子『それでも猫は出かけていく』

いつでも猫が自由に出入りできるよう開放され、家猫、外猫、通りがかりの猫など、常時十数匹が出入りする吉本家。思想家の父・隆明が溺愛したフランシス子、脊髄損傷の捨て猫シロミ、傍若無人のチンピラ猫トリオ……。吉本家に集う猫と人の、しなやかでしたたかな交流から見えてくる「生きる」の意味。ハードボイルドで笑って沁みる、猫エッセイ。