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言ってはいけない宇宙論

2018.02.24 公開 ツイート

『言ってはいけない宇宙論』その3

素粒子実験装置カミオカンデの抱える憂鬱 小谷太郎

  2つのノーベル物理学賞に寄与した素粒子実験装置カミオカンデが、実は当初の目的「陽子崩壊の観測」を果たせていないのはなぜ? 元NASA研究員の小谷太郎氏が物理学の未解決問題をやさしく解説した『言ってはいけない宇宙論 物理学7大タブー』が発売1週間で重版となり、反響を呼んでいます。

 タブー1「陽子崩壊の観測」をご紹介する3回目。よく名前を聞く「カミオカンデ」は直径15.6メートル、高さ16メートルと巨大な装置ですが、これでも世界の実験装置の規模からするとたいそうかわいいサイズなのだといいます。

iStock.com/sripfoto

前回の記事はこちら

 

カミオカンデの憂鬱

ノーベル賞をもたらした、かわいい「カミオカンデ」

 素粒子は、大きさがないともいえる極微(ミクロ)の粒子ですが、それを見たり探したりするために巨大な実験装置がいくつも建造されています。スイスとフランスの国境にある世界最大の粒子加速器LHCは、全周が27キロメートルあります。

  そういう世界の巨人に比べると、岐阜県神岡鉱山の地下にある「カミオカンデ」はかわいい規模です。その本体は、直径15.6メートル、高さ16メートルのタンクです。中には3000トンの水が入っています。

 しかしこのかわいいカミオカンデとその拡張版「スーパーカミオカンデ」は、2017年現在で二つのノーベル物理学賞を受賞した、先端的な素粒子実験装置なのです。(スーパーカミオカンデの水タンクは容量5万トンで、やや大型です。)

 カミオカンデはユニークな手法で素粒子の物理を探ります。地下の暗闇におかれた水に1000個の光検出器を向け、水が光るのをひたすらじっと待つのです。

 水という物質は酸素と水素の化合物です。1個の水分子は1個の酸素原子と2個の水素原子からなります。原子は陽子やら電子やら中性子といった粒子が集まってできていて、つまり3000トンの水には約10^33個の電子と陽子と中性子が含まれています。膨大な数です。

 この膨大な数の粒子のどれか1個にでも何か異変が起きたら、素粒子の異変はたいがい光の放出をともなうので、放たれた光が1000個の光検出器のどれかに感知されます。検出器の信号から、そのとき生じた粒子の種類やエネルギーや速度がわかり、それがすでに人類が知っている素粒子反応なのか、それとも初めて目にする特異な反応なのか(ある確率で)わかるのです。

 この、水タンクと光検出器を用いる単純な装置が、かわいいカミオカンデ(とスーパーカミオカンデ)です。

陽子の寿命が尽きるのを見届ける装置

 大統一理論は、陽子や中性子などの核子が寿命10^30~10^34年で崩壊し、電子や「π(パイ)粒子」という粒子などに変化することを予言します。

  この崩壊反応はきわめて稀で、私たちが日常気づくことはありません。これまでに行なわれたどんな素粒子実験や放射線測定でも検出できないほど珍しい現象です。さもなければ、陽子や中性子でできている私たちの体は見るまに放射線を放って壊れていくでしょう。

 陽子の寿命が10^34年なら、1個の核子を観察して崩壊するのを見るまでには、10^34年ほど待たなくてはなりません。地球が生まれて46億年、この宇宙は始まって以来138億年といわれていますが、それより遥かに長い時間です。大雑把にいって、宇宙年齢の1兆倍の1兆倍です。宇宙が始まってからこれまでずっと眺めていても、陽子が崩壊するかどうか確かめることはできません。

 しかしもし10^33個の陽子を同時に見張ったならば、話は変わってきます。この数なら、1年待てば、1個以上の陽子が崩壊する確率は10パーセントです。5年待てば50パーセントです。もし陽子の寿命が10^30年なら、1年待つだけで95パーセントの確率で陽子の崩壊が見られます

 つまり、膨大な数の核子を準備することによって、きわめて稀な事象である核子崩壊を観測できるのです。これがカミオカンデの建造目的です。

 その名「カミオカンデKamiokaNDE」の「ンデNDE」は「核子崩壊実験Nucleon Decay Experiment」という意味でつけられました。

3000トンの水をひたすら監視

 カミオカンデは、宇宙から来る粒子「宇宙線」の影響を抑えるため、神岡鉱山の廃坑道を利用して、地下1キロメートルに建造されました。水タンクの内壁には、浜松ホトニクス製の光センサー約1000個がびっしり取りつけられ、中には純水が貯えられました。

 カミオカンデは1986年に稼働を開始しました。つまり、何もせずに水が光るのをじっと監視し始めました。(細かくいうと、1983年から試験稼働を行ない、装置をアップグレードしたカミオカンデII が1986年に稼働しました。)

 灯りのない、地下1キロメートルの坑道は、ヒトの目には暗闇ですが、鋭敏な光検出器は次々と光子を捉え、信号を発します。ただしそのほとんどは、ノイズだとか雑音と呼ばれる、無意味な信号です。

 ノイズを取り除くと、何らかの粒子が水タンクを通過したときの反応が残ります。2秒に1回ほどの率で、高エネルギーの粒子が水タンクを通過し、光検出器に痕跡を残します。これが全部陽子崩壊で生じた粒子反応ならば嬉しいですが、残念ながらほぼすべてが陽子崩壊とは無関係です。

 そういう高エネルギー粒子の多くは、ミュー粒子と、地下の放射性物質に由来する放射線です。

 宇宙からやってきた「宇宙線」が地球大気に衝突すると、ミュー粒子が生成され、これが地表に雨あられと降り注ぎます。私たちも日夜これを浴びて暮らしています。地下1キロメートルまで届くミュー粒子は少ないのですが、それでも2秒に1個程度のミュー粒子がカミオカンデに捉えられます。

 ミュー粒子と放射線の信号を除くと、ニュートリノという粒子がタンク内の電子や核子と反応して作る信号が残ります。ニュートリノは、質量はゼロに近く、電荷はなく、反応性が低く、地球をも易々と通り抜ける粒子です。こうしている間にも私たちの体を1秒に1兆個ほどのニュートリノが貫いています。

 ニュートリノは、太陽の内部で生じて地球まで飛んでくるもの、近隣の原子炉の反応で作られて地中を走り神岡鉱山まで届くもの、宇宙線が地球大気と反応して生じるもの、宇宙のどこかの超新星爆発で生成されるものなど、起源はさまざまと思われます。

 カミオカンデや私たちの体を通過するニュートリノの数は膨大ですが、10^30個の核子のどれかと反応して検出されるものはごくわずかです。1日~2日に1個というところです。

 そして、どうもカミオカンデで測定すると、太陽から飛来するニュートリノは、太陽の核融合反応から予想される量の3分の1程度しかないようなのです。これは何を意味するのでしょうか。(先走って答をいうと、これは「ニュートリノ振動」という新しい物理現象の現われでした。)

もしや大統一理論は間違ってるんじゃないか

 いや、ニュートリノの反応はさておき、まずはカミオカンデの本来の目的である陽子の崩壊です。

 ノイズを除去し、ミュー粒子の反応を捨て、ニュートリノと思われる反応を除くと、陽子崩壊反応の候補が残るはずです。

 しかし大統一理論の予想に反して、そういう反応は検出できませんでした

 陽子崩壊か、それともニュートリノなど既知の反応なのか、判断の難しい信号はちらほら見つかるのですが、それをもし陽子崩壊に数えても、やはり理論の予想値には足りません。

 学会や研究会のたびに、陽子崩壊と解釈できないこともない信号の検出がいくつか報告されます。しかし確かに陽子崩壊と判定できる信号は出てきません。カミオカンデの新しい結果のトラペがスクリーンに投影されると、今回もネガティブな結果です。会場にはまたかという雰囲気が広がります。(余談ですが、当時はマイクロソフト社のパワーポイントはまだなく、学会発表には「トラペ」〈トランスペアレント・シート〉と呼ばれる透明なシートを準備して、「オーバー・ヘッド・プロジェクタ」という装置を用いてスクリーンに投影しました。トラペは手書きのものも多く、作成者によっては判読に苦労しました。)

 1986年には検出装置がアップグレードされ、カミオカンデII と改名されました。検出効率が向上し、結果の精度は高まった(と関係者は主張する)のですが、やはり陽子崩壊は見つかりません。

 陽子崩壊が見つからないだけではありません。検出されるはずの太陽ニュートリノも少ないのです。これは世界の他のニュートリノ実験でも同様です。

 本当にこの装置は正しいのでしょうか。どこかのケーブルが1本ゆるんではいないでしょうか。解析プログラムにバグが隠れていることはないでしょうか。

 もしも装置に設計ミスがあったら、税金を費やして作った以上、責任が生じます。(もっとも、カミオカンデの建設費はある種の巨大装置よりもかなり少額なのですが。)

 チームは装置と計算を何度も見直しましたが、間違いは見当たりません。

 装置に間違いがないなら、おかしいのは大統一理論の方でしょうか。陽子の寿命は10^30~10^34年よりも長いのでしょうか。

 もし陽子の寿命が予想よりも長くて、大統一理論が外れなら、誰が困るかというと、誰も困りません。素粒子理論の研究者、いわゆる理論屋は、長寿命の陽子を説明するように理論を修正するという仕事ができます。

 また、理論が間違っていることを示すことができたら、そういう実験もまた成功といえます。理論の予想が正しいことを示す実験よりも、理論を覆す実験の方が、実験屋と呼ばれる研究者にとっては面白味があります。

 カミオカンデは世界の研究者の首を傾(かし)がせながら稼働を続け、陽子の寿命を徐々に延ばしていきました。

 そんなとき、カミオカンデのデータの正しさを証明する信号が宇宙からやってきます。

(つづく)

 

元NASA研究員の小谷太郎氏が物理学の未解決問題をやさしく解説した『言ってはいけない宇宙論 物理学7大タブー』好評発売中!

次回は2月28日(水)公開予定です。

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言ってはいけない宇宙論

2018年1月刊行『言ってはいけない宇宙論 物理学7大タブー』の最新情報をお知らせします。

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小谷太郎

博士(理学)。専門は宇宙物理学と観測装置開発。1967年、東京都生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。理化学研究所、NASAゴダード宇宙飛行センター、東京工業大学、早稲田大学などの研究員を経て国際基督教大学ほかで教鞭を執るかたわら、科学のおもしろさを一般に広く伝える著作活動を展開している。『宇宙はどこまでわかっているのか』『言ってはいけない宇宙論』『理系あるある』『図解 見れば見るほど面白い「くらべる」雑学』、訳書『ゾンビ 対 数学』など著書多数。

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