僕はよくツイッターで「だるい」とか「疲れた」とかつぶやいているのだけど、「だるいときによく『だるい』とかつぶやく元気がありますね」と言われたりすることがある。

 そう言われてみればそうだ。よく考えてみると、本当にだるくてだるくてたまらないだるさの真っ最中のときは、「だるい」ってつぶやいていないような気がする。「だるい」ってつぶやくのは、だるさがピークを超えて、少しマシになってきているときだ。

 大体何でも、本当に何かの真っ最中にいるときは、そのことを言語化することができない。真っ最中にいるときは自分に起こっているのがどういうことなのかわからないからだ。言語というのは人類が持っている最大の問題解決ツールで、言語化できるということは、すでにある程度それを乗り越えているということなのだ。

 人は文章を書くとき、自分の中である程度終わっているもの、ある程度一段落しているものについてしか書けない。「書く」という行為には、既に終わりかけている何かをはっきりと終わらせて、その次に進めるようにする効果がある。

 だから僕は「自分は今だるかったんだな、わかったぞ、もうお前は怖くないぞ」ということを確認するために、呪文のように「だるい」とつぶやくのだ。

 

 このコラムやブログの文章を書くときも、自分の中の何かを終わらせるために書いているようなところがある。うつ病などに使われる認知療法というメソッドでは、ひたすら考えていることを紙に書き出すことで自分の思考の歪みを自覚する、ということが行われるのだけど、それに近い。文章を書くことは自己セラピーみたいなものだ。

 自分がよくわからないと思っていることを、言語化することではっきりさせる。それをひたすら続けていけば、いろんな悩みや迷いが解決して、もっと完璧な自分になれるのではないかと思っているところがある。だけど、自分についてよくわからないものを全部書ききったあとに何が残るのだろうかと思うと、何も残らないような気もする。書くことがなくなった状態、それは死みたいなものかもしれない。

 あと、自分の歪みやだめな部分ををひたすら文章に書いて公開し続けていけば、そんな自分を全て受け入れた上で自分と仲良くしてくれる人が自分の周りに集まってくるだろう、みたいな期待もある。

 実際にそういう現象は存在する。ネットの良いところは、どんなにだめで偏った意見に対しても、ある程度の支持者が現れるところだ。その逆として、どんなに良いことを書いてもある程度の人に批判されてしまう空間でもあるけれど(「結婚しました」という幸せそうな写真を投稿したら「結婚したくてもできない人間がこれを見て傷つくことを想像しろ」と怒られる、など)。そうした現象を見るたび、人間は多様で、だから世界は面白い、ということを実感する。何を投稿しても肯定意見が来るということは、ちゃんと気を付けていないと自分が全く成長しないということでもあるので、怖いところでもあるけれど。

 

 こういうのは別に僕だけの話じゃなくて、ネットを見るとそこらじゅうでみんなが自己セラピーのような自分語りの文章を書いている。ネットは悩みの博覧会だ。家庭について、仕事について、自己について、性や恋愛について。ブログで、ツイッターで、発言小町で、はてな匿名ダイアリーで。ネット上のありとあらゆる場所で、告白とカウンセリングと共感と野次馬が入り混じったような状況が日夜繰り広げられている。ネットは巨大な精神科みたいなもので、症状が治ったやつから順番にいなくなっていくのでは、と思ったりすることもある。

 自分の悩みを言語化することやそれを他人に見せることはセラピーとして有効なので、みんなどんどんやったらいいと思うのだけど、興味本位の野次馬が集まりすぎて心無い言葉に傷つくみたいなパターンもよく見るので、ある種の自衛が必要だとも思う。

 個人的には、共有範囲の段階分けをするのが有効だと思っている。

 例えば、内容によって、

「文章にするけど誰にも見せない」

「文章にするけど少数の知り合いにだけ見せるようにする」

「誰でも見られるように公開するけど匿名で発表する」

「誰でも見られるように公開するけどハンドルネームを使う(いざとなったら名前を変えて逃げられる)」

「誰でも見られるように公開して、実名など、自分と強く結びついた名前で発表する」

 みたいな段階分けをするのだ。

 誰にも見せなくても文章にするだけで安心するときもあるし、無制限に公開しなくても少数の知り合いに見せるだけで気が済むときもある。全ての文章を自分の顔と名前に紐付けて発表する必要はない。文章というのは自分の一部でもあるけれど、自分と切り離して別個の生き物としてふるまわせることもできるものなのだ。

 そうした使い分けが、誰もが悩みを気軽に全世界に発信できてしまう今の時代には必要なのではないかと思う。

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pha『ひきこもらない』

家を出て街に遊ぶ。
お金と仕事と家族がなくても、人生は続く。
東京のすみっこに猫2匹と住まう京大卒、元ニートの生き方。

世間で普通とされる暮らし方にうまく嵌まれない。
例えば会社に勤めること、家族を持つこと、近所、親戚付き合いをこなすこと。同じ家に何年も住み続けること。メールや郵便を溜めこまずに処理すること。特定のパートナーと何年も関係を続けること。
睡眠薬なしで毎晩同じ時間に眠って毎朝同じ時間に起きること。
だから既存の生き方や暮らし方は参考にならない。誰も知らない新しいやり方を探さないといけない。自分がその時いる場所によって考えることは変わるから、もっといろんな場所に行っていろんなものを見ないといけない。